Mey yeux sont pleins de nuits...

読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

エミール・クストリッツァ『ライフ・イズ・ミラクル』

2007-10-25 06:39:55 | 映画
 1992年、内戦のさなか、ボスニア・ヘルツェゴビナの山間の村が舞台となっている。開始間もなく、山の斜面にあるセルビアとの国境に近い駅の線路上で、駅の官舎らしき家で暮らす親子がサッカーボールで戯れている。父親のルカはセルビア系の鉄道技師。プロのサッカー選手志望の息子ミロシュはセルビアの名門チーム、パルチザン・ベオグラードに入団することを夢見ている。息子はパルチザンからオファーの連絡を受けたその日に、ボスニア・ヘルツェゴビナ軍に召集される。内戦は激化し、息子も敵の捕虜となる。妻は息子の壮行会の夜、マジャール人の音楽家と駆け落ちした。たった一人で息子の安否を案ずる父は、飼いネコがつついたボールが目の前の斜面を転がり落ちるのを見ると、父親は必死で追いかけボールにすがりつき、そして抱きしめる。それが愛する息子であるように。  やがて妻は男に捨てられ戻り、直後に息子も捕虜交換で戻ってくる。しかし息子の夢は破れたようだ。なぜなら、帰ってきた息子は出征する前より、どこか荒んでおり、しかも上官である中隊長が、頭が大丈夫ならきっと何らかの形で大成するはずだと父親を慰めているからだ。三人がもとの官舎に戻ったとき、つぶれてしまったボールが庭先に落ちている。それはミロシュの夢が潰えたことと同時に、父親のルカの喪失感や絶望をも象徴しているように思える。このボールといい、あるいは上着といい、ちょっとした小道具の使い方が何ともいえない情感を醸し出している映画だった。 . . . Read more

ちょっとした感想(『さよなら、さよならハリウッド』)

2007-09-05 23:27:44 | 映画
 確か1930年代から40年代のハリウッドで全盛をきわめたスクリューボール・コメディでは婚約者たちは不意の闖入者の登場によって結婚のチャンスを奪われるものだと書いていたのは蓮實重彦だったが、この『さよなら、さよならハリウッド』でも、あっけないほどのご都合主義の連続でひとつの婚約関係が破棄されてしまう。 . . . Read more

パトリス・ルコント『髪結いの亭主』

2007-09-03 22:12:38 | 映画
 男は過去の甘美な夢に生きつづけ、女は過去を封印し、ただ現在にのみ生きる。  男は少年時代からの夢(あるいは妄想と呼ぶほうが正確か)を具現化するための最高の女を手に入れる。愛される対象であることだけを望んだ女は男の愛を受け入れる。少年時代の夢のままに時間が静止したような空間はいつも柔らかな光に包まれ、心地よい香りに満たされている。そこで他者との、あるいは外の世界との関わりを極力断ちながら、男はひたすら心地よい空間に閉じこもろうとする。 . . . Read more

吉田喜重『鏡の女たち』

2007-08-30 00:02:01 | 映画
 祖母の愛と孫の夏来、そして夏来が幼児のころに失踪した愛の娘であり、夏来の母親である美和かも知れぬ正子という記憶喪失の女。三つの世代の三人の女たち。この三人の女たちの血縁関係をめぐって二種類の言説が交錯する。ひとつはDNA鑑定による血縁関係を証明しようとするもので、これは被爆した米軍兵士のドキュメンタリー制作のために取材するテレヴィ局のディレクターによってなされるさまざまな資料をもとにした検証と合わせて個人史を科学的・客観的な「事実」に基づいて語ろうとする態度といえる。そしてもうひとつは女たちの想起に基づく語りで、この二つの語りが交錯しながら、正子=美和の血縁関係に関する問い、そして正子と夏来のアイデンティティに関する問いをめぐってストーリーは進められる。 . . . Read more

諏訪敦彦 『H Story』

2007-08-19 23:33:32 | 映画
 映画監督・諏訪は現代の広島で、レネの『二十四時間の情事』をマルグリット・デュラスの脚本をまったくそのままに、「H Story」というタイトルでリメイクしようとする。しかしながらキャストはそうした諏訪の意図が理解できない。諏訪自身もデュラスのテクストをそのままリメイクする意図を問い返され、困惑する。とりわけ主演女優ベアトリス・ダルはデュラスのテクストを自らの肉声として発話できないことに苦痛を感じ、やがてさまざまなトラブルを経て撮影は中止となる。  『H Story』はこの頓挫した映画「H Story」についてのドキュメンタリーという体裁を装った架空のドキュメンタリーだ。 . . . Read more

アラン・レネ『二十四時間の情事』

2007-08-19 01:40:55 | 映画
 映画の撮影のために広島にやってきたフランス人女優と原子爆弾によって家族を失った日本人の建築家。女が帰国する前日からの24時間が多様な声と多様な映像を多層的に折り重ねながら描かれていく。そして映画における歴史の叙述、想起と忘却、あるいはまた狂気といったテーマが考察されるだろう。とりわけ記憶という主題と滑らかな移動撮影にレネらしさを感じる。 . . . Read more

ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』

2007-08-04 22:19:20 | 映画
 人はたえず外界を解釈しようとし、そこに何らかの記号(何らかの意味するもの)を読み取ろうとする。外界の解釈によって見出されたいくつもの記号がやがて物語への欲望によって何らかの文脈として統御される。そして生成された物語の意味は解釈者の恣意に委ねられる。独立した断片的なイメージをモンタージュすることで何らかの物語を語る映画もまた同様だろう。ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』はこうした誰しもが取り憑かれている解釈することの病とそれに依存する映画そのものの仕掛けを自己言及的に描いている。と同時に映画は過去の出来事がどのように蓋然性を有するのかということについての問いを含んでいる。  写真家が主人公であるということでいえば、ついヒッチコックの「裏窓」を想起する。何気ない日常的な情景が覗き見る解釈者の視点で不穏なものに変容する点で軌を一にする。「事件」は主人公の解釈の中に存在する。ヒッチコックが主人公の構成した「物語」の文脈を共有する協力者を用意し、その協力者を通じて彼の事象に解釈にこめられたひそかな欲望を同時に描きながら、鮮やかな手際でサスペンス映画に仕立て上げたのに対し、アントニオーニは映画の方法それ自体をストーリーの中に持ち込み、ストーリーそのものを自己解体させていきながら、過去の「事件」は、諸々の出来事を一定の文脈の中で配置し直し、さらにそれらを時系列に沿って再配列した物語の中にしか存在せず、しかもその「物語」が共有されない限り、蓋然性を持たないことを示していく。 . . . Read more

青山真治『シェイディー・グローヴ』

2007-06-12 23:13:45 | 映画
 " Boy meets girl. " 一組の男女がこの世界で一度出会い、大きく迂回して次にどこにもない場所で出会う。ただし、ラヴ・ストーリーではない。むしろラヴ・ストーリーがはじまるまでを描いている。二つの世界は粒子が粗く紗がかかったようなヴィデオの映像とフレームの端を丸く切り取ったしっとりとして瑞々しい肌合いのフィルムの映像で描き分けられる。そしてこのフィルムの中の世界(*1)が今は宅地造成で失われた森、つまり題名ともなっている”Shady Grove”であり、この森を写した写真が二人を結びつける夢の通い路となるが、この夢の回路は最初から開かれているわけではない。  ところで藤尾、甲野、小野、宗近という登場人物といえば『虞美人草』をつい想起する。ただしこの作品は漱石作品の映画化というわけではない。確かに藤尾は独善的で小野を婿養子にと考えたりもするが、自ら毒杯をあおって死ぬことはないし、甲野は浮世離れした青年だが哲学的な思惟をめぐらし藤尾の批判者となる、というわけではない。しかも甲野は藤尾を死んだ双子の妹に重ね合わせようとするが二人は兄妹ではないし、小野と宗近の間に接点はない。何より映画はエゴイズムに押し流される人間の悲劇を主題としているわけでもない。エゴイズムへの批判は小野を通じて戯画的な挿話として描かれるだけで、この映画はこういってよければ、むしろ独我論的なテーマを扱っている。 . . . Read more

是枝裕和『DISTANCE』

2007-05-14 00:02:05 | 映画
 あるカルト教団が不特定多数を対象とするテロ事件を引き起こす。実行犯たちは事件後教団の手で殺害された。そして教団自体も追い詰められた教祖の自殺により消滅した。事件から3年目の夏、山深い静かな湖に四人の男女が集まってくる。彼らは実行犯たちの遺族で、毎年命日になると殺害されたあとその灰を撒かれたこの湖に集い、死者たちを追悼していた。  彼らは無論加害者ではないし、むしろ彼ら自身にとっても加害者となった家族は理解不能な他者としてあるのだけれど、社会はかれらを加害者の関係者と見なす。そうした彼らの微妙な立場を映画はさりげなく描いていく。(たとえば、一番年長の男は事件後再婚して名前を変えているようだ。)彼らは湖水に向かって突き出した桟橋でめいめいに思いをめぐらしながら死者たちを追悼する。ところが下山しようとすると、途中まで乗り合わせてきた自動車が盗まれてしまっている。しかも山中のその場所は携帯電話の電波も届かない。そしてこの四人の男女にもう一人、この日この場所を訪れたが、やはり乗ってきたオートバイを盗まれた元信者の青年が加わる。彼は実行犯の一人となるはずだったが、直前に脱走したのだった。日没が迫っていることもあり、彼らは実行犯たちが最後の日々を過ごした湖畔のロッジに一泊することになる。  こうして彼らは一時的に戻るべき「日常」から遮断され、彼らの「日常」の枠組の外部へ去った理解不能な他者であり、しかも社会的には赤の他人とは見なされぬ他者との関係を見つめ直すことになる。それは、距離を時間的に縮減する機械を失い、空間的に無化する道具が無効化されることで、近くて、しかも絶対的な隔たりの向こうにいると思っていた(あるいは思い込もうとした)他者との心的距離を死者たちについての記憶や元信者の青年の証言を通じて見つめ直すということなのだろう。そうして、それはなぜあのような行為に到ったのかという問いに向き合っていくことでもある。その問いは遺族たちにとってあくまでも答えの見つからない謎として了解することで自らを「日常」の側に結びつけていた、そういう類の問いだ。 . . . Read more

是枝裕和『ワンダフルライフ』

2007-05-06 23:29:04 | 映画
 死者たちは死後、ある施設に向かい、そこで1週間を過ごす。その施設で彼らは最初の3日以内に生前の記憶の中からたった一つの思い出を選び出さねばならない。その思い出は施設の職員の手で映画として再現される。死者たちは7日目に再現されたイメージを見ながら、他のすべての記憶を失い、自分が選び取ったただひとつの思い出だけをもってあの世へと旅立つ。  映画は22人の死者たちが、この施設にやってくるところからはじまり、その翌週、次の死者たちがやってくるまでの8日間の出来事を描く。そして死者たちの語る思い出話と彼ら自身の葛藤、そして彼らの話を聞き取る面接官たちのドラマを交錯させながらひとつのストーリーに纏め上げていく。この施設の職員たちは、何らかの理由であの世とこの世の境界にあるこの施設にとどまった人たちだ。  何より、この施設自体に心惹かれる。おそらく戦前に建てられたのであろう、今は使われていない大学の研究施設跡のような建物で、冬枯れた木立になかにあるその佇まいやそこに置かれたひとつのひとつの家具や什器などのディテールがこの場所に不思議なリアリティを持たせていて、これらを選び、また撮影用に整えたであろう監督や美術監督の仕事ぶりが見事だ。そして壁の灰色と机や椅子、窓枠などの濃褐色が作り出す落ち着いたトーンの画面に鮮やかな彩りを添えている花々。あるいは冷やりとした空気に支配された室内に差し込む光線は幻想的でしかも優しげだが、これはスモークでその存在を強調しているのだろう。 . . . Read more

是枝裕和『幻の光』

2007-05-04 23:47:35 | 映画
 映画の前半で主人公の内面に大きな影を落とす二つの事件が描かれる。  一つは少女時代の祖母の失踪であり、もう一つは夫の自殺である。主人公は見送る人であり、家を出て行く祖母を制止しきれず見送ってしまい、祖母はそのまま帰らなかった。仕事の途中に自転車を置きに帰ってきた夫を通りまで見送った日も夫は帰ってくることはなかった。主人公はこの二人の背中に向かって今も問い続ける。  「なぜ出て行ったのか」  「なぜ死んだのか」  祖母の失踪は死に場所に向かうためのものであり、したがって最初の問いは  「なぜ死を目指していったのか」 とも置き換えられ、列車の進行方向に向かって一切後ろを振り返らずに歩き続けた夫に関しても同様に置き換えられるだろう。  だが、死者は永遠に戻ってこない。だから主人公がいくら問いかけても答えを返してくることはない。生者と死者との間に横たわる深く絶対的な断絶ゆえに、この問いは予め答えが封じられた問いであるともいえる。  そこでこの答えのない問いは、自らに対する問いへと反転する。  「なぜあのとき引き留めなかったのか」  「なぜあのときその兆候に気づかなかったのか」  しかし、この問いも、問いを発する今と「あのとき」との絶対的な距離ゆえに、かりに答えを見出せても、意味のある問いとはならない。ただ自責の念となって主人公の内面を苛むだろう。そこで主人公は祖母の死以来、喪に服しつづける。 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』

2007-04-09 00:10:25 | 映画
 ポルトガルのリスボンからインドのボンベイへと向かう豪華客船の旅。歴史学者のローザ・マリアはボンベイで夫と落ち合い、そのままヴァカンスを過ごすために娘のマリア・ジョアナとともに乗船したのだった。船は途中、マルセイユ、ナポリ、アテネ、イスタンブール、ポートサイドに寄港し、そのたびに書物で学んだことを自分の目で確かめるために歴史学者は娘を連れて地中海周辺に栄えた文明の跡を訪ねる。  大航海時代のエンリケ王子の記念像、ギリシア人が始めて西欧に文明をもたらした場所、ポンペイの廃墟、アクロポリスとデュオニソス劇場、ギザのピラミッド、聖ソフィア大聖堂など、諸文明、諸国家の興亡が母娘の会話のなかで語られていく。  そして船が寄港するたびにさまざまな人々が乗りこんでくる。フランス人の実業家、イタリア人の元モデル、ギリシア人の女優という三人は、なかでもポーランド系アメリカ人の船長の賓客として夜毎、食卓を囲む。  四人の会話はそれぞれの人生をその背景となるそれぞれの国の現代史や文化と重ね合わせながら語るというもので、話題はいつしか現代文明の抱える諸問題とあるべき未来へと進んでいく。四人はそれぞれの母語で優雅に語り合う。 . . . Read more

マノエル・ド・オリヴェイラ『家宝』

2007-04-08 01:07:00 | 映画
 二人の女と二人の男が美しい渓谷の田園地帯の中で入り組んだ人間関係を形成する。美しく、その人柄を誰もが称讃するカミーラは家政婦の息子ジョゼと相思相愛の仲だが、ギャンブルに狂う父親のせいで家は傾いており、ただ金のために愛してもいない資産家の息子アントニオと結婚する。カミーラとジョゼとアントニオは幼馴染でもあり、ジョゼのいかがわしいビジネスのパートナーであるヴァネッサはアントニオの結婚前からの愛人で、カミーラとの結婚後も公然と関係が続いている。  この四人にジョゼの母親のセルサとポルトに住む有力者らしきロペール兄弟、そしてカミーラの家族などが絡み、それぞれの人物の組み合わせによって局面が変化しながらストーリーが展開し、最後の最後に意外な結末を迎える。とりわけ「二重人格者」ジャンヌ・ダルクをひそかに信仰するカミーラと聖母マリアに敬虔な祈りを捧げるセルサの関係が、対照的でありながら互いが互いの分身のようで興味深い。セルサはカミーラの援助者の一人であり、カミーラはセルサの秘密をただ一人知る人間となる。そして怜悧な指し手のように確実にチェック・メイトに向けて周到に周囲の人物たちを駒として配していく主人公の一手一手。 . . . Read more