ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

カルリの「アレグレット」と「ワルツ・フォー・デビー」

2006年10月28日 | 音楽
 フェルデナンド・カルリは18世紀イタリアの作曲家でギター用のエチュードとか教則本の曲をたくさん書いた人らしい。ビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」には、ネタがあってそれがこのカルリ作曲の「アレグレット」の一つらしいということが、立ち読みしていたある本に書かれていた。

 調べてみるとカルリの「アレグレット」といわれる曲はたくさんあって、どれが、それにあたるのか、思い当たるものにはまだ出会っていない。でも、確かに「ワルツ・フォー・デビー」のキンーコーン、キンーコーン、キーンという高い音で始まるメロディーにはバロック時代のギター曲の小品といった趣はある。そのアレグレットを一度聴いてみたいもんだ。クラシックギターを習っている方ならきっと分かるんじゃないかなー。

 そういえば、ジョン・マクラフリンが、エヴァンスが亡くなった後、1993年にエヴァンスへ捧げたアルバム「タイム・リメンバード-プレイズ・ビル・エヴァンス」を出している。そこでマクラフリンは、エイグェッタ・カルテットというアルゼンチンのクラシックギターの5重奏団と一緒にエヴァンスの演奏をなぞりながらギター版「ワルツ・フォー・デビー」を奏でているが、これがとてもギターに合っていて、もしルーツがギター曲ならそれもうなずけるということなのだろうか。同じアルバムの「ウイ・ウィル・ミート・アゲイン」が泣けます。
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祝ブログマガジン「マンフラ」創刊1周年!

2006年10月25日 | アフター・アワーズ
 ブログをはじめて1年がたった。ブログマガジンなんて銘打っているけれど、個人的な日記のつもりでやっているので、読んでもらう工夫などはしていないが、たまにタイトルにたとえば「ハンカチ王子」などと入れるとアクセス件数がドンと増えたりするし、それでも見ず知らずの方からコメントやトラックバックがあれば、読んじゃったのね、どーもありがと、と思いながら、少しは気の利いたことも書かなければなんて思うと、これはいけませんね。苦情やクレームもこの場では止めておこうと思うけれど、行き場を失った憤懣がときどきマンフラしてしまうのはいたし方ないか。できるだけはしたないことはやめておこうと思うが、まあ、日記だからとしておこう。
 日記など20年以上付けていなかったし、ときどき、同じ本を買ってしまうこともあるので、こうして読んだ本や映画や音楽の記録を残しておくと、自らの行状を振り返る資料にはなる。そんなわけで、一人でマンフラ1周年を祝っているのであったが、えー、なんだか左の顔面が腫れてきていて、たぶん奥歯からきているんだろうが、別に痛くはないけど腫れていて、ムーンフェイスならぬ半月顔、ハーフムーンフェイスかクレセントフェイスか、行きつけの歯医者は休みだし、あー憂鬱だなー。 
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嗚呼、風の歌の残菊賞

2006年10月23日 | アフター・アワーズ
 菊花賞はエルコンドルパサー産駒のソングオブウインド、3着はありかと5-12-13、12-13-18の3連複2点買い、なんのことはない、5-12-13-18のボックスにしときゃあ、当たっていたのに、残念! 武兄の大逃げで、ひさびさ面白いレースだった。想像通りのレースだったけれど、実績からサムソン、ドリームの3着内は堅いと思っていたのに、競馬は何が起こるか分かりませんね。
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ちょいセンチなファラオの3ダース「ウェルカム・トゥー・ラブ」

2006年10月20日 | 音楽
サンダース軍曹じゃないよ。サンダー杉山でもない。1ダース、2ダース、サンダース、えー、ファラオ・サンダースです。「ウェルカム・トゥー・ラブ」このファラオは、顔に似合わずちょっとセンチです。

コルトレーンの「バラード」をファラオにやらせちゃった、いかにも日本人企画の「バラード集」と思ったら、これが意外にいい。ファラオにとってはココロのボス、コルトレーンへの愛を健気にうたっています。天まで届け1ダース、2ダース、サンダースの愛!師匠の歌い方をこわさず、まるでなぞるように吹いていながら、すれすれでファラオ・サンダースが顔を出してくる。ソプラノ・サックスで奏でる師匠のフェイヴァリット・ソング「アイ・ウォント・トーク・アバウト・ユー」、いつも師匠はこの曲になるとソプラノをテナーに持ち替えていたっけ、ならば試しにソプラノでやらしてみてくださいというわけで、かなりスウィートでラブリーな1曲になっている。

えー、あの顔に似合わず。もう、ファラオたっら優しいんだから。
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全車禁煙したのに不健康

2006年10月20日 | アフター・アワーズ
 およそ乗客サービスなどに気を使わなかった鉄道会社が、オーナー逮捕をきっかけに少しはサービスを改善しようと車内広告などで盛んに自社PRしているのだが、長年しみ付いた体質は変わらないらしい。そもそも大学が3つもあり乗降客も少なくなかろうECO田の駅は、まるで田舎の無人駅のような佇まいで、もしかしたら卒業生のノスタルジーでもあてにして修繕さえしないのかしらんと思ってしまうが、沿線の駅でエレヴェーターやエスカレーターに出くわしたら僥倖というものだ。

 まあ、こういう塩梅なのでこの鉄道会社がいまさら何をしても驚かないが、10月から全車禁煙になった特急に乗って驚き、また怒りさえこみあげてきた。

 喫煙車両になっていた車両がそのまま禁煙車になっているので、たまたま非喫煙者がその車両に当たると、長年喫煙車として使った車両には、積年の煙草の臭いがこびりついていて卒倒しそうになり、不快きわまりないのだ。健康にもこれはいいはずがない。衣服にも臭いが付くし、鼻と口をハンカチで覆っている女性客もいた。しかもシート、肘掛、テーブル、壁、天井は黄色く変色し、肘掛に付いている灰皿には、「使用禁止」の赤いシールがベタリとはってある始末。なんだか倒産した中小企業の事務所にでも監禁されたような気分なのだ。この会社の中のサディスチックな反禁煙グループの謀略によって非喫煙者を無理やりこの不健康な車両に押し込めようとしているのではないか。一度社内の煙草を吸わない女性か重役の奥さんでもいいからこの車両に乗せてみたらいい。全車禁煙とPRするなら、元喫煙車両の内装替えか徹底した清掃くらいしろよといいたい。

 そんなわけで一度乗って懲りたので、しばらく使わずにいたのだが、元喫煙車両に当たらなければいいかと券売機に金を入れ出てきたのは、ああ、またしても“死の元喫煙車両”ではないか。ならばと、案内所の駅員に他の車両への交換を申し出ると、特急料金を返金しようとするので、「もう一度買ってまた“死の元喫煙車両”が出たらどうするの?」とたずねると、しばし逡巡した挙句、「特急券はこのままでいいですから○号車の○番の席に座ってください」。なんでも予備席というのがあって、指定された座席はその予備席なのだという。半信半疑で乗ってみると、確かに誰も使ってはいず、その日は“死の元喫煙車両”からは免れたのだが、なんといったらいいのか、こんな具合にその場しのぎをしていていいのかいなと思ってしまう。その折、駅員に「元喫煙車両は煙草臭くて」というと「そうなんですよねー」だと。そーだよね、みんな分かってやっているんだよね。

 この鉄道会社の利用者の皆さんは、もし特急に乗る機会があって“死の元喫煙車両”に当たってしまったら、必ず席を交換してもらうよう申し出て、せめてもの抗議の姿勢をしめそうではありませんか。ちなみにこの会社のホームページのご意見コーナーにも投書しましたが、もちろん返答はありません。
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カシワの大学デザイン

2006年10月19日 | 
 広告批評が「大学をデザインする」とのタイトルで、佐藤可士和さんによる明治学院大学のブランディング活動を特集している。

 1992年が18歳人口のピークだった大学業界では、その頃がバブル期で、やがて来る大学氷河期に備えてとの目論見もあったのだろうが、時代がバブルだけにおよそ先のことなど本気では考えもせず、ちょいとおしゃれな衣替えをUI(ユニヴァーシティ・アイデンディディ)などと称して、マーク・ロゴなどを作り変える大学が目白押しだったが、それは目に見える旗印のリデザインにとどまり、大学の中身の改革にまでは至らなかった。UIでずいぶん稼いだ広告代理店もあったろうが、いまや18歳人口の減少は底知らずの右肩下がり、45%の学部・学科が定員割れ状態、倒産する大学も出てくる始末で、そんな時代だからこそとりわけ私立大学はあの手この手で生き残りに必死、すわビジネスチャンスと大手広告代理店も、今度は「大学のブランディング」という生き残りプランを売り始める。ではUIは何だったのかとここではいうまいが、TVCFなどを展開した大学もあって、まあ、それがブランディングに結びついたかどうかは疑わしい。大学業界もいまや勝ち組、負け組の2極化が深刻で、負け組に足を突っ込んでしまえば、中途半端な広告展開などでは立ち直りは難しかろう。

 そうした中で、明学のブランディングは佐藤可士和という超売れっ子デザイナーを起用し、本気にさせた時点で、成功ではなかっただろうか。大手広告代理店などに無駄な金を使わず、なんでも学長が広告批評の天野祐吉氏を介して可士和氏に白羽の矢を立てたとのことで、明学の建学の理念を「do for others」と分かりやすく、徹底的にデザイン化する堅実にして大胆で継続的な活動を展開しているところに好感がもて、今後この活動がどう志願者に結びついていくか注目されるところだ。何よりも看板、大学案内はもとよりシラバスからユニフォーム、記念品のお菓子に至るまで新しいデザイン活動によって生まれたものが学生たちに指示され、それが母校への誇りにつながっていることがすばらしく、それはやはり佐藤可士和というブランド力もあっただろう。

 中身の改革がどうなっているかはよく知らないが、デザイン活動が教育の中身の再構築につながっていけば、ブランド校などといわれている東京6大学などとは、一味違ったブランド力を発揮できるのではないか。願わくばスーパーフリーのようなバカが出てこないことを。
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炎立つまぐわいに震える車谷の「忌中」

2006年10月18日 | 
 久しぶりの車谷。愛と死をめぐる強烈な純愛小説集だ。純愛小説ブームなどといわれ数多登場した恋愛小説に関心はないが、読まずとも分かる、これら凡百の小説は、ここに収められた物語の前にひれ伏すだろうと。

 表題作の「忌中」は、寝たきりの妻の介護に疲れた夫が、妻から懇願されて妻を殺害し、押入れの茶箱に入れたまま死体と一緒に暮らし続ける一方、妻の後を追う覚悟を決めてサラ金から金を借りまくり、死ぬまでの短い期間をその金で貢いだヘルスセンターのマッサージ嬢と遊興し、もはやこれまでというところで、自宅の玄関に自ら書いた「忌中」の紙を張り、首をくくって妻のもとへ行くというお話し。男は毎日家に買ってくると茶箱のふたを開け、次第に肉が崩れていく妻の亡骸を確認しながら一緒にいることの幸福感を味わっているのだった。

 バブル崩壊で経営が破綻した中小企業の夫婦が一家心中する「三笠山」は、最後の旅行で二人の子供の首を絞めて殺し、その後悲しみのどん底で最後のまぐわいをして翌朝、車の中で排ガス心中する。「堕地獄のやぶれかぶれの炎立つまぐわいにいくどとなく震え」と死に至る性の歓喜が表現される。この夫婦は高校時代一緒にハンセン病施設を訪ねた縁でお互い魅かれあっていたが、妻のほうは再婚で初恋の男とようやく一緒になったのだった。悲惨な人生の結末であっても「私幸せだったわ。田彦さんと一緒になれて」という妻の言葉が泣ける。

「神の花嫁」では、「長崎26殉教者記念像」の作者で知られる彫刻家・舟越保武の「病醜のダミアン」のモデルになったダミアン神父の話が出てくる。ハンセン病患者の心を理解するため自らハンセン病になってその救済に全人生を捧げたダミアン神父。舟越保武の作品は、病に犯されたダミアン神父の姿を描いたものだが、残念ながら患者たちの要望で公開されていないが、このくだりには心が震える。

 存在することが罪ならば罪あるものこそ美しいとさえ思えてしまう物語群なのだった。
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いつかハンカチ王子が王子駅で

2006年10月18日 | 
 いくら日差しが強くても頬をかすめる風は、まぎれもなく秋を感じさせる日曜日に、原宿の太田記念美術館に歌麿を観に行った帰り、混雑の原宿駅を避けて代々木まで歩いていると、ビルの日影で感じた秋の風に急に懐かしさがこみあげてきて、それは、もう20年以上も前に晩夏のフランクフルトの街頭で感じた風の感触で、一気に20年の時と空間が一緒になってしまったような不思議な感覚を味わったのだった。

 堀江敏幸の小説は、どこかそんな感覚と似ていて、実際、堀江敏幸の小説ではある言葉や出来事をきっかけに物語は縦横に過去や小説などの異空間にワープする。その緩やかな横移動のカメラのような展開が実に気持ちいい。

 甲子園がハンカチ王子でにぎわった夏が過ぎて、ビル・エヴァンスなんかが似合いそうな季節になってきた本屋で目にしたタイトルが堀江敏幸『いつか王子駅で」だった。

 これはもう「Someday My Prince Will Come」のもじりに違いはあるまいと、そういうセンスを賞賛しつつ早速購入して読み始めると、物語は懐かしい競走馬の世界やら不覚にも名前を知らなかった作家・島村利正の「残菊抄」の世界に、長回しのカメラのようにゆっくり、そして自在に移動しては戻ってくるのだった。やがて主人公が家庭教師をしている大家の娘咲ちゃんの国語の宿題で、ある短編小説を読んでタイトルをつけるというのがあって、主人公は、一読それが安岡章太郎の「サアカスの馬」であると分かるのだが、結局後日咲ちゃんは「サアカスの馬」のタイトルにサーカスも馬も使わない「靖国神社のお祭り」というまったく別のタイトルをつけ、その咲ちゃんの感性をどこかで賞賛しているのは、これが宿題で出たらどう考えたって「いつか王子駅で」というタイトルはつくまい物語に、そうつけてしまうあたり、どこかいい加減に見えながら実はきっちりとした戦略がある作家の告白のようにも読めるのだった。同じ作家の『ゼラニウム』という短編集には「アメリカの晩餐」というのがあって、これもヴェンダースの「アメリカの友人」と「アメリカの叔父さん」というフランスの譬えをもじっている。

 そんなわけで、確かにこの小説は王子が舞台なのだが、そして終盤で「かおり」の女将と王子駅で待ち合わせもするのだが、その小料理屋の名前がタカエノカオリという競走馬にちなんでいたり、陸上部の咲ちゃんが200メートルを走るシーンをテンポイントになぞらえてしまったり、これはもう競馬ファンが涙するような小説で、実際ラストシーンを読みながら不覚にも目頭が熱くなってしまったのだった。
 今度の日曜は菊花賞だが、この小説に出てくる島村利正の「残菊抄」でも読みながら、菊の3連複でも考えてみよう。
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雨の日に並んで「風神雷神図屏風」を観にいく

2006年10月02日 | 絵画
 国宝『「風神雷神図屏風」宗達・光琳・抱一琳派芸術の継承と創造』展を最終日夕方にいそいそ観に行った。やたら長いタイトルだが、宗達・光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が一堂に展示されるという、今後しばらくはないだろう展示とあって日曜日は雨にもかかわらず出光美術館は長蛇の列、入場制限されるほどだった。この3作品の同時展示は東京では昭和4年以来、宗達の屏風は京都建仁寺所蔵だから関東ではなかなかお目にかかれないだけに、まあ出光美術館も驚きの人出ではなかったろうか。

 それでも中に入れば、宗達の国宝以外は比較的人垣は少ない。この3点以外は出光美術館所蔵の抱一の「紅白梅図屏風」や「燕子花図屏風」、伝尾形光琳「紅白梅図屏風」などが揃い琳派好きにはうれしい展示ではあったが、それらは本来なら、例えば光琳ならMOA美術館所蔵の「紅白梅図屏風」、抱一なら「秋草図屏風」があって、タイトルにあるような「琳派の継承と創造」が完結されるはずなのだ。だが今回は、この屏風3点揃い踏みでよしとしておこう。

 なんといっても白眉は宗達だ。光琳は宗達を、抱一は光琳を模写したといわれ、抱一は宗達の屏風の存在は知らなかったという。宗達オリジナルの迫力が勝るのは、描写力もさることながら、その画面の切り取り方、空間の処理の仕方だろう。安土桃山の豪気とひょうげものというような前衛的な造形力を残した宗達の屏風、その宗達への光琳なりの本当の回答はあの国宝「紅白梅図屏風」によってだったのだと思うとこの展示会におけるその不在がなんとも惜しまれるのだった。 
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ディープの野望はまだ続く!

2006年10月02日 | アフター・アワーズ
 サッカーワールドカップで日本がオーストラリアに負けたときの悔しさに似ていると倅がいう。でも期待値が違いすぎる。

 一度さし返すかに見えたけれど伸びなかった。深夜のため息。いつものディープインパクトではなかったのだろう。最後にもう一段ギアが入らなかった。馬場状態とか、重量差とかそういうハンディなどとは別次元で勝ってきたのがディープだったのだ。勝った2頭も強かったのだろうが、格が違うはずだ。何が原因なのか。凱旋門賞前にフランスで一戦していたらどうだったのだろう。馬の闘争心の問題だったような気がするからだ。悔しいなー。妙な愛国心を表明してしまうようだけれど、かつて2着とはいえエルコンドルパサーは外国産馬だった。ディーブ・スペクターが日本代表でマラソン2着になったようなもんだ(なんか違うかな?)。内国産馬がヨーロッパを制覇する信長のような夢はまたしてもかなわなかった。次の機会にあの空飛ぶ馬、ペガサスの勇姿を海外で見せてほしい。やっぱりディープはすごいと紅毛の民に言わせてほしい。
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