ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

上野に行ったら宝丹を買って帰ろう

2008年09月17日 | アフター・アワーズ
 フェルメール展を観に上野へ行ったついでに、池之端仲町通りにある守田治兵衛商店の胃腸薬の逸品「宝丹」(10g・1,500円)を買う。守田治兵衛商店は、なんでも延宝8年(1680年)創業で、現在13代目という東京最古の薬舗。宝丹は文久2年(1862年)創薬というから150年近い歴史をもつ。小さなアルミ缶に入った散薬で、夏の暴飲暴食で疲れた胃には、なんともすっきりここちよい。西南の役、さらには日清・日露の戦争では兵隊さんの必携薬として活躍したという。これさえあれば、今日もお酒がおいしく飲めるというもの。

 守田治兵衛商店がある仲町通りは、不忍通りの一本裏の道というのだろうか、日が落ちればネオン街の灯りがともるにぎやかな通りだが、そばの「蓮玉庵」、指物の「京屋」など老舗も多い。漱石の「我輩は猫である」にもこの仲町通りは待合の多い街として紹介され、もちろん宝丹も出てくる。実際、待合や芸者の置屋が多かったのだという。そんな往時を忍びながら歩くのも楽しく、さらに湯島方向へまわり松坂屋の斜め前にある「うさぎや」でどら焼きを買って帰ったのだった。
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フェルメールの女たちに会ってきた

2008年09月13日 | 絵画
 東京都美術館で開催の「フェルメール展」を見てきた。平日の夕方近く、それでも入場に10分待ちの表示。実際には待つことなく入れたのだが、あらためてその人気ぶりに驚く。

 フェルメールそのものは、全39点のうち7点。これだけの点数を一挙公開は初めてということだが、サブタイトルの「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が、フェルメール展と名乗る言い訳のようでもある。ピーテル・デ・ホーホをはじめデルフト派の画家たちとフェルメールとを分かつものは、光と影のとらえ方、透視図法という技法に溺れるかどうかではないかと思えた。デルフト派の画家たちが、技法を描くのに対し、フェルメールは市民の日常を縦の構図の中に描く。意外だったのは、「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」などは、全体がかすみがかったような淡い色彩だったことで、「ワイングラス~」の女性のドレスのオレンジがやけに鮮やかに強調されていることだった。しかも主人公の女たちはみんな真珠の耳飾をしていた。奥行きのある縦の構図は、小津や溝口やウエルズのあるシーンを思わせ、フェルメールは17世紀のすばらしい映像作家だと思ったしだい。残念なのは、「私はフェルメール」と豪語したメーヘレンの作品が展示されなかったことだ。いかに似ているのか、その違いを見たかった。
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シヴァドって誰だ

2008年09月11日 | Jazz★TANKA
シヴァド名乗る帝王の 
黒い律動(ファンク)
紅き唇 葬送の詩


 シヴァドはSIVAD。帝王マイルスのアルバム「ライヴ・イヴル」の1曲目。まるでヒンドゥーの神、シヴァ神を思わせるタイトルですが、「DAVIS」をひっくり返しただけの倒語と思われる言葉遊び。これを神に思わせてしまうところが帝王マイルスたる所以か。ラッパを吹いた後の唇はセクシー。黒人の赤い口腔はバタイユのエロチシズムの定義を想起させます。
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アルマゲドンなゲリラ豪雨雲

2008年09月11日 | アフター・アワーズ
 今夏各地に甚大な被害をもたらしたゲリラ豪雨。全く地域限定で、目黒は豪雨だが新宿は快晴なんてことも珍しくない。写真は、7日の日曜日に我が家のほうに向かってくるゲリラ豪雨雲。暮れなずむ街を覆う黒雲が不気味で、さながらアルマゲドンな様相。1時間後には豪雨がやってきて、1時間ほどで過ぎていった。
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阿部定がナイチンゲールでアルゼンチンはリリアナ・エレーロなのだ。

2008年09月10日 | 音楽
 雑誌『東京人』10月号の特集「アウトロー列伝」がおもしろい。アウトローという言葉そのものが、死語になりつつあるような時代に、なかなか骨のある企画で楽しめた。アウトローとは法の外を歩くが、掟に生きる反骨の人とでもいおうか。義侠の人・平岡正明が座頭市への愛を語った一文がすばらしい。勝新こそ、アウトローを演じて右に出るものがない最強のアウトロー俳優だろう。

 アウトローといえば男性をイメージするが、この特集では阿部定を唯一女性として列伝に加えている。お定さんは刑期を終えた後、名前を変えて職を転々とするが、その後どうなったかまったく不明という。あれだけの有名人なのだからいくら名前を変えたとはいえ、亡くなれば風の便りに噂が聞こえてこよう。だからもしかしたら100歳を越えてまだ存命かもしれない、といったおもしろすぎる推理さえ呼び起こす。世間の外に消えたのでアウトローというわけだが、阿部定事件あと、ちんちん電車で女性車掌が「切符切らせてください」というと車内が爆笑に包まれたという有名なエピソード、この話は中学時代に野末陳平の本で知って以来、僕の大好きなアネクドーツの一つだ。男はアルゼンチン、女はナイチンゲールなんてーのもあった。

 チンがチンを呼んだのか、アルゼンチンの歌手リリアナ・エレーロをおととい知った。「風の告白」というアルバムを貸してくれる人がいて、iPodに入れて通勤電車で聴いていたら、6曲目の「アルガモンテのサンバ」で目頭が熱くなった。大地を撫でるようなざらっとした声だが、豊かな伸びのある高音、自在に声色を操りながら悲しさと力強さを湛えた歌声は心にしみる。アタウアルパ・ユパンキの「ギターよ、教えておくれ」なども歌っていて、フォルクローレの名曲を集めたアルバムらしい。ギター一本の伴奏で歌い上げる楽曲がなんといってもすばらしく、アルゼンチンの女性大御所歌手、メルセデス・ソーサをして後継者と言わしめたという。「アルガモンテのサンバ」を聴くべし。

 ユパンキは、25年くらい前、スペインのバルセロナで幸運にもコンサートをみることができた。教会前に拵えたステージで、教会の扉をギギッと開け、ギター一本抱えたユパンキが登場したとき、間違いなくオーラが差していた。かつての征服者の国でインディオの哀歌を歌うユパンキにいたく感動したものだ。リリアナ・エレーロの歌はしばらく忘れていたユパンキやあのときのバルセロナの風などを思い起こさせるのだった。
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お国のためなら2、3の犠牲なんて、「土呂久」は終わらない。

2008年09月09日 | 映画
 日曜日、等々力にある川崎市民ミュージアムで開催されている公害映画特集の1本「咽び唄の里 土呂久」(伊藤宏一監督/1976年)を観にいった。この映画の監督である伊藤さんは、仕事で20年以上前からお付き合いをさせていただいているが、こうした硬派なドキュメンタリーを撮っていたとは知らなかったし、さらにいま、次回作のための取材を始めていると聞いて、がんばる団塊おやじにいささか羨望の念を抱いたのだった。

「土呂久」は、宮崎県高千穂町の山村岩戸にある土呂久鉱山の公害問題を扱っている。ここでは採掘された硫ヒ鉄鉱を原始的な焼釜で焼いて、亜ヒ酸を製造するいわゆる「亜ヒ焼き」が行われていた。この過程で、有害なヒ素を含んだ煙が村を覆い、廃棄物から出るヒ素が地面や川に流れ込み、家畜、農作物への被害、村民への深刻な健康被害を与えたというもの。鉱山は廃鉱になったが、その後も放置された焼釜や廃棄物から垂れ流される鉱毒は、子どもたちの健康にも影響を及ぼしていた。

 土呂久の公害は、子どもの異変に疑問を持った土呂久の小学校教師の告発(1971年)により世間に知られることになったが、管理者である行政や鉱山会社の対応は、全国の公害問題を抱える自治体と同じで、実に不誠実なものだった。村民の訴えにニヤニヤと小ばかにした態度で臨む当時の宮崎県の役人たち。早くから健康被害を訴えていた住民に「農家の2、3つぶれても産業のない村に鉱山は利益をもたらす」とあからさまに発言する町長(村長?)など、この映画に記録された役人の姿は、いまも変わらない。「お上のやることに文句をいうな。小さな犠牲はしかたがない」なのだ。コンプライアンスだ、ロハスだと喧伝しても企業の姿勢だって基本的には変わっていなかろう。

 映画は、告発から1975年に土呂久の住民たちが宮崎県や鉱山会社を相手どって公害訴訟を起こすまでが記録されている。フィルムは裁判資料として買い上げられた関係もあって、この映画が一般に上映されるのは、数十年ぶりらしいが、その後、訴訟は1990年に和解が成立したものの、鉱山会社の責任は問わないことが条件となった。土呂久公害の認定患者は今年の調査で177人、存命者は50人。だが、公害認定に至る以前に、多くの住民、鉱山労働者(この中には朝鮮人強制労働者が含まれる)が鉱毒被害で亡くなっているのである。

 さて、映画の中でも少し触れられていたが、土呂久で製造された亜ヒ酸は、戦時中、毒ガス製造に使われ、中国大陸で国際法違反の毒ガス兵器として使用されていた。土呂久の住民たちも深刻な被害に悩まされながらも、非国民と罵られることを恐れ、環境の改善を訴えることもできず国策に従っていたのだという。この毒ガスを製造していたのが、広島県にある瀬戸内海の大久野島。ここでも当然ながら毒ガス製造工場で働いた労働者が健康を害し死亡しているが、さらに陸軍は、終戦時に、これらの違法な毒ガス兵器、材料を地中に放棄するなどの隠ぺい工作をしたのだが、これが戦後になって、たとえば広島市の出島東公園における環境汚染などとなって露呈したのだった(1973年に広島県が出島に毒ガス原料を埋設していたものが露出)。

 土呂久鉱山の公害問題は、公害だけでなく、毒ガス兵器、朝鮮人強制労働、環境汚染まで、実に多くの問題を含んでいる。映画「土呂久」は、公害というテーマと同時に、実はこの毒ガス兵器、戦争の問題を扱うつもりだったらしい。しかし、あまりの問題の大きさに断念したそうだが、その志は忘れているわけではなく、伊藤さんは「土呂久」から改めて再出発したいと語っていた。

 小川紳介、土本典昭、佐藤真といった公害を扱った優れた日本のドクメンタリー作家が亡くなっている今日、そして安直な日本映画が跋扈している志なき時代に、一撃をくらわす映画をつくってほしいと思うのだった。
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シネマな休日、20世紀少年は2度ベルを鳴らさない?

2008年09月08日 | 映画
 土曜日とはいえ、18時40分からの最終回ならきっと空いているだろうという予測どおり、わが街の映画館では「20世紀少年」(堤幸彦監督)も20%くらいの入りで観ることができた。原作漫画は超ベストセラー、それゆえ漫画と映画の比較があれこれいわれがちだが、映画はスクリーンに映し出された映像以外ではありえないのだから、漫画との比較などおよそ無駄なことだ。

 そもそも脚本に原作者たちの名前が入っていることが、原作の解体が困難であったことを感じさせる。そうした環境の中で、監督はよくやったという声もあるようだが、「徹底して原作に似せた」というように、映画であることを放棄し、敗北感を自ら制作意図として語らなければならないのだから、2作目からは監督を替えるべきだろう。無理なら3作目でもいい。ドリームワークスにでも頼むべきだろう。というより、コミックス22巻+2巻の大作という原作の長大さへの屈従と3回うまい汁を吸おうという製作者の目論見から、3部作というスケールになったのだろうが、これをせいぜい2時間半程度にまとめるのが映画人の腕ではないのか。世界征服を目論む邪悪なカルト教団と幼馴染を中心とした市井の戦士たちの戦いを描いた近未来冒険アクション、これでいいのだ。

 ところが、残念ながらこの監督には映画的な才能が欠如している。ヒーローと悪役の登場の仕方は冒険活劇ではいかにあるべきか、その思慮さえ欠いている。初めて「ともだち」が登場する集会でのサスペンスの欠如(それゆえカルト教団の不気味ささえ表現できない)、ロックコンサートでともだちが、空中浮遊というイリュージョン的な演出のなかで、さながら降臨するように登場するこの映画の中で最も重要なシーンの一つを、浮遊する足を背後からとらえたアップ(会場の聴衆は驚きの表情だが、映画の観客が驚く演出をすべきだろう)、同様の前面のアップ、引きの全身を入れたショットという、まったく緊張感のないショットでつないでしまうという安直さで処理してしまったこと、これにはガッカリだった。

 まあ、それほど期待していたわけではないけれど、「原作に似せた」というキャスティングはなかなか面白かった。とりわけトヨエツのオッチョ、石橋蓮司の万丈目は秀逸。誰が作曲したのかエンディングロールのバックにかかるケンジの歌がなかなかよい曲であった。

 この日は午後から、録画してあったルキノ・ヴィスコンティ監督「郵便配達人は2度ベルを鳴らす」を、夜中のBSで中原俊監督「コキーユ」を鑑賞して、けっこうシネマな一日なのだった。「郵便~」も「コキーユ」もいわば不倫もののメロドラマなのだが、「コキーユ」は中年のせつない恋を描いた儲けものの佳作。でも女性はこの映画はダメだと思う。徹底して男性目線のストーリーだもの。風吹ジュンがせつなくていい。ジュンちゃん演じる直子にとって同級生の浦山(小林薫)は、中学時代からのあこがれ。その思いが30年後に同窓会をきっかけに伝わり、やがて2人は一夜を共にする。妻と別れることを切り出す浦山に直子は、「あなたの幸せをこわすつもりはない、恋ができて私は幸せ、また同窓会で会えればいい」と幸せそうに語る。こんな男にとって都合がよすぎる不倫相手がいていいものか。いてほしい(風吹ジュンなら)。それ故、浦山は直子の死という制裁を受けなければならない。映画は、直子を失った浦山が、数年後(翌年?)の同窓会で直子を追悼する場面で人目も憚らず号泣するシーンで終わるのだが、僕も同じ立場だったら号泣するよと共感してしまう、それもこれも風吹ジュンの直子があまりにせつなくてかわいい(ちょっとこわい)からだ。そんな映画なのだった。
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