ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

新宿歌舞伎町から映画館が消えたって知ってた?

2010年02月05日 | アフター・アワーズ
 出張で久々に北海道やら福岡に行くなど、なにかせわしなく新年を過ごしているうちに節分になってしまった。年をとると1週間や1年が早い。もっとゆっくり人生を楽しみたいのに。これは、きっとドンドンいろいろなことを忘れていくからなのだと僕は思っている。断片的に忘れてしまうので1日が短いのだ。1日のすべての出来事を記憶していた少年時代の1日の充実さよ。もちろん日々充実していないわけではないが、そんなことさえ忘れていく今日この頃なのだ。

 新年になって歌舞伎町を歩いてみて驚いた。コマ劇場の周辺にあった映画館が東急ミラノとシネマ・スクエアを残してすべて閉館になっていたのだ。「えっ! 知らなかった!」というわけだが、オデオン、グランドオデオン、アカデミー、オスカー、ジョイシネマ、新宿トーアなどなど、昨年の秋から冬に次々と消えていっていたのだ。

 これらの映画館は、なんといっても金曜夜のオールナイトがありがたかった。終電車に遅れるたびによく利用した。入れ替えなどという無粋なことはしないので、1回目で前半を観て眠り、2回目で後半を観て、1本制覇なんて具合。オールナイトが終わっても私鉄の一番電車にはまだ早い。駅の近くのロッテリア(もうありません)にいくと、そこは、何か訳ありの奇人変人の見本市のような世界で、新宿にいる醍醐味をとことん味わえるのだった。昨年7月にオスカーで「愛を読む人」を観て、その体育館のような広さに昭和の臭いを感じつつも、こんなに空いていて大丈夫とは思っていたが、そんなオヤジの郷愁などあっさり打ち砕くほど、歌舞伎町の現実は厳しいのだった。街が年をとったのだ。かつて毎夜のように通った飲み屋もなくなり、雑居ビルも空き店舗ばっかりで寂しい限りだ。猥雑なパワーがなくなっては、もう歌舞伎町ではないかもしれないが、再開発などしてほしくない。むしろこのまま廃墟になっていく姿をみてみたい。

 そういえば、浅川マキさんが亡くなった。68歳という年齢に少し驚いたけれど、スポーツライターの玉木さんが朝日新聞で追悼文をよせていた。浅川マキについて語ろうとすると自分史を語らなければならないと、とても愛情の感じられるレクイエムになっていた。ぼくは「かもめ」のシングル版と近藤等則らのかなりフリーな演奏とコラボした「ONE」というLPをもっているくらいだが、もっと聞いておけばよかったと悔やむ稀有なジャズシンガーでした。合掌。喝采。
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