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ドミニク・サンダに誘われて「暗殺の森へ」

2005年12月21日 | 映画
 「暗殺の森」を観る。ベルトルッチがドミニク・サンダのみに関心を注いだ映画ではないか。黒い服を着て足を広げる娼婦にさせ、顔に傷をつけ、レオタードにさせ、白い胸を露わにさせ(ありがとう)、同性愛的なダンスを踊らせ、冷たい森に誘い出し、恐怖に顔をひきつらせ、顔面を赤い血で汚す。この官能的な瞳と唇と微笑みをもった女優を蹂躙するためにこの映画をつくったのか。そう、だから私たちはドミニクに誘われて冷たい暗殺の森に迷い込めばいいらしい。

 前作「暗殺のオペラ」では、裏切りの革命戦士であった父、本作では精神病院にいる父、次作「ラスト・タンゴ・イン・パリ」では、アルジェリア戦争で戦死した軍人の父、いずれも父親の呪縛から解き放たれることが主人公たちの行動原理になっている。そしていずれも解放への突破口を開くのが拳銃である。これがベルトルッチ70年初頭三部作の基本構図だ。

 ジャン・ルイ・トランティニャン演じるマルチェロは、少年時代に自分を犯しそうになった変態ホモ野郎を拳銃で殺した過去がある。精神を病んだ父と使用人と姦通する母親の尋常ならざる血をひく宿命から解放されるため体制順応者(ファシスト)となることを求めるが、少年時代のトラウマから拳銃を撃てない不能のファシストであり、新婚の妻とも、妻にはない娼婦性を見出して一目惚れの反ファシズム派教授の妻アンナ(ドミニク・サンダ)とも交わることができない。

 終盤、ファシズム政権が倒れた場面でマルチェロには子供が生まれており、冷たい森での教授夫妻暗殺の現場(一目惚れのアンナが目前で殺されることを見過ごす)を通過することで、マルチェロは完全なる体制順応者になり、不能者からも解放されていたことが分かる。

 だが、ファシズム政権が倒れ、ファシスト狩りが始まったた夜に、マルチェロは殺したはずの変態ホモ野郎に出会い、これまでの存在の根拠が一気に瓦解してしまうのだった。そしてホモ野郎に向かって「こいつはファシストだ」と臆面もなく言い放ち、新たな体制に迎合するところで物語は幕を閉じる。

 「すべてを国家のもとに、国家の外にいるもの、国家に反するものがいてはならない」とは元祖ファシスト・ムッソリーニのことばだ。国家をアメリカにおきかえれば、現在の世界が鮮明に見える気がする。そして、あちこちに「Il Conformista(体制順応者)」が跳梁跋扈している。「暗殺の森」は、70年代初頭という政治の季節の終わりにつくられたが、市民であることの欺瞞と退廃に銃口を向けた過激で美しい映画なのだった。

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1 コメント

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Unknown (inoso)
2016-03-23 04:45:40
マルチェロが同性愛者であったことはもちろんわかりましたよね…?
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