ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

世界観という枕詞

2006年03月30日 | アフター・アワーズ
 世界観について一言いっておきたい。

 最近若い芸能人などが、「この作品の世界観がすき」とか「この歌の世界観に共感した」などと、世界観という言葉をよく使う。もちろんここでいう世界観とは、哲学でいうweltanschauungではない。唯物論的世界観とか神学的世界観というような、世界の統一的なとらえ方、根源的な原理といった意味ではなく、もともとはゲームの舞台設定とか作品世界のコンセプトといった意味で使われていたのが、そのまま業界に広がったのではないかと思う。大塚英志の「キャラクター小説の作り方」でもよく使われていた。

 最新ファッションの前で「この世界観がいいよね」なんて言っている姉ちゃんたち。どーもしっくりこない。およそ世界観という言葉が、これまでの人生の辞書の中に存在しなかった人たちがクールな流行り言葉の一つとして使っているのだろうが、こうなると言葉は独り歩きを始め、ゲーム業界で使っていた舞台設定とかコンセプトからも離れて、もはや自分の好みやお気に入りを語るときの「枕詞」のようになっていく。ラーメン食べても「この世界観がうまいよね」とか、無意味にしてなんでも使えるといえば使える実に便利な言葉になっていくのだった。

 これは「世界観」にとって幸せなことなのだろうか。もはや読まれなくなった哲学書、思想書の中でドラキュラのように復活を待つ「世界観」がいいのか、本来の姿ではないが、こうして若い姉ちゃんにも芸能人にも愛される無意味な「世界観」がいいのか。棺の中で静かにしていたのに無理やり引っ張り出された「世界観」は、芸能人や姉ちゃんたちの可愛らしい口で語られれば語られるほど、いずれボロボロになって捨てられることになるだろうし、「世界観」もそのことはよく知っているはずだ。とりあえず、ラーメンを食べても、くれぐれも「このラーメン、世界観がいいよね」とはいわないようにしよう。
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花見の友は燗番娘

2006年03月29日 | アフター・アワーズ
 四ツ谷の土手を市ヶ谷方面へ花見しながら歩いた。

 四ツ谷のキオスクではビールや冷たい酒しか買えなかった。まだ花見の季節とはいえ夜は冷える。あったかい酒が飲みたいとキオスクで聞いてみるとここにはないが市ヶ谷のキオスクならあるという。ビールを飲みつつ市ヶ谷方面へ歩き、さっそく駅のキオスクで聞いてみた。

「燗番娘ありますか」。

 キオスクのおばさん「ほれ、そこに」とワゴンを指差す。あるではありませんか「燗番娘」。

「四ツ谷で聞いた方でしょ!」。えっ!連絡入ってたの。すごいぞ、キオスクおばちゃんネットワーク。

 私の花見が赤の他人にも祝福されているような幸福感と一緒に、さらに市ヶ谷から飯田橋方面へ土手を行き、まず私大会館裏のベンチで「燗番娘」を一刺し。ここのくだりがちょっとエロ。待つほどに火照ってくる燗番娘のナイスボディ、冷えた頬をくっつける。もう我慢できんとご開帳、一気に口をつけてすすったのであった。身も心もあったまる「燗番娘」、花見に連れて行くならこれに限る。
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不思議な漱石の磁力、「行人」の海の存在感

2006年03月29日 | 
 漱石「行人」を読み終える。
 登場人物の名前は作品ごとに簡略化していく。「行人」では、登場人物は一郎、二郎、直、貞、Hとどんどん記号化しているようだ。

そもそも漱石は名前とかタイトルに結構無頓着な人だったのではないか。長女は妻が悪筆なので、筆子としたとか、6番目の伸六さんは申年生まれなので人になるようにんべんをつけて伸、6番目なので合わせて伸六だとか、「それから」の書生与次郎は落語の与太郎のもじりだろうとか、凝っているとも結構いい加減ともいえるが、やっぱりなんか適当な感じがして、そういうところが漱石はいいと思う。

 ほぼ3分の2は主人公二郎が一人称「自分」で語る物語で、後半は、Hさんが二郎に宛てた一郎との旅行の報告をつづった手紙形式になる。手紙の終わりが、この小説のエンディングになっているが、こんなに長い手紙は、いくら細かい字で封書にしてもさぞかしボリュームがあろう。当時の郵便料金は結構したという話だから、Hの手紙ほどの分量だと相当な金額だったのではないかと思ってしまう。

「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、○○の話とか○○の手紙といった形式で物語の核心が告白される。とりわけ「行人」では、Hによって一郎の思想、不安定な精神の根拠がつづられるのだが、一郎の存在の不安は漱石自身の不安の告白でもある。しばしば漱石の理想の女性のようにいわれる、「坊ちゃん」の清やこの小説ならば貞は、頭と行動が一致した自然な存在として漱石の対極にある。考えなくもよいことを考えなくてはならない存在であること、文明の転換期における知識人の不安に漱石は何故それほどこだわったのだろうか。しかも男女の物語として。

 海が大きな役割を演じている。ことさら海に記号的な意味が付与されているわけではないが、海の場面を映像としてイメージするとき、その海の存在感は圧倒的である。

「彼岸過迄」にしても「行人」にしても、当時の読者はこれをどう受け止めたのだろう。とても前衛的な小説ではないだろうか。「それから」「門」までの物語としてのスタイルを逸脱しているし、何も解決されはしないのだから、読者の読後感は決して爽快ではあるまい。毎日毎日、Hの手紙が続く連載新聞小説というのはなんとも不思議な感じがする。なぜ、大しておもしろくもないこの物語にひきつけられるように読んでしまうのだろう。この漱石の磁力はなんなのだろう。
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サン・ラーと酸辛湯麺の出会い

2006年03月24日 | 音楽
 油井正一のDJが聴きたいと思っていたら、ミュージックバードで3月から土曜の夜に40年まえに放送された油井さんの「ジャズの社会史」を再放送している。東京エフエムはいっぱい音源が残っているはずだからミュージックバード以外でも放送してくれないかな。

 ところで怪人サン・ラー率いるアーケストラのドキュメントDVDが今日発売されるらしい。分厚い伝記も出版されていたと思うが、そんなにサン・ラーに興味を持つ人がいるんだろうか。サン・ラーはジャズ界のなかでも出色の奇人変人だと思うが、電子楽器の導入はマイルスなんかより早かったし、スウィングとフリーフォームをミックスした摩訶不思議な世界をつくりだしていた。

 自慢じゃないが、とちょっと自慢すると、20年位前にベルリンのジャズフェスで、かのアーケストラのカルチェラタンという小ホールでのライヴを観たことがある。サン・ラー最晩年だったと思うが、コスミックな舞台装置とチープな電子楽器の使い方、R&Bとスウィングとフリーが渾然一体となった演奏に奇妙な舞台パフォーマンスとが合体して、実に飽きないステージだった。アルトサックスとトロンボーンが音で擬似セックスするハチャメチャなパフォーマンスがあったかと思うと、一転してチャプリンの「smile」を切なく合奏してみたり、後にも先にも体験することのできないいかがわしいライヴだった。

 アース・ウインド&ファイアーの宇宙船ステージはきっとサン・ラーアーケストラの模倣だと思う。そういえば、サン・ラーとコルトレーンの顔は似ている。サン・ラーくらいスラップスティックな感覚がコルトレーンにあったら、もっと長生きしたろうかと考えたが、そうしたらコルトレーンがサン・ラーになっちゃって、サン・ラーブラザースになっちまう。

 そういえば、近所に黒酢たっぷりの旨い酸辛湯麺(サンラータンメン)を食わす店があったっけ。サン・ラーはやはり黒い!怪人サン・ラーに食わしてやりたかったなー。
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油井正一を聴け!

2006年03月17日 | 音楽
 音楽について語るのはいつももどかしい思いをする。このブログだって、ただよかった、感動したと、贔屓のミュージシャンや好きな曲を愛でて言っているだけで、その楽曲や演奏から受けるイメージを何かにたとえて伝えようとはするけれど、どこがどういいのか具体的に語るわけではない。
 
 だいたい友人同士でもあれいいよねとかサイコーだよとか、かっこいいとか大体そんな言葉ですましてしまう。あとは好き嫌いを語るだけ。そうなると70年代以降のマイルスはロックだから聞かないとか、コルトレーンなんてどこがいいとか、我執のぶつかりあい。俺はロリンズ派だとか、ゲッツ派だとか、やたら派閥をつくりたがるのもジャズファン。ジャズ雑誌の評論もだいたいそんなもんだ。

 映画や文学、絵画など目に見えるものを批評するのは、引用や対象を具体的に示す方法やら記号学的手法とかいろいろあろうが、インプロヴィゼーションがいのちのジャズの場合は、どこがどういいのか、感動的なのかを具体的に示すのがむずかしい。アドリブを採譜して、ここのコードの解釈の仕方がすばらしいとか、あそこのE♭の使い方が新しい、というような方法はあるだろうが、Jポップスのヒット曲を楽理的に分析した批評があったけれど、それ以外ではあまりお目にかかったことがない。いわゆる印象批評でよいものはよいし、ジャズを手段に思想を語るのもよい。スノッブな知識の披瀝や好き嫌いをモットーに心情を吐露するのもやむをえないとはいえ、いまだ多くのジャズ批評が「エモーショナルでブリリアントなプレイ」とか紋切り型の表現でお茶を濁しているのは、困ったもんだと思う。パブリシティが主体になっている状況が変わらないこともある。

 それだけにこの人の名を忘れては困ると思うのが故油井正一さんだ。油井正一さんは、人生がジャズであり、ジャズをジャズとして語るその「語り」が芸になっていた数少ない批評家だった。ジャズマンに愛情を注いだが批評では媚びない。油井さんの粋な講談調といわれたDJは音が残っていないのだろうか。また聞いてみたいと思っていたら、油井さんの母校慶応義塾大学のアートセンターに、故人が蒐集した膨大なジャズ資料約1万点が寄贈され、「油井正一ジャズ・アーカイブ」として整理されつつあるのだという。つい最近そのことを知り、すばらしい話だと思った。油井さんの著書でいま手に入るのは「生きているジャズ史」くらいなだけに、その資料の公開や油井さん自身の著作の出版も待たれるところだ。
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ジュクのジュンクでジュンと会う

2006年03月17日 | 
 ジュンク堂で夏目鏡子述「漱石の思い出」(文春文庫)、江藤淳著「夏目漱石 決定版」(新潮文庫)、三島由紀夫「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」(新潮文庫)を買う。

「漱石の思い出」「夏目漱石 決定版」はなかなかほかの本屋で見つからなかったので、ジュンク堂えらいぞ! 新宿の三越の7、8階にある店舗は背の高い書架形式の陳列なので商品数が非常に多く、たいがいの本がみつかる。国書刊行会の幻想文学全集などもしっかり揃っていて、ここへ来るとつい長居になる。目的の本を探すにはとても探しやすい。ベンチでやすめるのもよい。本好きにはうれしい本屋さんだ。

「漱石の思い出」は以前図書館で上装本を借りて読んだが、そばに置いておきたい1冊なので文庫を探していたのだった。この本は、久世光彦が演出したTVドラマ「夏目家の食卓」の原作の一つにもなっている。

 江藤淳の「夏目漱石 決定版」では漱石が作った英語の詩について触れられているが、なんとこれが浪漫派的なのでびっくり。まったく漱石という人は奥が深い。江藤淳は、漱石は饒舌で理屈っぽい作家だが、読んだあとその「理屈の小骨が残らない」と評している。大変的確でうまい表現だと思った。

 さてさて週末は天気もよく温かそうなので、谷根千方面でもでかけてみようかいな。
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こんにゃくとエロと戦争

2006年03月15日 | アフター・アワーズ
 こんにゃくのサイコロステーキを出す店があって、甘めの醤油タレと揚げニンニクがきいてうまい。ステーキというより、サイコロ状に切ったコンニャクを表面がカリッとするまで揚げるのだそうで、表面に網目に切れ目を入れておくのがコツらしい。

 こんにゃくで思い出したが、高校時代に「温泉こんにゃく芸者」とい東映のお色気路線の映画があった。中島貞夫監督、夢はこんにゃく風呂を作って昇天したいというおやじが出てくる話だったと思うが、山上たつひこの「新喜劇思想体系」でも、ピンナップガールの写真を貼った壁に穴を開けて、そこに手でちぎって人肌に温めたこんにゃくを詰めて一人でよがるなんてシーンがあったっけ。

 夏目漱石は、胃潰瘍で入院中に、お腹を温めるために使っていた治療用のこんにゃくを、あまりに腹がへってちぎって食べてしまったという。こんにゃくで温熱療法というわけだ。

 こんにゃく恐るべしと思うのは、戦争末期、日本軍のアメリカ本土攻撃の最終兵器として作られた風船爆弾で、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作り、1944年から9,300個が製造されたという。全国の農家、こんにゃく業者がこのために供出し、当時、日本の貧しい食卓からはこんにゃくが消えたのだという。

 さて、その風船爆弾は、アメリカ本土に1000個とも270個とも言われる数が落下し、山火事などの被害を及ぼした。米政府は細菌爆弾の搭載を恐れ、国民には徹底して情報を隠したというが、1945年5月5日、オレゴン州南部のクラマス湖付近の森林公園へ車でピクニックに出かけた宣教師のアーチー・ミッチェルは、連れていた妻のエルシー・ミッチェルと日曜学校の五人の子供達をこの風船爆弾の爆発によって失った。先に森に入った妻たちが、木にひっかかっていた風船爆弾に興味津々で触れたところ爆発したのだという。これが第二次世界大戦におけるアメリカ本土での日本軍の攻撃による唯一の戦死者だったのである。

 不幸なことにこの牧師は、その後再婚したものの、ベトナム戦争時に布教活動のため南ベトナムに滞在中、1962年5月30日にハンセン氏病療養施設でべトコンに拉致されその後行方不明になった。

 5月か、いい季節なのに。北朝鮮が細菌兵器搭載の風船爆弾を開発したといううわさもある。こんにゃくとエロと戦争の話でした。
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センセイいけません!

2006年03月13日 | アフター・アワーズ
 久世光彦追悼ということで「センセイの鞄」をWOWWOWで再放送していた。川上弘美の簡素化された言葉の世界が映像になると具体的な俗世間として描かれてしまうので小説の世界に似ているけれど異なった世界になっていた。キャスティングは悪くないと思ったし、小泉今日子の衣装がよかった。月子とセンセイが床を共にするシーン、終局のクライマックスの一つで小説の通りの展開ではあるけれど、あーゆう影像ではみたくなかった。抱き合うシーンなんていらないんだけど。センセイまぐわっちゃいけません!

 川上弘美の小説は食い物が常に過剰にあふれる世界なので、ここはもっと過剰に、うまそうに描いてほしかった。

 漱石の「彼岸過迄」を読了。いわゆる修善寺の大患から復帰しての第1作、探偵小説風な前半と須永の手紙、松本の話という後半部分でがらりと趣が変わって、終わり方もよく分からない閉じ方。なんともすっきりしない読後感ではあった。停車場で探偵らしきアルバイトをしながら、敬太郎がのちに千代子と分かる女の存在が気になって、頭とふるまいが混乱するくだりは、おもしろかったけれど、途中でどこか気力が萎えたように思える小説ではあった。「行人」に期待しよう。

 まったく話は違うが、S部鉄道が最近お客様窓口を開設したとか、お客様の声を反映して駅舎の改善に努めているとか車内広告でPRしている。ここの路線は車内広告が少なくて、いつも関連企業の窓上広告などで埋めてあるのだが、自己PRするほども、お客が実感できないのがいかにもこの会社らしい。オーナーが逮捕されるまで、社員の頭には乗客サービスという言葉は存在しなかったようで、いつも乗せてやっているといった態度が感じられて不愉快な思いをしたことが何度もあった。駅舎は老朽化しているし、改札の位置が誠に不便な駅もある。特急や臨時を除いて始発から終点まで乗り換えなしでいける列車がない。遠距離の利用者は相当不便だろう。定期券や特急券は自動販売機を設置すればいいのだからどこの駅でも買えるようにすればよいだろうに、いまだターミナル駅でしか買えない。劇的改善もないのに、こんな自己PRは最近流行の偽装にも似てまったく誠意が感じられない。それでも私はこの傲慢列車に乗らなければならないのだった。
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漱石「門」が気に入りました。

2006年03月08日 | 
 えー、まったく忙しくてブログも更新できなかった。
 
 そんななかで、漱石「門」を読了、「彼岸過迄」を読み始めた。仕事のプレッシャーと格闘する日々だったので、「門」ののどかな日常描写と宗助が抱える不安にまったく共感してしまった。

「門」は実に何も事件らしい事件が起きない小説だ。というか事件後の夫婦が都市を隠れ家にして密やかに生活しているので、何かが起きては困るのである。毎日決まった時間に電車に乗って役所勤めに出かけ4時には帰る、そんな平凡な生活を繰り返す宗助は、新聞が伊藤博文の暗殺を伝えても騒がない、公務員の給与が5円もあがろうといってもことさら関心は示さない。弟の小六に学費継続問題の調整を依頼されても先延ばしにするばかりで積極的にことの解決にあたろうとしない。横丁のとっつきの崖下の家、しかも崖の斜面は殺風景でその上には家主が住んでいる。噂では大家は羽振りもよく毎日にぎやかな暮らしぶりらしく、まったく宗助の生活とは対照的だ。

 ずっと何かの不安が宗助のなかにしこりとなって消えていないのである。それは後半明らかになるが、生活費の足しに売り払った抱一の屏風が偶然家主の家に渡ったことを知り、よせばいいのにのこのこと見に出かけ、挙句にそれは自分が道具屋に売ったものだと告白までする始末。
 
 それがきっかけで、この大家の弟で満州馬賊みたいなのが帰ってきており、同じ仲間に安井という宗助がその名前を最も恐れている友人の存在が極めて間近になっていることを知るや、もはや不安は頂点に達し、いきおい禅寺に修行と称して逃げ込むのである。禅門をくぐれば不安から逃れられるくらいの気持ちだから修行に身が入るわけではない。不健康な容貌になったくらいで何も得られぬまま修行を終えて帰ると、安井は満州に帰ったと聞き、胸をなでおろす宗助、そしてふたたび退屈で波風を立てない生活が再開されるのだった。

 それにしても、なぜ、宗助は、一人で安井の存在が身近になったことの不安を抱えたままで、妻に告げて二人で共有したり、対策を立てたりしないのだろう。なぜ、漱石は宗助のような人間を描いたのだろうか。いろいろ不思議な小説ではある。「それから」でも「門」でも相手の女のほうがクールで割り切っているんだよね。主人公だけが偏執的に焦りまくっているところもおかしい。「門」は、漱石の小説には珍しく、主人公が役人でサラリーマンというのもおもしろかった。仕事の悩みなんてまったく描かれないのもおもしろい。
 
 漱石の小説は、出だしがどれもいいが、「門」の秋の縁側での日向ぼっこと夫婦の会話シーンもすばらしかった。
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