ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

WBCで最も美しかったのはメキシコ戦9回裏、周東選手の逆転ホームインの走りである

2023年03月24日 | アフター・アワーズ

WBCで最も美しかったのは、準決勝メキシコ戦で9回裏に逆転のホームインした周東佑京選手の走塁だった。バックネット側から、その迷いのない滑らかな走塁をワンショットでとらえた映像は、野球の周回する身体運動としての魅力を伝えて見るものを興奮させる。四球の吉田選手(歯が白すぎる)の代走として思い切りよく周東選手を送った監督の采配は確かに素晴らしいが、それはドラマとしての野球の面白さだ。この周東選手の走りこそ予定調和を超えた生々しい運動としての野球の魅力だろう。映像を見ると、村上選手が打った瞬間に迷いなく走り出し、打球の行方を確認している大谷選手を挑発するように一気にスピードを上げると、大谷選手が慌てて走り出すようにも見える。そしてホームインのスライディングも美しい。いや、サイコーでした。余計な見出しがうるさいけど、その映像をどうぞ。

https://m.youtube.com/watch?v=rZQCEDkaq9g

ところで、サムライJAPANという呼称には、神国日本とか兵隊日本とか鬼畜米英的なスローガンの匂いがあって、いささか違和感を持っている。たぶん「侍ニッポン」あたりが源流なのだろうが、◯◯ジャパン、◯◯ニッポンの高揚感に何でも収斂させてしまうことは、どこか危ない予兆のように思えてしまう。

そもそも「侍ニッポン」は1931年発表の郡司次郎正の小説で、同じ年に日活で伊藤大輔監督、大河内傳次郎主演で映画化、さらに西条八十作詞の歌まで出て大ヒットした。「人を切るのが侍ならば恋の未練がなぜ切れぬ」と武士の道義と恋の間で苦悩する男の心情を歌っているが、小説は、大老井伊直弼の隠し子として生まれた主人公新納鶴千代の剣術と恋と葛藤が、尊王攘夷盛んな時代を舞台に展開され、桜田門外の変に至る父子の悲劇で終わるというものだ。以下は、美空ひばりが歌う侍ニッポン。映像には東映で東千代之介が主演した同名映画の一部が使われている。

https://m.youtube.com/watch?v=P73c2yP_9o0

1931年、昭和6年は満州事変が勃発した年であり、大陸での戦争が拡大していく時代なので、◯◯ニッポンというスローガンは戦意高揚の時代の雰囲気に合っていたのだろう。しかし、新宿にムーラン・ルージュがオープンしたりエノケンが一座を旗揚げするなど、まだまだ国内は華やかさもある一方、東北地方は冷害、凶作で、娘を身売りに出すような生活を強いられる時代でもあった。侍ニッポンの小説も映画も歌も(メロディの出だしは勇ましいが)内容は決してそんな勇ましくないのは、時代の明暗を反映していたとも言える。
原作の郡司次郎正は、軍国化が進む当時、少なからず大衆の中にあった共産主義への憧れと反感の心情を武士の葛藤に重ねて、共感を得ようと意図したのだという。企画は大当たりだった。

昭和の初めの時代と今を重ね合わせて、危険な時代などというつもりはないが、侍ニッポンとサムライJAPANには確かに同じ匂いが漂っている。

侍ニッポンを原作にした岡本喜八監督の「侍」。主演は世界のミフネ

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ドン・シーゲル監督「殺人者たち」はナンシー・ウィルソンが歌うToo Little Timeとシェルビー・コブラの暴走の競演に酔う

2023年03月02日 | 映画

とある仕事がひと段落して、無性に映画館で映画が観たくなる。間違いなくこれぞ映画という映画が観たい。そうだ菊川のStrangerでドン・シーゲル特集をやっているではないか。時間を見れば「殺人者たち」(1964年作品)に間に合いそうだ。

全国広しといえどドン・シーゲルをまとめて観られる映画館なんてここしかない。リー・マービン、アンジー・ディキンソン、ジョン・カサヴェテス、ロナルド・レーガンというキャストを聞いただけでぞくぞくする。

冒頭、クローズアップの黒眼鏡に映る黒眼鏡の男リー・マービン。ずかずかと2人で盲人施設に入ってゆき、受付の老女を恫喝し、挙句におもいきり床に叩き落すという荒業。リー・マービンの相棒クルー・ギャラガーは、花瓶の花を抜いて水を机に意味もなく流し、呼び鈴をチンチンとこれも意味なく鳴らし続ける。その後2人は銃を取り出し、マービンは皮の鞄から、いかにも重たそうなサイレンサー付きのコルトを取り出す、二階へ上がり、お目当ての標的ジョン・カサヴェテスにこれでもかと銃弾を浴びせ、さっさと施設を後にする。この一連のシークエンスの無駄のない展開とアクションに、ああ、今日はこの映画にしてよかったと心底思うのだった。

そして殺人のあといきなり走る列車のショットに代わり、コンパートメントで向かい合う殺し屋二人に切り替わる。これもまた見事な展開だ。こんな塩梅にこの映画の魅力を語っているとキリがないのだが、映画的な拵えのすばらしさだけでなく、この映画はいろんな楽しみ方ができる点でも稀有な作品だ。

まず、政治家になる前のドナルド・レーガンが重要な悪役として出演していること。レーガン最後の長編映画と言われている。

レーガンとその情婦のアンジー・ディキンソン

また、レーサーのジョン・カサヴェテスがレースで乗る車が、1962年デビューして間もないシェルビー・コブラ260で、フォードの4.2ℓV8エンジン搭載の車の爆走が観られるのも楽しい。映画の中ではレース中の事故で炎上するのだが、この炎上シーンは、レース場で実際に起きた事故の映像だという。

さらに、カサヴェテスを色気で悪の道へ引きずり込むファム・ファタル、アンジー・ディキンソンが、カサヴェテスと2人で踊るナイトクラブの歌手が、ナンシー・ウィルソン。そこでピアノトリオをバックに歌っている曲が「Too Little Time」。ヘンリー・マンシーニが「グレンミラー物語」のテーマ曲として提供した曲で、映画のその後の展開を考えると、まさにつかの間のお楽しみではある。こういうところも泣かせます。ところで、ナンシーは生涯70枚以上のアルバムを残し、いわゆるスタンダードといわれる曲はもれなくアルバムにしているのではないかと、この曲を歌っているアルバムを検索してみたのだが、全くない。だから、ナンシーの歌は「殺人者たち」でしか聞けないのである。とても素敵なバラードなので、トロンボーンのビル・ワトラスとヘンリー・マンシーニ楽団の演奏とアニタ・カーシンガーズのコーラスをはっておこう。

Henry Mancini & Bill Watrous, 'Too Little Time' - Bing video

Henry Mancini & Bill Watrous, 'Too Little Time' - Bing video

 

ちなみにこの映画の音楽は、ジョニー・ウィリアム、のちの映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズであります。

映画の終わり近くで、アンジーを連れてホテルから出てくる暗殺者ふたりが狙撃される俯瞰ショットに続き、ライフルのケースを肩にかけたレーガン、そしてレーガン亭でアンジーと落ち合う室内シーンから一気に爆走してくるリー・マービンのセダンの画面に切り替わる展開は素晴らしい。これこそ映画だと大満足の夜なのだった。

モノクロ三作は未見

札束をにぎったレーガン

 

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