ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

水墨画にチャレンジすることにした雨の土曜日

2010年03月15日 | マンフラ・ギャラリー
 この土日は久々にお天気だったけれど、2週間くらいは雨の土日が続いた。スケッチにでも行こうと思っているとこんな塩梅。そんなわけで、ベランダから見える枯木をスケッチすることにした。描いているうちに欅だか桜だか分かんなくなったが、これは桜ということで。鉛筆ではなく顔彩の筆ペンで描いていたら案外よかったので、落款を押してみたらなんとなく様になった。

 そもそも等伯を観たからというわけではないが、水墨画ってどう描くのだろうと思ったのが始まりだ。まずは道具からと、息子の習字セットがあったはずと探してみたが見つからず、硯と墨と筆を買った。図書館で本を借りてきたら、もともと日本では禅宗との関係が深いため、水墨画を描くことも行の一つみたいで、墨のすり方から座り方と姿勢、新しい筆の下ろし方と持ち方、落款の押し方までこと細かに心がまえが書かれてある。落款などはむやみやたらに押してはいけないのだそうで、これはと思う一番優れていると思われるもののみに押すのだそうだ。これでは、ぼくなど落款の押し方ですでに落第だ。

 意外だったのは、筆の使い方で、基本的には中か大の筆一本で、さまざまな線を描き分けるのだ。細い線も面相など使わず、穂先をL字に曲げた先っぽを使うのだ。これはいずれにしろ訓練が必要だというわけで、日本画の合間に水墨画の練習をすることにした。もちろん自己流だが、志は高く「松林図」だ。
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GEISAI#14に行ってきた

2010年03月15日 | 絵画
 東京ビッグサイトで開催された「GEISAI#14」に行ってきた。友人ののりへいさんが、息子のリンタローネ、弟さんの匂山人3人のユニットで参加していたので、でかけて行ったのだ。行きはりんかい線で「国際展示場前」まで。これは地下に入ってしまうので、せっかくの湾岸の風景が見られない。帰りは、台場付近を散策してゆりかもめで豊洲に出て地下鉄で新宿にもどった。なんかぐるっと埋立地を回ったようだが、天気もよくて、ゆりかもめは遊園地の電車に乗ってる心持だった。実は、ぼくは、ビッグサイトも、りんかい線もゆりかもめも初めてだったのだ。そんなわけで、ちょっとしたおでかけになってしまったのだが、ビッグサイトでは、その日アニメ系のイベントも開催されていて、会場周辺はオタクくんたちであふれており、最初は「すわっ! GEISAIってこんな雰囲気なの」と一瞬不安になったほどだった。

 GEISAIは、アマチュアのアートの祭典で、子どもからお年寄りまで参加している。傑作も駄作もあるが、実際、8割方はアート好きな人たちの作品なのだが、そういう人たちが、とにかく作品を発表できる場があるということは楽しいことだ。

 のりへいさん一家のブースでは、息子のリンタローネが描いた妖怪の絵がメーンになっていて、感心なことに、かいがいしくお客さんに名刺を配り、絵の説明もするなどしっかり営業をしていたのだった。(写真:家もなく路上で物売りするこどもではありません)のりへいさんの作品は、インチキげな妖怪の合成写真で、6枚組みのポストカードセットが300円だったので、記念に購入したのだった。

 来年は、ぼくも参加してみようかなと思っている。作品は、「女林図屏風」。水墨を基調に、淡い肌色に描いた女体と銀箔の半月をあしらう。もしくは「熱帯雨林図」屏風。金銀、群青、緑青を基調に熱帯の密林と花鳥を描く。いずれも4曲一隻。これで決まりだ。
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すごい!長谷川等伯は元祖琳派か

2010年03月10日 | 絵画
 雨の土曜日なら空いていようと上野・国立博物館に「長谷川等伯」展を観にいった。ほどよい混み具合、けっこうじっくり鑑賞できた。帰りに、上野公園の陶器市で妻の茶碗を買った。

 等伯といえば「松林図」だが、僕の「松林図」体験は、15年ほど前、安土桃山絵画に興味をもち始めた頃、織部の陶器を観たくて国立博物館の平常展示に行ったとき、たまたま桃山絵画のコーナーに展示してある「松林図」に出会ったのだった。誰もいない展示室、その六曲一双の屏風の前で動けなくなった。霧だが靄だかから静かに立ち現れる荒々しい筆づかいの薄墨の松。僕ひとりが松林の中に佇んでいるような心持だった。その前に長椅子が置いてあって、たぶん30分ほどはそこで見入っていただろう。その間、ほかの鑑賞者はいなかったと記憶している。「松林図」の独り占めなど今では僥倖というものだろう。以来、等伯は狩野永徳、古田織部以上に僕の桃山アイドルになった。だが、残念ながら京都・智積院の楓図も息子久蔵作といわれる桜図(今回展示されていないのが残念)も実物を観ることはなかった。

 だから今回の没後400年記念展示には大いに期待していた。そして、これまで知らなかった等伯に出会うことができた。一体この人の画風はどれなのというほど、実に多彩なスタイルにチャレンジした絵師であった。

 画集では観ていた巨大な仏涅槃図、牧谿に学んだ枯木猿猴図、千利休像、秋草図などをはじめ、写真だけの展示だが大徳寺山門の壁画のダイナミックな色彩。再認識したのは狩野派とは異なった、むしろ琳派につながるであろうスタイリッシュな装飾性にあふれた金地の屏風群だ。柳橋水車図屏風、萩芒図屏風、柳に柴垣図屏風、波濤図には心底驚嘆した。これらの作品に特有の空白、過剰な反復は、元祖琳派は等伯ではなかったかと思わずにいられない。等伯は歌舞いていたのだ。様式から出られない狩野派をあざ笑うかのように歌舞くスピリットを発揮した。そして、死ぬまで旺盛な創作意欲にあふれていたのだ。だが、竹林七賢図など水墨画特有の題材を描いた晩年の水墨画群は?だ。熟慮した線ではないし、松林図を描いた絵師と同じ人物が描いたとは思えない。松林図は心象風景だ。そこがすごいところだと思う。そんなことを思いながらも、ただただ絵師としての圧倒的な迫力に感嘆した展覧会であった。
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