ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

風狂の人一休を誰か映画化しないのかなー

2007年11月14日 | 
『一休伝』を読んだついでに、坂口尚『あっかんべぇ一休』全2巻も読み直す。一休の生涯という凡そのストーリーは、どちらもあまり変わらないが、『あっかんべぇ~』は、単にその生涯を編年体で追っていくのではなく、足利幕府の権力闘争と戦乱の時代にスポットをあて、その中で芸能者としての世阿弥の苦悩などを描きつつ、一休の風狂と対比させているところにオリジナリティがある。一休の思想を知るには、『狂雲集』が最適だと思うが、『あっかんべぇ~』は『狂雲集』などをモチーフに一休の眼がとらえた風景と時代、その内面に迫っていく。何よりも、漫画家坂口尚の画力、漫画的表現力に圧倒されてしまうのだった。コマわりの簡潔さ、フレームワークやアングルの的確さは、冗長なテレビドラマや映画を駆逐するがごときだ。

そんなわけで、いまは『狂雲集』(中公クラシックス・柳田聖山訳)を読んでいる。好きなページをめくっては、漢詩の書き下し文と翻訳からなる一休の言葉を味わうのだが、これが面白い。一読して思うのは、一休宗純はすぐれた時代の観察者であり、『狂雲集』は、その記録でもあるということだった。一休の風狂の思想は、次にやってくる千利休の茶の湯、あるいは織部のひょうげもの、さらには琳派の空間処理、芭蕉の俳諧を準備したともいえるのではないか。

とんち坊主の一休さんではなく、風狂の人一休宗純を誰か映画化しないものだろうか。坂口尚の絶筆『あっかんべぇ』というすばらしい手本があるのだから。
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秋風一夜百千年

2007年11月05日 | 
 昨晩は睡眠が浅く、早めに床に入ると3時くらいに目が覚めてしまった。寝つきが悪いときは最近薬局でよくみかける睡眠導入剤などをときどき服用することもある。元土建屋編集者H氏もそんな悩みがあるらしい。見かけによらないが、やはり歳のせいなのか。

 睡眠導入剤代わりに漫画でも、と以前読んだ『一休伝』を読み出したら止まらなくなった。小島剛夕が佐々木守脚色で水上勉「一休」を原案として漫画化したもので、全3巻。一休宗純の生涯を概観するには、よくできた漫画だ。

 そんなわけでようやくうとうとしたのは明けの烏がカーと鳴く頃だった。一休さんは、なんでも明烏の一声で悟りを開いたのだそうだが、その一方で、「秋風一夜百千年」などという詩も残していて、好きな女性と一夜を過ごすことは百年、千年の歳月にも値するものだなどと、禅僧らしからぬことを言っている。78歳のとき盲目の女旅芸人「森(しん)」と出会い、そこに菩薩を見たのか、この森女と88歳で亡くなるまで酬恩庵に同棲した。一休さんの漢詩集『狂雲集』には、その森女との情交の喜びが、滔々と綴られていたりするのだが、「美人の淫水を吸う」とか「美人の陰に 水仙花の香あり」とか、80歳近い老人、しかも禅僧がこんなにもエロスに忠実であったこと、ただただ恐れ入る。マンフラなど修行が足らぬ。もっともっとエロスの道を追究しなければとつくづく思った次第。

 さて、一休という道号は、『洞山三頓の棒』という公案に対し、「有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、師の華叟より授かったという。一休の2文字は、無為自然に生きよと言っているが如しで、最近のベストセラーのタイトルではないが「求めない」生き方、もしくはオッパッピーの「ソンナノカンケーネー」もここに通じるのか。いずれにしろ色欲も含め煩悩多き俗人は迷ったら、一休さんのように、まず一休みすることが大切との思いをめぐらしつつ、美人のふくよかな胸、夢見つつ浅い眠りを貪ったのであった。

 それにしても一休さんの墓は宮内庁の管理とのこと。やはり、一休さんは後小松天皇のご落胤なのだろう、いやそうでなければ話が面白くない。
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