『一休伝』を読んだついでに、坂口尚『あっかんべぇ一休』全2巻も読み直す。一休の生涯という凡そのストーリーは、どちらもあまり変わらないが、『あっかんべぇ~』は、単にその生涯を編年体で追っていくのではなく、足利幕府の権力闘争と戦乱の時代にスポットをあて、その中で芸能者としての世阿弥の苦悩などを描きつつ、一休の風狂と対比させているところにオリジナリティがある。一休の思想を知るには、『狂雲集』が最適だと思うが、『あっかんべぇ~』は『狂雲集』などをモチーフに一休の眼がとらえた風景と時代、その内面に迫っていく。何よりも、漫画家坂口尚の画力、漫画的表現力に圧倒されてしまうのだった。コマわりの簡潔さ、フレームワークやアングルの的確さは、冗長なテレビドラマや映画を駆逐するがごときだ。
そんなわけで、いまは『狂雲集』(中公クラシックス・柳田聖山訳)を読んでいる。好きなページをめくっては、漢詩の書き下し文と翻訳からなる一休の言葉を味わうのだが、これが面白い。一読して思うのは、一休宗純はすぐれた時代の観察者であり、『狂雲集』は、その記録でもあるということだった。一休の風狂の思想は、次にやってくる千利休の茶の湯、あるいは織部のひょうげもの、さらには琳派の空間処理、芭蕉の俳諧を準備したともいえるのではないか。
とんち坊主の一休さんではなく、風狂の人一休宗純を誰か映画化しないものだろうか。坂口尚の絶筆『あっかんべぇ』というすばらしい手本があるのだから。
そんなわけで、いまは『狂雲集』(中公クラシックス・柳田聖山訳)を読んでいる。好きなページをめくっては、漢詩の書き下し文と翻訳からなる一休の言葉を味わうのだが、これが面白い。一読して思うのは、一休宗純はすぐれた時代の観察者であり、『狂雲集』は、その記録でもあるということだった。一休の風狂の思想は、次にやってくる千利休の茶の湯、あるいは織部のひょうげもの、さらには琳派の空間処理、芭蕉の俳諧を準備したともいえるのではないか。
とんち坊主の一休さんではなく、風狂の人一休宗純を誰か映画化しないものだろうか。坂口尚の絶筆『あっかんべぇ』というすばらしい手本があるのだから。