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ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

ミヤケンとハマコーにも効くアカギのバンソーコー?

2007年07月30日 | アフター・アワーズ
 アカギの絆創膏で自民は相当な痛手を被った。しかもずっとつけていればいいものを、はがしてみれば、あれだけ大げさな絆創膏の割に何も炎症の後がない。陳腐なサスペンス劇場でもやらないごまかしに、おじさんおばはんもあまりに分かりやすいので怒った。そんなわけで、参院選は自民大敗で終わった。早速民主がテロ対策特措法の延長阻止を表明しているが、アベちゃんが「テロとの戦い」といってアメリカの侵略戦争への加担を表明して、憲法まで改正しようとしているのに対し、これから民主はどうするんだか。

 こういう中で、小田実が亡くなり、カール・ゴッチも亡くなった。ゴッチは日本のプロレスに多大な貢献をした。小田はフルブライト留学生としてアメリカに留学、その後反米になった活動家だが、戦後の日本文化を照らすアメリカの光と影みたいなものをこの二人には感じてしまうのだった。

 そういえば、選挙前にミヤケンも亡くなった。新聞やテレビは、こぞって軍部の弾圧に屈せず、獄中12年転向せず戦った闘士とその生涯を讃えていた。死者にもはや鞭は打つまいということなのか、ナカソネも「敵ながらあっぱれ」とその死を惜しんだ。

 だが、ちょっとまってよ。ミヤケンが墓場までもっていってしまったものがいっぱいあるんじゃないか。なんといっても1988年のハマコーの爆弾発言を思い出す。

 衆院予算委員会委員長であったハマコーが、予算委員会での共産党とのやりとりのなかで、ミヤケンを殺人者と呼び、殺人者を幹部に置く日本共産党に懸念を抱くと突然発言、さらに戦前(昭和8年)の共産党で起きた小畑中央委員リンチ殺人事件をミヤケンらによる殺人事件と爆弾発言したのだった。当然共産党はこの発言を議事録から抹消するよう要求、当時の自民党のドン金丸が議事録削除で手打ちをしようとしたのだが、ハマコー先生これを断固として拒否、自ら委員長を辞任、その後議員も引退するなど、男ハマコーの真骨頂を見せた騒動であった。

 こんな騒動(この背景は奥深い。なぜ12年も獄中生活が可能だったのかとか、疑問はいっぱいあるからだ)に一言触れてもよさそうなものを、アカギの絆創膏を追及したマスコミも、こちらの件ではしっかり過去に絆創膏を貼っていたようなのだった。
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ジャズ短歌4 八月の海とアイラー

2007年07月27日 | Jazz★TANKA
八月の
海へ突っ込む
アメ車あり
波のまにまに
アルバート・アイラー

 ゴダールの「気狂いピエロ」でフェルデナンとマリアンヌが盗んだアメ車で海に突っ込んだのが1965年。フェルデナンは顔に青いペンキを塗って自爆。アルバート・アイラーの死体が11月の冷たいイースト・リヴァーに浮かんでいたのは1970年、1971年藤田敏八「八月の濡れた砂」でヨットの上で藤田みどりが犯されながら見上げる太陽、1972年同じ監督の「八月はエロスの匂い」では、フーテンのような学生たちが、ピエロさながらアメ車で海に突っ込んでいたっけ。

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キンチョーの夏、円朝の夏。

2007年07月26日 | 
 三遊亭円朝作「怪談 牡丹燈籠」(岩波文庫)は、カランコロン、カランコロンと下駄の音を響かせ、牡丹柄の燈篭をさげて恋の病で死んだお露の幽霊が恋しい新三郎の家を夜毎訪ねるという怪談噺だと思っていた。子供のころ夏になると必ず田舎の映画館で特集したお化け映画特集では、天知茂主演の「東海道四谷怪談」(中川信夫監督/これは怖い!)とたぶん東映版「牡丹燈籠」は定番で、テレビでも何度か見たつもりだが、覚えていたのは、まさにカランコロンの場面だけ。もちろん、そこが怪談たる所以なのだが、岩波文庫版を読んでみたら、実は、この怪談噺は、二人の男の偶然の出会いによって展開する二つの物語の一方の流れに過ぎず、終末には再び、二つの物語が合流して結末を迎えるという、まさに「瀬をはやみ」状態の物語なのだった。

 怪談部分のお露・新三郎の悲恋、飯島平左衛門と孝助の忠義の物語を二つの軸に、不義不貞をはたらく平左衛門の妾お国と源次郎、新三郎の恩義も忘れ、その家から護符をはがしてやる見返りに、幽霊お露から五十両をせしめ、宇都宮で雑貨商として財を成す伴蔵とお峰、幇間医師の志丈など、欲に目がくらんだ悪役たちの充実振りが、この噺の面白さだ。

 新三郎が夜毎通うお露の幽霊を抱いていることを伴蔵が覗き見するシーンもすごいが、圧巻は、主人への忠義から、平左衛門殺しを企てるお国・源次郎の不倫コンビを孝助が始末しようという場面。孝助が、いざ闇夜に待ち伏せして槍で一突きしてみれば、それはなんと主人の平左衛門。しかし、それは平左衛門が孝助に父の仇(孝助の父黒川考三は若き日の平左衛門に切り殺されている)である自分を討たせるために仕組んだことだった。平左衛門はその事実を孝助に伝えるとともに傷を負ったまま、お国・源次郎の密会現場になだれ込み、相手に傷を負わせるも自ら切られ果て、逆にお国・源次郎を孝助の主人の仇とさせてしまう。このたたみかける噺の展開がすばらしい。

 1年後には見事あだ討ちを果たすという忠義の物語で終わるのは、いささか忠義賛歌の感ありだが、これだけの人間模様を一つにまとめる円朝の作家としての手腕はすごい。口演の速記録だけに、読み物としての面白さとライヴの迫力が一体となって、一気に読めてしまう。

 さて、円朝の「怪談牡丹燈籠」は、三遊亭円生、桂歌丸の口演がそれぞれCD化されている。まず円生を買ってみようか。読んでみると、やはり声で聞きたくなるではないか。あるいは、国立新美術館の「日展100年展」に展示されている重要文化財、鏑木清方の「三遊亭円朝像」に会いに行こうか。
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クッツェーの『恥辱』という自由

2007年07月19日 | 
 52歳の主人公は、大学改革で准教授に格下げされ、大学の教え子に手を出してセクハラで訴えられて職を終われ、田舎暮らしをする娘の所へ招かざる客として居候を決め込むうち、黒人のチンピラに暴行を受け、車は盗まれ、娘はレイプされて、挙句の果てにその子供を宿してしまうのだが、それでも娘はその現実を受け入れて田舎を離れようとはしないので、男も同じ村の動物の避妊やらやらをする施設を手伝いながら暮らしていくという、アパルトヘイト以降の南アフリカの政治状況や社会状況についてはよく分からないが、その状態を「恥辱」というなら、大学教授の落ちぶれた人生ということができるのだが、もともとこの男は、2回の離婚、52歳になっても週一で娼婦を買い、お気に入りの娼婦が辞めてしまうと自宅をつきとめて電話をしてしまうというストーカーぶり、動物施設の嫌悪すら感じていた女とも平気で寝てしまうし、自制のまったくない男なのだから、果たして、この落ちぶれた状態を「恥辱」というべきなのかどうか。セクハラで訴えられて、ことを穏便に済ませたい大学側や同僚の情状酌量の声を突っぱねるところには気骨のようなものもあるのだが、何もそんなところで発揮しなくもよさそうなものだ。

 そんなわけで、生きようとする意志よりも、なんとなく生かされていて、環境が変わっても変わらないこの男の節操のなさには、むしろ、自由を感じてしまうのだった。初めて読んだノーベル文学賞受賞作家J.M.クッツェーの『恥辱』は、自由であることは恥辱を生きることでもあるというお話なのかもしれない。そして、この元大学教授とそう遠くないところに僕自身もいるように思えるのだった。

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暑苦しくって楽しい「真夏の千葉真一まつり」に拍手

2007年07月17日 | 映画
 WOWWOWが、クソ暑いさなかになんと「真夏の千葉真一まつり」なる企画を始めた。いまどき名画座のオールナイトだってやりそうもない、70年代のりの企画に打って出たWOWWOWにまずは拍手だ。1日目は「ゴルゴ13」「ドーベルマン刑事」という2本立て。連休明けの朝の苦労も考えず3時まで観てしまった。

「ゴルゴ13」は高倉健主演が1973年(佐藤純弥監督)、千葉ちゃん主演版は1977年の「九竜の首」(野田幸男監督)で香港が舞台。劇画に似せたもみあげと眉毛のメイク、いつも眉間にしわ寄せたゴルゴ13の表情、だから千葉ちゃんのM16ライフルをもった動きもなぜか右手右足が同時に出るようなぎこちなさ。このチープなつくりがたまらない。

「ドーベルマン刑事」も同じ1977年の作品で監督は深作欣二。「仁義なき戦い」シリーズが終わって、「柳生一族の陰謀」のような大作ものの監督になっていく、ちょうど隙間の試行錯誤の時代に撮ったかなりめちゃくちゃな映画。実はこの時代こそ、「仁義の墓場」を含め深作監督がもっとも快調だった時代ではないか。「ドーベルマン」も、やはり「仁義」路線のアウトローの群像劇で、アナーキーな活力はストーリーの適当さを凌駕する。

 なんといっても、あの頃の東映はよかったなあと懐かしくなってしまう出演者たち。千葉真一のほか、松方弘樹、川谷拓三、志賀勝、室田日出男、成瀬正、藤岡重慶、小林稔侍、遠藤太津朗、岩城滉一。女優陣はジャネット八田と松田英子。ね、すごいでしょ。脇役の充実振りは東映の独壇場でした。ジャネットは野球の田淵選手の奥さんになった人。松田英子は大島渚監督「愛のコリーダ」で藤竜也とホンバンワした女優さん。日本人初の本番女優といわれた。脱帽です。ホンバンだもの脱帽はしてなきゃね。この映画でも健気なストリッパー役がよかったけれど、その後もホンバンの冠に悩んだ人でちょっと惜しい女優さん。

 さて、この映画でよかったのは、新人歌手役のジャネットが歌う「マイ・メモリィ」というジャージーなバラード歌謡。ジャネットはクチパクで、実際には、弘田三枝子が歌っている。これがさすがという歌唱力ですばらしかった。この人も整形とかジャズギタリスト傷害事件とかお騒がせだったけど、歌のうまさはぴか一なのであまり出てこないのは惜しい。それにしても、映画のなかの「スター誕生」という大イベントのタイトル看板がキャバレーのチープな看板のようで楽しかった。だいたい、この頃の日本映画では、富豪のパーティ風景などが出てくると、とてもゴージャスに見えないところが笑えるのだが。とにかく、WOWWOWの痛快企画に拍手なのだ。
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エドワード・ヤン監督は今夜も一人なのだろうか

2007年07月12日 | アフター・アワーズ
 「クーリンチェ少年殺人事件」「ヤンヤン 夏の思い出」などで知られる映画監督エドワード・ヤンが6月の終わりに亡くなった。

 「ヤンヤン」でカンヌの監督賞をとって以来、その作品を観ることができなかったが、なんでも長いこと闘病生活を送っていたらしい。もう14、15年くらい前になるのだろうか「クーリンチェ」で初めてこの監督を知ったとき、比肩しうる監督はテオ・アンゲロプロスくらいしかいないのではないかと思い、いつもエドワード・ヤンの作品を待ちわびていたが、超寡作にしてなかなか作品に出会うことはできなかった。「クーリンチェ」の冒頭、撮影所の天井から俯瞰でスタジオ内をのぞく長回しのシーンのすばらしさ、プレスリーの「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」は、この映画以来、僕のフェヴァリット・ソングになってしまった。

 今日の凡百の日本映画が束になってもかなわないエドワード・ヤンの映画は、昼も夜も、風も雨も、すべてが輝いている。映画の美しさとは、この監督のためにあるといってもいい。ただただ合掌。そして、「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」を聴いている。
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声に出して読む、辻原登『円朝芝居噺 夫婦幽霊』

2007年07月11日 | 
 毎年8月11日に谷中の全生庵で開かれる「円朝まつり」で、円朝の幽霊画コレクションが公開される。その中の1幅に円山応岱作「夫婦幽霊」がある。実物はまだお目にかかっていないが、スプラッターでリアルな迫力という点では、コレクションの中でも出色ではないか。おそらくこの絵に導かれて作者は、幻の円朝口演の速記録「夫婦幽霊」の物語を構想したのだろう。

 辻原登『円朝芝居噺 夫婦幽霊』は、ある大学教授の遺品の中から発見された速記録と思しきざら紙の一束、調べれば、それはかの三遊亭円朝が晩年に口演した「夫婦幽霊」の速記で、これを翻訳して、作者が書き改めたものが小説内物語として発表されるという趣向。噺は、御金蔵4千両を盗んだ犯人とこれを突き止めようという大工の棟梁、御町の与力、そして円朝本人に歌舞伎役者の中村仲蔵などの登場人物に安政の大地震がからんで展開される活劇で、作者は円朝の口演スタイルを巧みに再現しながら、後半では、明らかに近代小説の手法が顔を出し、読むものに、この速記が本当に円朝の口演の速記なのかと思わせる、微妙なしかけもあり、まさに辻原ワールド全開。その謎は、この芝居噺が終わったあとの、では作者は誰なのかという部分で意外な人物が登場してオチがつくのだった。

 さて、三遊亭円朝といえば『怪談牡丹燈籠』が有名だが、その口演の速記が翻訳され、ほぼリアルタイムで寄席のライヴが新聞小説のようなスタイルで再現されたという。そうした口演録は、近代小説の言文一致に大きな影響を与えた。現代でいえば池波正太郎の作品群などは円朝的ではないかと思うが、落語でも「文七元結」は円朝原作の人情噺として知られている。

 で、そういえば『志ん朝の落語2』(ちくま文庫)に「文七元結」(「もとゆい」ではなく江戸なまりで「もっとい」とよむそうで)があったと思い出し、そう、これもまさに志ん朝の口演速記録。これを読みながら、朝の出勤電車に乗ったはいいが、マンフラこれがいけません。不覚にも涙腺が緩み、思わず電車の天井を仰いでしまったのだった。

 それは、吉原の佐野槌の女将が左官の棟梁の長兵衛に50両を貸し、自分の娘に礼を言えと諭す件で、最初は意地を張っていた長兵衛が、耐え切れなくなって涙ながらに娘に自分の醜態悪態を詫び、礼を言う場面なのだった。意地を張りながらも娘にすまねえと思う相反する感情の堰が一気にはずれる、そのタイミングと間が絶妙なのだ。文字を読むというだけでなく、明らかに志ん朝さんの声が頭の中で鳴っているからこそなのだ。

『夫婦幽霊』の作者辻原登は、この小説を書くに当たって、円朝節とでもいう文体を円朝の数々の名作を声に出して読むことでつかんだのだという。声に出して読む、書き写すといった小学生の頃は退屈だと思っていた行為には、確かに創造の精霊のようなものが宿っているのかもしれない。
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ジャズ短歌3 雨の庭

2007年07月10日 | Jazz★TANKA

雨の日にダイアナ・クラールの「ラヴ・シーンズ」を聴いて。

雨の庭

「アイ・ミス・ユー・ソー」

恋の歌

ダイアナ・クラールが歌ってる。

 このアルバムには、雨の歌が2曲収められている。「ジェントル・レイン」と「ガーデン・イン・ザ・レイン」です。この季節に、とてもしっくりくる1枚です。

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買い占めたい!絶品ほやの燻製ふたたび

2007年07月09日 | アフター・アワーズ
 仕事で高崎に行った帰り上越新幹線で、あるとは思っていなかった「ほや」の燻製に出会った。

 東北新幹線名物と思っていただけに、期待していなかったのだが、下車するときドア横の売店に、オレンジのパッケージが輝いているではないか。しかも4個入り。列車の発車を気にしながら急いで購入。これならお土産にもいい。帰宅するや、シャワーを浴びて、まずはビール。“ほやくん”との相性は抜群だ。口の中にほやと磯の香りと広がる。どうぞ皆さん、車中で見つけたらぜひお買い求めを!
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覗く裏窓、ラピスラズリの砂男は御慶と叫ヴェルッチ

2007年07月06日 | 
 覗くという行為はどこか心を躍らせる。公園の出歯亀となれば立派な犯罪だが、お向かいの家の2階の部屋が窓越しに見えれば気になるし、ちょっと観察したくもなる。

 ヒチコックの「裏窓」は、足を骨折したカメラマンが望遠レンズつきカメラでアパートの向かいの部屋を覗いているうち、殺人事件を目撃し、事件に巻き込まれてしまう。覗きの結果は事件が待ち受けているらしい。

 辻原登の短編集『枯葉の中の青い炎』(新潮文庫)のなかの「ちょっと歪んだ私のブローチ」は、浮気した夫が、妻の承諾を得て、浮気相手の若い女の希望で結婚前1カ月だけ一緒に暮らすという話。それを許すほど鷹揚に見えた妻は、夫と女が暮らすマンションを突き止め、その真向かいの古いマンションの上階に部屋を借り、女の部屋と同じ色のカーテンをつけ、その隙間から毎日双眼鏡で女の部屋を覗き見る。さて、その結果は。幸せを運ぶといわれるパワーストーン、ラピスラズリが効果的に使われ、意外な結末を迎える。この短編集は傑作ぞろい。か細い縁で結ばれている2つの物語や出来事を、辻原マジックともいうべき大胆さで巧みに一つの物語にしてしまう。魔法の小瓶のような書物なのだ。

 覗きといえば、久々に読んだE.T.A.ホフマンの「砂男」(池内紀訳・岩波文庫『ホフマン短編集』)もお向かいの美女に望遠鏡を通じて恋してしまう男の悲劇だ。夜更かしをする子供の目に砂をかけ、鳥のような嘴で目を突いて目玉をとりだしてしまうという砂男の悪夢に憑かれているナタナエル。怪しい化学実験の果てに父親を死に追いやったコッペリウスこそ砂男で、晴雨計売りのコッポラはその化身ではと疑っている。だが、コッポラから勧められて望遠鏡を覗くと向かいのスパランツァーニ教授宅に美しい娘の姿を認めた主人公ナタナエルは、すっかりその娘オリンピアの虜になってしまう。クララという婚約者がいるにもかかわらず、オリンピアの登場によって二人の愛は引き裂かれていく。だが、このオリンピアこそ教授が作った自動人形だった。壊れた自動人形の目玉が飛び出したのを見るや、砂男の悪夢がよみがえり、悲しい結末を迎える。

 さてさて、ホフマンには「牝猫ムルの人生観」という作品があるが、これを漱石が「吾輩は猫である」の参考にしたとかいわれ、それについて言及した研究書もあるが、あったかもしれないがそんなことは漱石の「猫」にとってどうでもいいことで、むしろ、「三四郎」の中で漱石が三代目小さんを評価しているような落語への造詣とセンスこそ研究すべきで、東京人による文学としての「猫」の面白さをもっと追究すべきといっているのは小林信彦著『名人・志ん生、そして志ん朝』(文春文庫)である。この本では志ん朝の死を東京語の終焉ととらえており、志ん朝の死によって純粋な東京語による江戸落語を聞くことはもはやできなくなったと嘆く、追悼というより落胆の書なのだが、そんな文章を読むと、志ん朝さんを聴きたくなる。さっそくCD「落語名人会・古今亭志ん朝 崇徳院・御慶」などを買って、志ん朝さんの名人芸に酔いしれるのだった。ギョケーッ!

 覗きにもどろう。

 かくいう私も、中学時代、2階の自室から向かいの家の2階に間借りしているお姉さんを覗き見る楽しみをおぼえてしまった。仏具屋の看板が目隠しになって部屋全体は見えないが、我が家の方がやや高い位置にあるので、カーテンが空いていれば、窓側にあった僕の勉強机からは目を凝らすとお姉さんの日常はほぼ丸見えだった。同じ部屋にいた兄は反対側の壁に向いていたので、たぶんこの楽しみを知らなかったはずだ。

 お姉さんは某宗教団体に入っているので、朝晩の読経はおつとめらしい。部屋の明かりを落としても街灯の明かりとか、他の家の照明の反射とかで、薄明かりのなかにお姉さんの白い姿をみとめることができる。もちろんクーラーなどない時代だ。向かいが中学生だと思えば油断していたのか、もちろんこっちも部屋の明かりは消しており、母からは部屋を明るくして勉強しないと目を悪くすると再三小言をいわれるのだが、「スタンドの明かりだけじゃないと気が散る」などと適当にやりすごしていた。だから、夏など開けっ放しの窓からお姉さんの着替える姿が見えてしまったのだった。

 モニカ・ヴェルッチの「マレーナ」に出てくる少年状態だったわけだ。1年ほどでお姉さんは引越ししてしまい、ひと夏の経験で終わってしまったのだったが、延長されていたら、高校受験には失敗していたかも知れない。
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