ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

生ビールと称して発泡酒を飲ませる店

2008年05月30日 | アフター・アワーズ
 我が家のビール消費量が増えたので、一時期、発泡酒や第3のビールに切り替えていた。しかし、久しぶりにビールを飲むと、その味の違いは歴然だ。ああ、やっぱりビールはうまい。結局発泡酒にビールの代役は無理だとなった。違う飲み物として飲むなら納得するが、ビールが飲みたいのに発泡酒で我慢することは止めようということになった。昨今の物価上昇で生活防衛は必至だが、それでもビールだ。そんなわけで、発泡酒からビールへの切り替えのきっかけが、味覚という舌と脳の反応だっただけに、脳の味覚野に刷り込まれたビールと発泡酒の違いは、かなり自信をもって断言できる! ま、誰でも分かるか。そんな偉そうにいうほどのことでもないけどね。

 そんな折も折、最近よくある中クラスの和風居酒屋チェーン、個室があったり、ヘルシーメニューで、値段の安さより雰囲気重視でそれに見合った値段設定といったところ。客層はやはり若者が多い。その某チェーン店では、「生ビール」と表示して明らかに発泡酒を出していた。A店では、厨房が見えたので、見ていると、ジョッキにサーバーからビールと思しき液体を8分目ほど注ぎ、さらに、別のホースから泡を噴射してジョッキに載せていた。案の定飲んでみれば、発泡酒であった。発泡酒は、ビールより泡立ちが悪いし、短時間で泡が消える、それを偽装するための「泡盛り」だったのだろう。

 別のチェーン店では、ジョッキには「一番搾り」のロゴがあるのに、中身は発泡酒だった。一口飲んで、これ発泡酒だと味覚野の反応。ためしに友人が、「生ビール頼んだんだけどー。これ発泡酒だよねー」。無言でアルバイトの女の子は厨房に消えたが、男性のスタッフーー、が出てきて、「間違いなく生ビールでございます」だと。それ以上追求はしなかったが、ガキはだませても、オヤジの舌を甘く見てはいけない。

 個人経営の良心的な赤提灯の居酒屋(油やすすで天井が真っ黒だったりするところ)が少しでも安くとがんばっていて、そういう店ではたいがいビールが一番高いのが普通なのだが、だからオヤジも丁寧に注いでくれて、間違いのないビールを安心して飲むことができる。なのに、コンプライアンスが求められる大手企業の居酒屋チェーンが船場吉兆と同じ悪質なマネをしていてどうするといいたい。店だけの仕業であるまい。そもそも、生ビールを店に卸している酒屋やメーカーは出荷量が違うのだからわかっているはずだ。こうしたチェーン店で、大きさにもよるが中ジョッキが500円以下だったら要注意だ。

 さらにいえば、この手の店で出している「霜降り馬刺し」は、馬の油脂を注入したまがい物である。以前、製造元で偽装が問題になったが、スーパーなどでは、オーストラリア産で油脂注入の表示がしてある冷凍馬肉として売っていて、それを、「本場熊本の霜降り馬刺し」などと表示して出している。もっとも、熊本の馬刺しも最近はオーストラリア産が増えていると聞いたので、「熊本の」は産地表示ではないと居直られそうだが、食べれば、これはまるでラードの塊を食べているようなので、すぐ分かる。こういう店は全国いたるところにあり、気軽に入れるので、ときどき利用してしまうのだが、生ビールを注文して発泡酒が出てきたら、これからははっきりと「これ発泡酒だよね」と抗議しよう。酒飲みのおやじなら必ず分かる。酔っ払いの威信にかけて訴えよう!

 余談だが、エドはるみのグーの乱射、「ググッググーググッググー」のフレーズにファンキーなにおいがしたと思ったら、ホレス・シルヴァー「ソング・フォー・マイ・ファーザー」に出てくるリフのリズムだった。この曲を聴くと、最近はエドの顔が浮かぶのだった。
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マラパルテ邸の青い海にバルドーのお尻が丸い『軽蔑』

2008年05月23日 | 映画
 70年台の初めに出版され、わが書棚にも埃を被っているだろうマラパルテの『クーデターの技術』は、あの頃かなり話題になった1冊だ。通信網、交通網の遮断とか至って実践的なクーデター技術の実用書で、これを読めば誰でもクーデターができるという気にさせる危ない本なのである。ゴダールの『軽蔑』に登場する裏カプリの断崖に立つシュールな階段の別荘こそ、かの奇人マラパルテの家というのは、その事実を知れば、家の存在感は映画の舞台装置だけでは片付けられない建築物のアウラなのだろう。こんな家を建てたマラパルテもすごいが、ここを見つけてきたゴダールもすごい。さすがは超ブルジョアの坊ちゃんだ。

 その赤いレンガの壁と白い屋上と青いカプリの海のコントラストは、この映画の一貫した色彩計画も、メプリとカプリとオシリの語呂を思えば、ここが発端だったのだと思わせる。屋上に横たわるバルドーの丸いお尻(前半のマンションのシーンでは、ベベの頭部はカットしても丸い尻だけは画面に横たえて見せている)。とりわけ黄色いバスローブをまとったバルドーが断崖の階段を、ミシェル・ピッコリを避けて海へと逃げるワンシーン・ワンショットがすばらしい。カメラは、ピッコリが追うのをあきらめて、断崖の上に片膝をついている眼下に青い海と岸壁をとらえ、その視線の向こうに、まず、岩陰から黄色いバスローブが舞い、やがて海に飛び込む音が聞こえ、青い海を白く丸い尻をした裸のバルドーが横切っていくという、この一連の動きがワンショットでとらえられ、これはもう溝口だと思わないわけにはいかない。マンションでの2人が会話をとらえた横移動のカメラといい、すべてが溝口だといいたくなるほどなのだ。フリッツ・ラングが渋い。
 
 浪人時代、文芸座で観たときは色彩の鮮やかさを感じなかったが、今回、デジタル・リマスター版DVD2,500円の『軽蔑』は、ラウール・クタールのカメラを鮮やかに再現して絶対お買い徳だと思うのだった。
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晴れた日にバスに乗って「南蛮の夢」を観にいく。

2008年05月15日 | 絵画
 連休中に、府中市美術館で「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」展を観た。天気のよい気持ちのいい午後。バスに揺られて府中の森公園へ。市の美術館としてはこざっぱりとして、なかなかよい美術館だ。テーマは、明治、大正期の人々が描いた南蛮幻想というところか。

 鎖国があけて明治維新以降、西洋の文化が流入する中で、人々は、鎖国前に日本がポルトガルやスペインなどと貿易があり、さまざまな文化交流があったこと、それらが南蛮屏風などに残されていること、あるいはキリシタン禁教令のあとも、キリシタン信仰があり、信徒の虐殺があったことなどを知るようになる。脱亜入欧の気風の中で、同じように海外に眼を向けていた日本人がいたことへの共感、紅毛や南蛮の人が闊歩する日本の風景への憧憬、これらを南蛮への憧れという視点で、明治、大正の画家たちが描いた南蛮・紅毛の表象を再編集してみせた企画。

 副題に「安土桃山の名品から夢二まで」とあるように、六曲一双の「南蛮人来朝之図」屏風から慶長遣欧使節の支倉常長の肖像や持ち帰った十字架とメダイ(国宝)、竹久夢二の「邪宗渡来」まで多彩な展示で楽しめた。とくに日本画家たちが、南蛮のテーマを扱っていることが興味深く、踏み絵に向かう芸妓の緊張と戸惑いの姿を描いた鏑木清方「ためさるる日」、松本華羊「伴天連お春」、天正少年使節を大胆な構図で描いた守屋多々士「キオストロの少年使節」(これは唯一最近の作品)など、こういう切り口でなくては、なかなか見られない作品に出会えたことに満足、の一日であった。

 さて、南蛮といえば、一般的にはポルトガルとか南欧をイメージする。時代劇でおなじみ、不良旗本と悪徳商人が南蛮渡来の毒薬とか媚薬を悪用する場面とか、カピタン風の鼻の大きい外人、ギヤマン、時計、地球儀、ぶどう酒などが定番。だが、蕎麦屋になぜ、鴨南蛮があるのか不思議だった。鴨南蛮といえば、鴨肉にねぎのそば。南蛮漬けというと唐揚げを甘辛いタレでからめたもの。大阪の難波がネギの産地だったことから、もともと鴨難波だったものが南蛮になったとか。分かったようで分からない説だが、以前は、鴨南蛮と称して鶏肉を使っていて、偽装が問題となって最近は本当に鴨肉を使う店が多いようだ。

 僕の中で南蛮は、安土桃山の南蛮屏風の豪奢であると同時にキリシタン迫害や望郷のイメージが重なって「悲しさ」がつきまとう。この企画で展示されていた絵画も、皆悲しさが主調音のように思われたのだった。
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こどもの日に「実録・連合赤軍」を観て、「別れの朝」を思い出すこと。

2008年05月14日 | 映画
「こどもの日」に子どもがいないところはないか。あった。テアトル新宿『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』。上映時間も3時間10分。さすがに子どもはいなかった。が、館内は満席。こどもの日に、陰惨な『連合赤軍』の映画を見に来る酔狂な大人とは。だいたいが青春時代を昭和40年代に送ったと思しき中高年だろう。後半になって、トイレに立つ人影が多かったのは、この観客の年齢層故か。

 大雑把に3部構成で、はじめは1960年安保から始まる戦後学生運動史のおさらい。なぜ、連合赤軍は生まれたかを駆け足で解説。中盤がいわゆる連合赤軍リンチ事件といわれた山岳ベースでの陰惨な粛清プロセス、最後があさま山荘での攻防となっている。若松監督お得意の密室劇として展開しながら、連合赤軍事件を徹底して内部から描いた点が映像に力を与えている。あさま山荘を取り囲む外部の状況はすべて音で表されていて、それが緊張感を高め、時折り挿入される上州の山並みの風景にほっとさせられる。このあたりがうまい。恐らく山岳ベースでのリンチは、この映画よりずっとずっと凄惨であったはずだが、リンチは否定しても権力に立ち向かって挫折した当時の若者に対する若松監督の共感がそこかしこに感じられる映画ではある。できたら、山荘の中でラジオをつけると、「また逢う日まで」とか当時の流行った歌謡曲が流れてくるシーンがほしかったが。

 あさま山荘事件が起きた日、ぼくは翌日の某私立大学の受験を控え、練馬にある兄の下宿に寝泊りしていた。同じ下宿に同級生のYがいて、Yの部屋でずっと報道の中継画面を見ていた。明日の受験のことより、事件の展開が気になって仕方なかった。結局それから10日立って事件は終結するのだが、あさま山荘ともつ焼きの「金ちゃん」(いまも健在とか)通いがたたって、みごと受験には失敗したのだった。

 その頃僕が、よく聴いていたのはバッハとモーツァルト、マイルス・デイヴィスなのだが、頭の中で鳴っていたのは、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(もちろん前野耀子バージョンです)だった。あさま山荘事件は、僕の誕生日の翌日起きたのだが、その1年前、僕は、図書館で久しぶりに会ったKという髪の長い女の子から、誕生日プレゼントにジョン・レノンの「LOVE」をレターメンがカヴァーしたシングル盤(ムード歌謡みたいだったけど)をもらったのだが、それっきり会えなくなっていて、なぜか「別れの朝」を聴くたびにKのことを思い出していた。だから、あさま山荘事件の頃を思うと「別れの朝」とKのことを思って切ない気持ちになるのだった。
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