ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

油井正一を聴け!

2006年03月17日 | 音楽
 音楽について語るのはいつももどかしい思いをする。このブログだって、ただよかった、感動したと、贔屓のミュージシャンや好きな曲を愛でて言っているだけで、その楽曲や演奏から受けるイメージを何かにたとえて伝えようとはするけれど、どこがどういいのか具体的に語るわけではない。
 
 だいたい友人同士でもあれいいよねとかサイコーだよとか、かっこいいとか大体そんな言葉ですましてしまう。あとは好き嫌いを語るだけ。そうなると70年代以降のマイルスはロックだから聞かないとか、コルトレーンなんてどこがいいとか、我執のぶつかりあい。俺はロリンズ派だとか、ゲッツ派だとか、やたら派閥をつくりたがるのもジャズファン。ジャズ雑誌の評論もだいたいそんなもんだ。

 映画や文学、絵画など目に見えるものを批評するのは、引用や対象を具体的に示す方法やら記号学的手法とかいろいろあろうが、インプロヴィゼーションがいのちのジャズの場合は、どこがどういいのか、感動的なのかを具体的に示すのがむずかしい。アドリブを採譜して、ここのコードの解釈の仕方がすばらしいとか、あそこのE♭の使い方が新しい、というような方法はあるだろうが、Jポップスのヒット曲を楽理的に分析した批評があったけれど、それ以外ではあまりお目にかかったことがない。いわゆる印象批評でよいものはよいし、ジャズを手段に思想を語るのもよい。スノッブな知識の披瀝や好き嫌いをモットーに心情を吐露するのもやむをえないとはいえ、いまだ多くのジャズ批評が「エモーショナルでブリリアントなプレイ」とか紋切り型の表現でお茶を濁しているのは、困ったもんだと思う。パブリシティが主体になっている状況が変わらないこともある。

 それだけにこの人の名を忘れては困ると思うのが故油井正一さんだ。油井正一さんは、人生がジャズであり、ジャズをジャズとして語るその「語り」が芸になっていた数少ない批評家だった。ジャズマンに愛情を注いだが批評では媚びない。油井さんの粋な講談調といわれたDJは音が残っていないのだろうか。また聞いてみたいと思っていたら、油井さんの母校慶応義塾大学のアートセンターに、故人が蒐集した膨大なジャズ資料約1万点が寄贈され、「油井正一ジャズ・アーカイブ」として整理されつつあるのだという。つい最近そのことを知り、すばらしい話だと思った。油井さんの著書でいま手に入るのは「生きているジャズ史」くらいなだけに、その資料の公開や油井さん自身の著作の出版も待たれるところだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュクのジュンクでジュンと会う

2006年03月17日 | 
 ジュンク堂で夏目鏡子述「漱石の思い出」(文春文庫)、江藤淳著「夏目漱石 決定版」(新潮文庫)、三島由紀夫「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」(新潮文庫)を買う。

「漱石の思い出」「夏目漱石 決定版」はなかなかほかの本屋で見つからなかったので、ジュンク堂えらいぞ! 新宿の三越の7、8階にある店舗は背の高い書架形式の陳列なので商品数が非常に多く、たいがいの本がみつかる。国書刊行会の幻想文学全集などもしっかり揃っていて、ここへ来るとつい長居になる。目的の本を探すにはとても探しやすい。ベンチでやすめるのもよい。本好きにはうれしい本屋さんだ。

「漱石の思い出」は以前図書館で上装本を借りて読んだが、そばに置いておきたい1冊なので文庫を探していたのだった。この本は、久世光彦が演出したTVドラマ「夏目家の食卓」の原作の一つにもなっている。

 江藤淳の「夏目漱石 決定版」では漱石が作った英語の詩について触れられているが、なんとこれが浪漫派的なのでびっくり。まったく漱石という人は奥が深い。江藤淳は、漱石は饒舌で理屈っぽい作家だが、読んだあとその「理屈の小骨が残らない」と評している。大変的確でうまい表現だと思った。

 さてさて週末は天気もよく温かそうなので、谷根千方面でもでかけてみようかいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする