ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

こんにゃくとエロと戦争

2006年03月15日 | アフター・アワーズ
 こんにゃくのサイコロステーキを出す店があって、甘めの醤油タレと揚げニンニクがきいてうまい。ステーキというより、サイコロ状に切ったコンニャクを表面がカリッとするまで揚げるのだそうで、表面に網目に切れ目を入れておくのがコツらしい。

 こんにゃくで思い出したが、高校時代に「温泉こんにゃく芸者」とい東映のお色気路線の映画があった。中島貞夫監督、夢はこんにゃく風呂を作って昇天したいというおやじが出てくる話だったと思うが、山上たつひこの「新喜劇思想体系」でも、ピンナップガールの写真を貼った壁に穴を開けて、そこに手でちぎって人肌に温めたこんにゃくを詰めて一人でよがるなんてシーンがあったっけ。

 夏目漱石は、胃潰瘍で入院中に、お腹を温めるために使っていた治療用のこんにゃくを、あまりに腹がへってちぎって食べてしまったという。こんにゃくで温熱療法というわけだ。

 こんにゃく恐るべしと思うのは、戦争末期、日本軍のアメリカ本土攻撃の最終兵器として作られた風船爆弾で、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作り、1944年から9,300個が製造されたという。全国の農家、こんにゃく業者がこのために供出し、当時、日本の貧しい食卓からはこんにゃくが消えたのだという。

 さて、その風船爆弾は、アメリカ本土に1000個とも270個とも言われる数が落下し、山火事などの被害を及ぼした。米政府は細菌爆弾の搭載を恐れ、国民には徹底して情報を隠したというが、1945年5月5日、オレゴン州南部のクラマス湖付近の森林公園へ車でピクニックに出かけた宣教師のアーチー・ミッチェルは、連れていた妻のエルシー・ミッチェルと日曜学校の五人の子供達をこの風船爆弾の爆発によって失った。先に森に入った妻たちが、木にひっかかっていた風船爆弾に興味津々で触れたところ爆発したのだという。これが第二次世界大戦におけるアメリカ本土での日本軍の攻撃による唯一の戦死者だったのである。

 不幸なことにこの牧師は、その後再婚したものの、ベトナム戦争時に布教活動のため南ベトナムに滞在中、1962年5月30日にハンセン氏病療養施設でべトコンに拉致されその後行方不明になった。

 5月か、いい季節なのに。北朝鮮が細菌兵器搭載の風船爆弾を開発したといううわさもある。こんにゃくとエロと戦争の話でした。
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