フットボーラー

2006年07月17日 | Weblog
もう引退したが、イタリア代表のロベルト・バッジオが好きだった。伝統的に守備重視と言われたイタリアのカルチョの選手の中で攻撃センスや創造的なプレーが素晴らしかった。イタリア人の中でも小柄な174cmしかなくフィジカルが強いわけでもなかった。屈強な男たちの中で、ひとり少年が軽やかにプレーしているかのようだった。と同時に他のイタリア人選手とは異質なプレースタイル故に、全ての監督と上手くいったわけではない。その事を本人も自覚し、その目には何か自分の存在を理解してもらえない人間の哀愁が漂っているかのように感じた。
私が、一番印象に残っているのは、94年のアメリカW杯の決勝トーナメント、対ナイジェリア戦である。予選リーグでバッジオは不調だった。このまま敗退すれば、戦犯と言われるのは必至だった。味方に退場者を一人出し、1点ビハインドで迎えた後半43分、バッジオが起死回生の同点ゴールを決めた。延長戦で彼がPKを決め、イタリア代表は生き帰った。その後イタリア代表は決勝戦まで進み、バッジオは大会合計で5点を決めた。ブラジル代表との決勝戦でのPK戦で最後、彼がはずし、イタリア代表は準優勝に終わった。彼らしい終わり方だった。

そのイタリア代表が優勝したドイツW杯での決勝戦でもう一人、目に哀愁を漂わせた選手、フランスのジネディーヌ・ジダンが退場になった。マルセイユの路地裏でボールを蹴っていた少年の頃、移民の子として差別や偏見に耐え、目に哀しみを湛えるようになったのではと想像するのは私の感情移入のし過ぎだろうか。彼はイタリアのマテラッツィの挑発的な言葉にカッとなり、頭突きをしてしまった。詳細については様々な意見や証言があるので、私はいまいち、どう考えればいいか分からない。どんな挑発にあっても、ピッチの上では、暴力的な報復行為は許されない。が、しかし・・・もし、マテラッツィがアルジェリア移民の子であるジダンに人種差別的な言葉を吐いたのなら、彼は自分たちイタリア人も差別された歴史を持っていることを認識していただろうか。

希望の新大陸だったはずのアメリカで、イタリア移民だったサッコとヴァンゼッティはきつい労働のつかの間、休日にサッカーボールを蹴るのを楽しみにしていたと言う。今、二人は天国で何を思う。
94年大会のイタリア代表の初戦の相手はアイルランド代表だった。会場になったニューヨークのジャイアンツスタジアムにはアメリカに住むアイルランド系市民や本国から訪れたアイルランド国民が多数応援に駆けつけて、スタジアムの8割程を埋めたことを記憶している。貧しいアイルランド人も映画『アンジェラの灰』の後の物語で描かれたように、新大陸で差別や偏見と闘いながら、生きてきた。

全てのフットボーラーに幸あれ。
そして、SAY NO TO RACISM.