岸と壷三と国民投票法案とメディア

2007年04月13日 | Weblog
国民投票法案、与党単独で委員会採決 13日に衆院通過
(2007年04月12日18時41分 asahi.comより)
憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案が12日、衆院憲法調査特別委員会で自民、公明両党の賛成多数で可決された。民主党を含め野党が委員長席に詰め寄って激しく抗議する場面もあった。13日の衆院本会議で可決され、与党は来週にも参院審議に入る方針だ。
委員会では、中山太郎委員長(自民)が「話し合いは終わった。これから採決したい。これは委員長職権でやっている」と述べ、民主党修正案を否決、与党修正案を与党単独で可決した。

 与党修正案は(1)国民投票のテーマを憲法改正に限定(2)投票年齢は18歳以上(3)国家公務員法などによる公務員への「政治的行為の制限」を原則適用(4)公務員と教育者の「地位を利用」した運動を禁止――などが柱だ。

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岸信介の孫であるアパ壷三は、自分が幼い頃みた岸を振り返り、次のように言っている。
  「祖父は、幼い頃から私の目には、国の将来をどうするべきか、それば
   かり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間
   の轟々たる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内なが
   ら誇らしく思うようになっていた。
   間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らの方ではないか。」

壷三は、反対を押し切って安保新条約を結んだ岸の政治は結果的に正しかったと信じている。今の繁栄は、岸の政治的判断の結果なのだと考えているのだ。しかし、実際には岸は米国との間に新しい従属関係をもたらし、固定化しただけだった。もし、今の経済的成果と平和を評価するとすれば、岸が進めようとした憲法改正と軍事力保持路線が空前の大衆運動によって挫折させられたからである。
歴史に「もし」は禁物だが、もし安保改定が何の反対運動にも遭遇せず、その後、岸の当初の計画どうり、改憲と軍隊創設まで進んでいたとしたら、緊迫する東西冷戦の渦中で日本が無傷で過ごせたとは考えられない(韓国軍はベトナム戦争に駆り出されている)。その後40年以上にわたって米国の軍事政策については、のらりくらりとやりすごしつつ、少なくとも直接的には戦争に加担せずにすんだ。

戦後ジャーナリズム史を考えると、「7社共同宣言」はジャーナリズムにとって汚点であると同時に決定的な転換点である。

 ― 他に、安保改定で憶えていることはありますか。
渡辺(読売) ・・・政府声明を書いたよ。
 ― 政府声明をですか。
渡辺 そうです。6月15日に樺美智子さんが亡くなったでしょう。そのとき、内閣が声明を出すんだけど、僕が書いたんだよ。・・・その原稿が閣議にかかる。結局、一行を除いて、全文そのまま政府声明として、発表されることになるんだ。

政府声明を書いた渡辺恒雄は今では新聞業界のドンであり、政治の重要なフィクサーであり続けている。また、7社共同宣言をとりまとめたのは電通であり、これは電通が政治の背後に関与した最初の例の一つという事である。今では電通的なメディアの演出はワイドショー化した政治の中心を占めつつある。

NHKに対して、従軍慰安婦問題を扱った番組に介入した事や、拉致問題に関するプロパガンダ放送を命ずるなど、壷三はマスコミに対して頑迷な統制主義者である。しかし、こうした一連のマスコミに対する締め付けをまるで無いかの様に、壷三を政界のサラブレットであると持ち上げ続けるメディアは犯罪的ですらある。

小泉劇場と新自由主義的イデオロギーの浸透によってありとあらゆる対抗的なものが根こそぎ回収されているように見える今、憲法改正をはじめとする岸のプロジェクトが亡霊のように復活する絶好の機会が来ている。それはとりもなおさず、戦前から延々と生き伸び続けたファッショ的権力が、再び呼び戻されるという事である。
それに対抗するために、まともなジャーナリズムをどこかで形成していく事が急務である。  (雑誌『現代思想』1月号より)

国境無き記者団による、日本の報道の自由度ランキングは現在、世界37位。

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