安倍語録について

2007年07月06日 | Weblog
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安倍語録は色々ある。
「私は今、権力の頂点に立っている」
「私の内閣」
松岡農水大臣の自殺を受けて
「ご本人の名誉のために申し上げておくが、『緑資源機構』に関して捜査当局が松岡農水相や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行う予定もないという発言があったと聞いている」

安倍は三権分立を基本的に理解していない。
得に、松岡氏へ検察の捜査が及んでいないことを発言する事が指揮権発動につながると言う認識は全くなかったようだ。
それを追求しないマスコミもマスコミだが・・・
また、朝日新聞が第166国会での<公務員制度改革法案の成立を断念>との見出しを朝刊一面に掲載した後、NHKの日曜討論で、「ある大手紙が公務員制度改革法案を今国会で断念したと掲載したが、これは間違いで私の内閣で必ずやります」とわざわざ発言している。自分の権力を抑制的に認識しなければいけない場合にそれが出来ず、また、いらぬところでは過敏なのだ。

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内閣総理大臣が権限をフル活用すると三権の頂点に君臨する存在になる。議院内閣制は絶対権力を創出する「ポテンシャリティー」を持つ仕組みなんですね。これまでの日本では、「自己抑制」がどこかで働いて、自民党の総裁であっても、タテマエ上、人事権をフル活用することは不可能でないのですが、それを行使した人はいなかった。派閥均衡というのは権力者の権力行使における「自己抑制」なんですね。内閣総理大臣は司法の問題について介入しようと思えば介入できるわけです。人事権を通じて。日銀もそうです。
戦後の日本では政治権力者の「自己抑制」によって「三権分立」のタテマエが曲がりなりにも成立してきたと思います。小泉首相はこの不文律を根こそぎ破壊した最初の人間ではないか。内閣総理大臣が「自己抑制」を捨て去れば三権の頂点に君臨することは不可能ではない。「権力を持つ者が活用できる権利を 100%フルに活用するのは当然である」と考える発想法は、「市場原理主義」そのものと言えるのではないでしょうか。 (植草一秀氏の発言 参照 雑談日記さん)

◆◆◆◆

小泉の謦咳にふれていた安倍は、小泉的統治をさらに歪な形で引き継いだといえるだろう。そのなれの果てが第166国会での強行採決17回である。戦う政治家を自認する男は、なにと戦っているのか。三権分立と戦い、議会制民主主義と戦い、朝日新聞や日教組と戦い、沖縄辺野古沖のジュゴンと戦い、原爆を落とした米国とは戦わず、そして今、私たち国民と戦おうとしている。私たちは負けるわけにはいかない。先般、亡くなった宮沢喜一元首相は生前、以下のように述べている。

「隊列に埋まってしまっていては、リーダーの資格を失うことになるが、あまりに隊列を離れては、政治の実行をあげ得ない結果になる。古来、革命をなしとげた英雄の銅像はいくつもあるが、保守の英雄は銅像にはならない。『保守』とは一種の常識主義といってもよいであろう」

安倍に聞かせても、馬の耳に念仏である。


2 コメント

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konnbannha! (buittyann)
2007-07-06 23:03:37
一太越え、アッサリでしたね(笑)
私も政治ランキングに参戦する時の最初の目標でした。 
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すみません (ぶいっちゃん)
2007-07-06 23:06:29
変なローマ字のまま投稿してしまいました^^; ぶいっちゃんです。
飲んだら書くな ですね。失礼しました。 
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