白夜行 - ピカレスクも理解できず

2006年03月25日 | Weblog
首都圏をはじめとした都市商業地の公示価格が上昇している。ミニバブルを呈するようだと言う。六本木ヒルズあたりがその象徴だろうか。各企業の国際競争力も持ち直しつつある。一部のエコノミスト達はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)も参加するこれからの国際的経済競争にも日本は勝たなければならないと言う。しかし、話はそう単純だろうか。この4ヶ国は、確かに近年数字の上では目覚しい経済成長を成し遂げている。しかし、ある負の共通点も持っている。それは絶望的な程の経済格差を国内に抱え込んでいる事だ。それ故に、ブラジルは銃犯罪による死亡者数が近年アメリカを抜いて世界一になった。ロシアは共産主義を捨て、英国の人気プロフットボールクラブを買収する富豪が出現する一方、モスクワではホームレスが激増している。中国の沿岸部と農村の格差やインドの路上で暮らす子供達の存在もみな知っているだろう。

はじめの一歩さんと家にいさせてさんが紹介している直木賞作家東野圭吾の『白夜行』のTV放送が終了した。原作も読んでみた。貧しさ故に母に売られた少女とその少女を買った自分の父親を殺した少年の物語だ。二人は、お互いがお互いの、時には太陽になり時には月になり、ピカレスクロマンを紡いでいく。

東南アジアの各国が80年代に急激な経済成長を成し遂げた時もそうだった。タイやフィリピンなどには、路上で暮らしゴミの山で暮らし、親に売られた子供達がいた。そういう犠牲の下での経済成長だった。そして、彼らをわざわざ買いに行く日本人や先進国の人間がいくらでもいた。今でもいる。

現在、日本では貧困層と言われる年間所得しかない家庭が、統計を取りはじめてから最大の数字を見せ、就学援助を必要としている児童が東京都の北部では全体の30%から40%も占めている。この国の経済格差を放置したまま、国際競争力を維持し、また、上げることに政府や企業が邁進すれば、必ず、ロシアやブラジルやタイの様な国になり、いつの日か、きらびやかな六本木ヒルズや新宿副都心や丸の内の直下にスラム街が出現するだろう。そこでは大人達に混じってストリートチルドレンも街の風景の一部になるだろう。そして、生きていく為には何でもする子供たちが出現するだろう。J・ダワーの『敗北を抱きしめて』の中にも描かれた様に、つい60年前にもそうした子供達はこの国にいた。それは寓話ではない。

『白夜行』の二人に限らず、いつの時代でも街の風景の中では、子供達の存在はちっぽけだ。大人が守らなければ。日本の子供達もBRICsや東南アジアのストリートチルドレンも同じ子供達であることには変わりはないのだ。

為政者はここ10数年で一般家庭の経済的な安定を壊し、格差を拡大し、それが原因の教育環境の悪化を進めながら、その一方でサメの脳ミソ森喜郎や、安倍晋三氏は教育が大事だと言う。教育基本法の改正が必要だと言う。マッチポンプではないのか。先にやるべき事があるだろう。一片のパンを盗む必要もない家庭に育った世襲政治家には、ラスコーリニコフの13日間も『冷血』もピカレスクロマンも、理解は出来まい。

夜でもない昼でもない道を行く者がここでもそこでも、増え続けているかもしれない。