小声で語れ国家

2006年03月22日 | Weblog
藤原正彦氏の『国家の品格』が売れている。発行部数100万部を突破したそうだ。私も読んでみた。一言で言えば、保守本流を任じている人が泣いて喜ぶような内容だ。
利用価値はありそうだと率直に言えば、著者に失礼だろうか。

私は普段から、国家単位で物事を思考することに警戒感を持っている。素人が国家を語り出すと床屋政談のレベルにも拘わらず、くだらないナショナリズムに自分が直ぐ染まりそうになるからだ。ところが、そんな連中がいまやマスコミ、特にTVの世界を席巻している。茶髪の弁護士や、つるッパゲの政治評論家や台湾出身のオバちゃんのことだ。いつ頃からだろうか。マスコミの世界で「国益」という言葉が頻出するようになり、人々が語りたがるようになったのは。以前は石原慎太郎氏が匹夫の勇よろしくアメリカに吼え、中国に吼え、日本民族の優秀性を声高に叫んでも、苦笑する人間の方が多かった。それが今や、300万票を得て都知事になる時代になってしまった。本来なら東西冷戦が終了して、日本の保守派の仮想敵国としてのソ連が消滅した後、既存の国家概念の枠組みを超えた思想や試行が日本で展開されても良かったはずだし、マスコミでの発言権のある識者達にもそういう知性が求められてしかるべきだった。しかし、現実にはグローバリズムという収奪型の資本主義を殆ど何の検証も出来ない知性しか持たず、その一方で国益や愛国心を声高に叫ぶ、自分が矛盾したことを発言していることすら理解していない連中がのさばっている。金美齢にしても台湾出身であれば、中国共産党に批判的であるのは当たり前ではないか。では、日本と台湾と中国の現代史を検証する番組のひとつでも最近放送があったか。そういう作業もせず、国益バカをTVに出すな。植民地にされた側の人間が植民地にした国のTVに出演してその国のことを誉めるな。それこそが国辱ものだと言うことが解らないのだろうか。日本人がアメリカのTV番組に出演して、原爆を落としてくれてありがとうと発言するようなものではないか。アホである。

『国家の品格』の本文で解説されているが、今、権力の側には二つの流れがある。一つは王権神授説の虚構を現実的にかつ、巧妙に運用し国益や愛国心の概念を床屋政談のレベルにまで落とし、それを一般庶民に語らせることで《仲間》に引きずり込もうと言う戦略だ。それに一番利用されやすいのはスポーツである。もう一つの流れはロックの『統治二論』に基ずくカルヴァン主義、宿命論の如く市場原理主義を所与のものとして肯定する流れだ。
藤原氏の論理は王権神授説を積極的とまでは言わないが、ある程度肯定して、武士道や惻隠の情など、日本の伝統を守ることで、ワンフレーズ政治や市場原理主義に対抗しようとしている。その限りにおいてはカウンターパートにはなりうるだろうし、利用価値はある。
しかし、国家は小声で語ったほうがいい。同じ土俵に乗ってはだめだ。みっともないのは、小林よしのりや茶髪の弁護士やつるッパゲの政治評論家や金美齢だけでいい。ヤツラに付け入る隙を与えるな。知らん振りを決め込んで、面従腹背を上手く使ったほうがいい。腹の中で舌を出そう。権力は巧妙だ。賢く立ち回ることが肝要だ。

WBCで日本代表が優勝した。また声高に国家を語り、国歌を歌うのか。

ちなみに、このエントリーのタイトルは、丸谷才一の『裏声で歌へ○が○』を意識しているのは言うまでもない。