私の日曜菜園

自然はいい。畑の手入れ次第で生育が違ってくる。
大切にしたい。

ご苦労さん

2006-02-28 18:07:50 | 気ままな1日
H18年2月28日 (火) 晴れ時々曇り 12℃
気温の割りに肌寒さを感じた1日。

トリノ冬季オリンピックが、昨日27日早朝(日本時間)心配されてい
た「テロ」もなく終了した。

世の中みんな「評論家」ばかり・・・・・。
さぞつらかったでしょう。 遅塚団長サン。

デモ良かった。 荒川選手の「金メダル」が「酷評」を和らげてくれたこ
とは素直に喜こんでイイと思います。

選手のみなさん、メダルだけが評価の基準ではありません。
今でも、印象に残る競技は数多くある。

日本選手団の帰国のニュースが報道されている。
ご苦労さん。  お疲れさんでした。

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呼び名はどれが正しい?

2006-02-27 16:27:31 | 気ままな1日
H18年2月27日 (月) 晴れ 11℃
今日も、海老山の「手打ちうどん」茶山へ寄った。
前の道路の話になった。「宮島街道」?「在来2号線」?「観光道路」?
どの呼び方も間違ってはいないようだ。
中国駅伝の放送では「宮島街道」。
ラジオ放送、交通情報では「在来2号線」。

「観光道路」は過日「楽々園公民館」に寄ったときに調べて貰ったのでは
昔からの都市計画に「観光道路」があった。
原爆投下から間もない頃、仕事を提供して町興しのために、己斐駅前か
ら旭橋までの未完成部分の工事が始まった。
(これは余分ですが、県営グランドの工事も合わせてのことらしい)

戦後、海老山町の「観光道路」を自衛隊の戦車がよく通過したとのこと。
店の主人は、代代、平安時代から現住所に住んでいるのだそうだ。

スポーツ放送は宮島の方が全国に名が広く知られている・・・。
本来の道路事情からいえば、2号線・・・・。
古くからの馴染みからいえば、観光道路なんだろう・・・・。
バイパス道は「西広島バイパス」となるのだろう。
コメント (7)
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鶯が鳴いて歓迎してくれた

2006-02-26 17:42:59 | 日曜菜園
H18年2月26日 (日) 雨のち曇り 14℃
雨上がりの午後帰郷する。
いきなり「うぐいす」の鳴き声が歓迎してくれた。
他の小鳥も盛んに鳴いてくれる。  春の気配が感じられる。

梅の蕾は、これから10日くらいで開花かナ。 
例年だともう咲き始めているころだ。 1週間から10日遅いようだ。

早速、「たまねぎ」「ニンニク」の草取りから作業を始める。
生育状態は、例年通りマァマァの出来かな。
もう、3月中下旬ころから野菜の植え付けが始まるので、厳冬を超えた
「小松菜」の収穫を本格的に始めた。 冬越えすると「ビタミン」類が
豊富と聞いたことがある。 美味しい夕食が楽しみだ。

次は、「ニンジン」の収穫だ。 ニンジンジュースにするため細いもの
でも収穫する。

「ごぼう」も収穫する。 葉は枯れているが、掘ってみると土の中で、
新芽が芽吹いている。 
「カエル」が冬眠していた。「スミマセン」。手厚く土を盛ってあげたヨ。

次の機会の作業は、耕運機で畑の準備が始める予定だ。
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「ミニテニス」 FM生放送

2006-02-25 16:49:29 | 気ままな1日
H18年2月25日 (土) 曇り 13℃
昨夜美鈴が丘中で、「ミニテニス」で汗を流した。
20人位の参加。 コミュニケーションを図ることが出来る。

「FM」のラジオ番組の生放送で20:40位に、レポーターが突然、
体育館に訪問され「ミニテニス」の現状を、ミニテニス部部長が出演して
説明し、美鈴が丘体育部長が続いて、2月26日(日)広島市佐伯区大会
に参加すること等、「ミニテニス」を佐伯区等に広く普及する意気込みを
ラジオを通じてPRすることが出来た。

実にタイムリーであり、本格的に「同好会」として3月から発足する。
一人でも多くの参加者を呼びかけている。
小生のような年配者でも結構楽しめる・・・・・・・・。
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すごいぞ「金メダル」荒川選手

2006-02-24 17:38:22 | 気ままな1日
H18年2月24日 (金) 曇りのち晴れ 13℃
トリノ五輪で、待望の「金メダル」をフィギュア女子「荒川静香選手」が勝ち
取った。  
苦しくて、長くて、さらに相当のプレッシャーに潰れることなく見事な事だ。

今日は暖かい一日だ。
過日図書館で借りた「ふるさと 五日市1987」掲載のうち、魚切ダムの
下流にある「次郎五郎の滝」を訪ねた。  ここは、残念ながら「ホテル」の
敷地にある。  挨拶して案内して貰うと、掲載写真どおりの滝だった。
この滝には伝説がある。   

魚切に、親が猟師の次郎・五郎の二人の子供があった。
親の猟師が、討ち取った大鹿で、鹿の角に似た病気が原因で苦しんで死んだ。
「次郎五郎」は猟師を続けていると、谷間で見つけた二匹の白鹿を追った。
白鹿は追い込まれて深い滝壺に落ちた。
追っていた次郎五郎も、壷の中に吸い込まれた。

そのころから、この淵に二匹の白い鯉が見られるようになった。
村人はこれを兄弟の化身であると、この滝を「次郎五郎の滝」と呼ぶように
なった。
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過去の戦争の歴史の産物?

2006-02-23 19:58:30 | 気ままな1日
H18年2月23日 (木) 晴れ 13℃
少し風はあるが比較的暖かい一日だった。

過日「鈴が峰山」の「砲台跡」? のことで「広島市公文館」に行って
調べたが、正確なことは解からない。

「広島市歴史編」を開いてみた。   どうやら、伝説等のものではない。
石柱建立が「明治32年6月」だから、時代の背景が関係してくるようだ。

明治4年(1871年) 新兵制として全国に四鎮台が置かれた。「廣嶋」は
「広島鎮台」1990年、第5師団と改称の位置付けだった。
広島城に大本営、大須賀(現在 光町) に練兵場、宇品港の築港(明治22
年11月完成) 、山陽鉄道KK(現在JR) が廣嶋までの開通が明治27年6
月、否応なしに、日本は戦闘モードを整えていった。

「日清戦争」明治27年(1894年) 8月宣戦布告。翌年4月講和条約で終局。
「北清事変」明治33年(1900年) 日本・欧米連合して、中国へ軍隊を派遣。
井口村(現在井ノ口) などから兵士として出兵した。
「日露戦争」明治37年(1904年) 2月戦闘開始。
その後、大正時代・昭和第一次世界戦争・昭和第二次世界戦争へと戦争
の歴史は続く。 

「鈴が峰山」の「砲台跡」?は・・・・
どうやら戦争の歴史を紐解くと「廣嶋」は戦略上重要な場所と位置付されて
いたのだろうと推測ができる。
  


  
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おもしろいヨ もっと知りたい

2006-02-22 17:22:12 | 気ままな1日
H18年2月22日 (水) 晴れのち小雨 11℃
今日は、気温の割には肌寒い小雨が降っている。

過日からの地元歴史探索で、楽々園公民館に寄って見た。
「あまんじゃく伝説」のCD(広島市美隅公民館 発行)をもらった。
地元先輩のみなさんが、後世に語り続けて行きたい責任を感じとれる。
ノートパソコンで確かめてみた。  アリガトウゴザイマシタ。

話が弾んで、「海老山」に「30人の墓」があることを聴き、早速行った。
先日は見逃していた場所に、それがあった。

1555年、厳島の戦いで、毛利元就の家来で、「宍戸孫六」が海老山に砦
を築いていた。  「陶晴賢軍」は海老山に攻め上がり、白兵戦の末、
30人の「宍戸孫六」の家来は討ち死にした。
その亡き骸をこの地に葬ったといわれている。
( ふるさと いつかいち1987より )

関心を持ってみると、歴史の一端を知ることが出来て興味がもてる。
時間を取って、さらにがんばってみようと思う。
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「鈴ケ峰山」からの確認

2006-02-21 17:46:13 | 気ままな1日
H18年2月21日 (火) 快晴 12℃
午後から、「鈴ケ峰山320、6m」に登った。  
過日の「海老山」が、エビの形をしているのかを確認するためだった。
写真は、技術不足で掲載できないが、よく観ると「エビ」が伏せたような
姿にソックリだから「海老山」と呼ばれる由縁だったんだナ。「納得」 !

「鈴ケ峰山」には、別の顔があることも確認できた。
312mの東峰付近に、「陸軍省 ? 号」「明治32年6月」建立の
石柱がある。  
推測ですが、多分「鈴ケ峰山」は東西(瀬戸内海の海路が確認できる)
南北(北側の山脈及び南の島々の確認ができる)にわたり視界が開け
ているので、戦時中には、この山から敵陣の攻撃の来襲が一望でき
るからかナ。  なにしろ「眺望」がイイ。

第2次対戦中には、石柱の周りに掘り込んだ窪地がある。夜間などに
「探照灯(サーチライト)」の跡地カナ?
「砲台跡」の跡地カナ?
明治~昭和初期などのことは、わからない。
機会があったら確認してみたいナ・・・・?。
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若さは無限だ

2006-02-20 18:50:20 | 気ままな1日
H18年2月20日 (月) 雨のち晴れ 9℃
朝からの雨は、予報どおり午後から晴れた。

地元短大を、今春卒業する採用予定の学生を、研修先に案内した。
明るい性格の学生だ。 緊張しているが笑顔がイイ。
社会人一年生だった頃の自分を、写してみる・・・・・・・・
希望を胸一杯に詰め込んだ自分がそこにあった。
就職後、間もなくするとイメージどうりの自分でないことに気が付く。
第一の「壁」がすぐに訪れた。・・・・・
壁は限りなく続き、その都度逃げたい気持ちが・・・・

厳しくてもイイ。 適切なアドバイスしてもらい育てて貰うことを
お願いして後にした。
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似合わないナ 力仕事

2006-02-19 20:09:04 | 日曜菜園
H18年2月19日 (日) 曇り 9℃
弟とともに9:30帰郷する。
以前から気になっていた庭で、洗い物をした際、路面が緩くなることだった。
約8cm位掘り下げ、コンクリート舗装した。  
慣れない作業ゆえ、かなりシンドイ仕事だ。
掘り起こした土を「一輪車」で空き地に運ぶ。 運び終わったらもう昼食。
午後から、砂利を敷きセメントを入れる。 もう、いっぱいの「汗」だ。  
舗装が仕上がったのは、夕方になった。
「日の入り」が6時少し前ごろなので助かる。

今年は、「梅」の花の開花は寒さの加減で少し遅い。 
まだ蕾からは、開花の時期が見えてこないようだ。

少し寒さはあったけれど、風がない。 
帰路の街道の田んぼから立ち上がる煙は、ふもとに棚引いていた。









   
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