H18年2月18日 (土) 晴れのち曇り 7℃
昨夜、「ミニテニス」が美鈴が丘中体育館であり参加した。
約30名が、指導者の合図でそれぞれが「軽い汗」を流した。
楽しく和気あいあいのうちに2時間30分を過ごすことができた。
今日は、「あまんじゃくの民話」をもっと詳しく知るために「図書館」に行
き「ふるさと いつかいち 1987」を借りた。
昨日ブログの親の名前は、安芸の国五日市に「道空」は、世の中のために
なるお金を使うので「道空様」と尊敬されていた。
その息子が「あまんじゃく」こと「道斎」だった。
反対ばかりするので、親の「道空」は「わしが死んだら、海の中の津久根島
へ葬ってくれぇヨ」 は、本心ではなく山に葬ってもらいたかった。
しかし、息子の「道斎」は、遺言ゆえ、こればかりは「津久根島」に葬った。
「あまんじゃく道斎」は、村人から、お父さんの気持ちを聞くと「墓」を
掘り返しに「津久根島」へ渡った。
そしたら、急に空が曇り「大嵐」となり帰らぬ人となったのだそうだ。
(現在も、津久根島に親の「道空」の墓所は実在している。)
昨夜、「ミニテニス」が美鈴が丘中体育館であり参加した。
約30名が、指導者の合図でそれぞれが「軽い汗」を流した。
楽しく和気あいあいのうちに2時間30分を過ごすことができた。
今日は、「あまんじゃくの民話」をもっと詳しく知るために「図書館」に行
き「ふるさと いつかいち 1987」を借りた。
昨日ブログの親の名前は、安芸の国五日市に「道空」は、世の中のために
なるお金を使うので「道空様」と尊敬されていた。
その息子が「あまんじゃく」こと「道斎」だった。
反対ばかりするので、親の「道空」は「わしが死んだら、海の中の津久根島
へ葬ってくれぇヨ」 は、本心ではなく山に葬ってもらいたかった。
しかし、息子の「道斎」は、遺言ゆえ、こればかりは「津久根島」に葬った。
「あまんじゃく道斎」は、村人から、お父さんの気持ちを聞くと「墓」を
掘り返しに「津久根島」へ渡った。
そしたら、急に空が曇り「大嵐」となり帰らぬ人となったのだそうだ。
(現在も、津久根島に親の「道空」の墓所は実在している。)