この国の85%程度がカトリックです。この国のカトリック教徒が一度は訪れたいと思う場所、それはカルタゴです。
わたくしはお誕生日を祝った次の日の朝、このカルタゴの地にいました。
カルタゴの教会は今から430年ほど前の1574年に建設されました。しかし、1910年までに地震により5回もの再建を余儀なくされています。繰り返される建設と崩壊、人々は再建を断念したのです。
そして今、中央公園に位置するこの場所では廃教会として静寂の時を刻んでいます。
中は厳重に管理されていて、美しい庭園が広がっています。
刻まれている歴史がまた、廃墟と庭園の歴史の重みを感じさせます。
わたくしは遺跡が好きですが、エジプトのような広大なものよりも深緑との調和を含むものがより好きです。なぜなら、それは自然との融合という点で、退廃思想ではない、地球の未来のようにも見えるからです。
中央公園は他の公園と同じように行きかう人々も多く、廃墟となっても愛されるその姿は輝きを失っていない神秘性に満ち溢れていました。
美しいカルタゴの街。旅は始まったばかりだと、再認識しました。
(今回はちょっと旅人チックに、手抜き?んなこたぁない)
この後はカルタゴの真の凄さ、南国の奇妙な植物たちと遭遇
続く・・・
わたくしはお誕生日を祝った次の日の朝、このカルタゴの地にいました。
カルタゴの教会は今から430年ほど前の1574年に建設されました。しかし、1910年までに地震により5回もの再建を余儀なくされています。繰り返される建設と崩壊、人々は再建を断念したのです。
そして今、中央公園に位置するこの場所では廃教会として静寂の時を刻んでいます。
中は厳重に管理されていて、美しい庭園が広がっています。
刻まれている歴史がまた、廃墟と庭園の歴史の重みを感じさせます。
わたくしは遺跡が好きですが、エジプトのような広大なものよりも深緑との調和を含むものがより好きです。なぜなら、それは自然との融合という点で、退廃思想ではない、地球の未来のようにも見えるからです。
中央公園は他の公園と同じように行きかう人々も多く、廃墟となっても愛されるその姿は輝きを失っていない神秘性に満ち溢れていました。
美しいカルタゴの街。旅は始まったばかりだと、再認識しました。
(今回はちょっと旅人チックに、手抜き?んなこたぁない)
この後はカルタゴの真の凄さ、南国の奇妙な植物たちと遭遇
続く・・・