暇人短剣符

暇人の日常散策、世界中の友との再会を夢見て日々上昇中。

固い握手No.3

2004-12-23 17:20:47 | Costa Rica 旅史
それははやり彼女に会いに行くことが大きな要因らしいです。彼女はC国でセラピストとして開業するらしいのです。職場環境がT君自身のスキルを生かしきれていない現状と認められない会社体系という価値の矛盾、そして、やりたいことをやるために一人、事業を起こした彼女。1年悩んだ末、彼が選んだのはC国で職をみつけ、働き、そして彼女を支えることなのです。
彼の目は澄んでいました。
「お互い話し合った。後悔はしない。」
想像できるでしょうか、彼女は今、彼のために台所の食器の色を選んだりしながら、彼が来るのを待っているのです。地球の裏側で。
彼女とうまくやっていけるのか、将来そういった不安は無いのか質問をぶつけてみました。
「お互いが生きていくうえで、認め合い許しあう。だめなことはだめだという。そういった認識はあっていると思う。日本人ってさ、年を経ると丸くなるっていうでしょ。でも、それは四角いのが角がとれて丸くなるって意味だよね。でも、俺は四角の四辺を補って、付け足すことで丸くしていきたいんだ。そうすれば、丸は大きくなるでしょ。」

固い握手No.2

2004-12-21 22:52:47 | Costa Rica 旅史
私「なんだって?!そうなのか?」
彼は全てをおいて日本から発ってしまうのです。
T「周りの人は全員、やめておけとか絶対後悔する、とかいうよ。でもね、俺は大学のときB国に一人で行っったんだ。あのときの話を詳しく話そう。」
彼は大変だった経験を省みるように話をつづけます。
T「最初、色々面倒を見てくれるであろうホストがいたんだけど、たった2週間で、別のD国に逝ってしまった。俺をほったらかしにして。あの時はじめてヨーロッパ人のいい加減差に触れたよ。」
彼は英語も通じない環境で必死だったらしいです。何とか寮を見つけて住むも、このままでは生きてはいけません。誰も教えてはくれないのです。
T「家を出るとき、時計を見るんだ。それで、道から駅まですれ違う人に今何時なのか?とききまくった。」
私「??・・・あ、もしかして。」
T「そう、相手がどう答えるのか聞いて学習したんだ。」
そんなことを繰り返したらしいです。想像を絶するものがあります。サポートが無い状態で生きていくのは本当に厳しいことなのです。
最初の3ヶ月は本当につらかったらしいのですが、たまたま、そのとき日本とB国の官公庁が主催する交流イベントがあって、日本語のスピーチをするというものだったらしいです。そこで、知り合った人と仲良くなって、それからはスムースに仏語を習得することができたそうです。

たしかにそれを考えればC国にいくなんてたいしたことは無いのでしょう。しかし、なぜ会社を辞めてC国に行くのか・・・

つづく

固い握手

2004-12-19 23:37:47 | Costa Rica 旅史
実は今日は名古屋にいってきました。T君に会ってきたのです。誘いの電話が昨日鳴って、大阪に行こうか?ということでしたが、こちらから行くことにしました。
少し遅いお昼を食べた後、カラオケに行き、そして飲み屋へと結構振り回してしまいました。
飲み屋で結構話をして気づくのですが、彼は考え方が非常にしっかりしているということです。彼の話では、「日本の女性とも付き合ったけど、どの子も流されることに慣れてて自分の考え方をもっていない。だから、付き合っても物足りなかった。」といいました。
たくさんの国々を見てきた彼の言うことには、マダムとヨン様や女子大生とブランド品、小学生携帯ブームの様に、これほど流されて経済が成り立つ国は日本ぐらいだろう。といいました。ヨーロッパではヴィ○ンをもっているのはおばあちゃんぐらいだそうです。

そして、話はすすみ、なぜ彼がもうすぐC国に行くことになったのか、という話題に移りました。
「で、転勤なの?C国にいくっていうのは?」
「え?いや、ちがうよ。・・・おれ、会社を辞めてC国にいくつもりなんだ。」
その後の話を聞いてわたくしは驚愕しました。

つづく

成功者より親しみをこめて。No.3

2004-12-01 23:09:47 | Costa Rica 旅史
ついに友よりの知らせは突然に着ました。

H氏です。彼からの手紙はE-mailで届きました。
彼は某大手飲料会社で働いているとのことです。しかし、次の事実を知ったとき衝撃を受けました。
彼は帰ってから、留学のプログラムを提供している、ある組織で活動をしていたのです。
その活動とは、留学をした仲間たちとの交流会を運営する団体の会長をしていたということでした。小職が手紙を書いたのは留学をした人たちと連絡がとりたかったからにほかなりません。その望みを執行している団体があったのです。自分の無知さを痛感し、またそのような団体があったということに驚きました。さらに、彼はそこで友好を築き仲間たちと一緒に留学生を送り出す組織を立ち上げたそうです。
彼は留学生として送られる立場から、送る立場になり、ひとつの大きな意思をもって社会的に活動をしているのです。仲間内ではなく、組織として。
すべての手紙が返ってきて、最後の手紙として最も衝撃を受けました。
送られることが当たり前で、送る立場になれるなんて思っても見なかった自分。情けなくもあり、その分、彼はすごいとおもうのです。思いを実現する能力を目の当たりにしてしまいました。
彼と会ってみたい。震える気持ちでそう思ったのです。