暇人短剣符

暇人の日常散策、世界中の友との再会を夢見て日々上昇中。

デジカメについて3

2004-11-18 22:33:52 | Costa Rica 旅史
集合写真をたくさんのカメラで何回もとる光景が良く見られますよね。多人数での旅行とか。あれは小職はまったくの無意味だと思えてなりません。だって、同じ風景を何回もとる必要は無いのですから。そう、一番性能のいいカメラで一枚だけとってみんなに配ればいいのです。特に、デジカメによってデータ転送も簡単になりましたのでこのような同景多写が減ると願いたいものです。
でも、自分の写っているものが欲しい!と思う方も、もちろんいるでしょう。では、どうするのか?
お互いが見たもの(自分自身)をシェアリングするのがこれからの写真の撮り方だと提案します。
友達が自分を見た写真、自分が友達を見た写真をデータ共有して、自分の写っている写真にするのです。他者に自分を撮ってもらう時、あなたは鏡でも見るかのようにポーズをするはずです。でも、本来は鏡ではなく目の前に広がる景色を感じているはずです。そのとき、あなたはきっともっと素敵な表情をしているはずなのです。
デジカメからインターネット(Webアルバム)に直でアップロードできる製品を開発中という記事を結構前に見ました。こうした一瞬の連続を撮った、価値ある写真を共有するスタイルが定着すれば、カメラ好きの日本人というとらわれ方も少しは変わるのかな、と思ったりします。

デジカメについて2

2004-11-17 22:54:47 | Costa Rica 旅史
そこで彼は言ったのです。
"T, Best picture is here..."  ("T"は私のニックネームでした)
彼は頭を指差して微笑みました。うーん、今思えばキザですね。でもそのときは衝撃を受けたのです。豪華なカメラを持っているにもかかわらず、本当の光景は脳裏に焼きつくってことですよね。写真では思い出すことはできても、あのときのにおい、肌を流れていく風の感触、木の揺れる音まで呼び起こしてくれるでしょうか。そういったリアルな感覚(クオリアという言葉もあるようです。)はやはり脳裏に焼きつくと思います。写真というとどうしても見えるものしか思い出に残らないような気がしますよね?ちょっとした旅行の会話でも
「ここどうだった?」と聞いても「すごいきれいだった!(もしくは大きかった、とか壮大だったとか)」という答えが返ってくるのが多いような気がします。相手に伝えやすい分、重要視されてしまうのは仕方ないかもしれません。しかし、ちょっともったいない気がするのは小職だけでしょうか。
さて、話を戻して日本人とカメラについてですが・・・
つづく

デジカメについて

2004-11-17 00:46:17 | Costa Rica 旅史
先日デジカメを購入したと申しましたが、わたくしはじつは自分自身をあまりとりません。
どちらかというと小職自身が見たものをとります。
自分自身を撮ることは日本人がおおいでしょうか?自分の写真を自分のカメラでとるというのが普通になっているような気がします。
カメラについてはちょっとした話があります。

留学のころの旅で一緒になった孤高の人・・・Andyです。彼はいつもすごく高価なカメラを持っていました。よくある一眼レフのでかいやつです。そして、よく風景をとっていました。
ある日、グランドキャニオンかどこかで夕日の絶景に出くわしました。遥か彼方の地平線に太陽が降りて、目の前のだだっ広い平原や岩が真っ赤に染められて、隙間から日が差し込んできます。残念なことにカメラを忘れてしまった小職はこの風景を納めれない悔しさにショボンとしていました。
それを見て、彼が言ったのです。
つづく・・・