『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

津軽海峡冬景色

2018-12-09 15:57:08 | 旅行
上野駅はかつて「北の玄関口」と呼ばれ出稼ぎや就職列車の終着駅でした。

上野駅外観


隣駅は鶯谷、しつこくまた登場。


「都会で辛い事があれば上野駅に行け。故郷(ふるさと)訛りの言葉が聞けるから」
名曲「津軽海峡冬景色」が生まれ数々の思いとドラマを生み出したとえ故郷が南国や西日本であっても北国の人間の人情や温もりを求め「何もない、文化果つる地」に「何かを探しに」旅立ちました。
まさに東北線の終点でありながら人生の岐路に立つ者の旅立ちの駅でもあったのです。

啄木歌碑


「寡黙な人たちのなかで」
白河を越え仙台を過ぎれば北東北
青森秋田岩手と県民性には少しずつ相違があるのですが、底冷えのする雪が流れ込むホームに黙ってじっと立つ姿、関東や西日本の住民にとっては驚く他はございません。

新青森駅 奥羽本線ホーム


じっと佇む寡黙な人たち。
しかし何も考えていない訳ではありません。
思考を思慮を深め「沈思黙考」する事により、
何が一番大切か、ひとは何をすればいいのか。
拙速に結果を求め金銭で人を評価する現代において、東北人は我々に「挑戦状を叩きつけます」
刹那的な成功や有頂天になっている私たちに
「おまえはそれでいいのか」と言葉もなく語りかけて来るのです。

「青森駅は雪の中」
青森駅は青函連絡船ありきの駅、新幹線はこちらに接続するとスイッチバックの必要があった為に新青森に建設接続されました。
さすがに大曲駅のように札幌まで逆向きには走れない。

これは「青い森鉄道」の車両

青函連絡船 八甲田丸


ここから乗船




車両甲板 青森駅からそのまま鉄道の線路が続いております


貨車が直接、搭載(乗り入れ)できる構造




エンジンルーム



船体底部、設置やメンテナンスはひと苦労
船のドッグ入りは長期間になる訳です



地味ですが船舶用ディーゼルは確実に日本の基幹産業。

船長室


サロン会議室

議員さんと握手して聖徳太子を握らされました。
ちなみに私は鶯谷の熟女に肉棒を握らせました。

ブリッジ


通信技術の発達、20世紀最大の発明です


航海の安全を祈ります

小惑星イトカワにいどんだ、はやぶさを思い出しました。最後は神頼み。

航海の数だけ、物語がある。


艦内の展示
お姉さんは荷物が多いんです

まちこ巻き

八甲田丸は定員1283人ですが、こちらの部屋を姉御に用意


朝市の風景
リヤカーに菊の御紋をつければ立派な御料車になります。こどもも笑顔「お米が売れるかな」

苦しい生活でも愛情をかけて育てれば、その気持ちは生涯忘れない。

りんご売り、妙齢のご婦人

助平の津軽人のこと「奥さん見なはれ」と立派でもないものを見せた「ざいごっぺ」もいただろうな

この白い軍手のジジイ、相当怪しいだろ


キオスクのお姉さんはセクハラの対象です

18歳、女学校卒。
「毎日、声をかけてくるおじさんがいます。でもジジイは嫌よ。お金を貯めて洋裁店を開くのが夢、青森に店を持ったら五所川原にも支店を出したいわ!」

船首


都に上京した東北人の酒の呑み方は尋常ではない。腰を据えて徹底してのむ。
故郷に戻っても仕事がない居場所がない帰れない。だから壊れ方が半端でない。
ふるさととの距離も心も遠く年老いてゆく。
日本酒と演歌と米作りとあまりに日本的な土地、とうほぐ。

故郷を想えば懐かしき山々、南部なら岩手山、出羽の国なら鳥海山、津軽なら岩木山と八甲田、会津磐梯山もしかり。

日本人が「リゾート作り」に邁進した日々、それはわずか20〜30年前。しかし世界の潮流に逆らいバブル崩壊、少子化、イノベーションによる中流階級の転落。この国は逆に回り始めました。しかしそれは悪い事ばかりではない。

「これからの津軽」
最果ての地、津軽にも何かを求め外国からの観光客がやって来て「これは素晴らしいよ」と明に暗に教えてくれる。「観光地に飽きた、見せる為の人為的な造形には元々興味がない、クールジャパンのその先にある」過酷な自然と対峙し誠実に必死に生きる、その人となりを知りたいのだ。それが此処にあると知った時、旅人は次の年も「心の故郷」にやって来る。

「変わらない心と変わりゆく心と人」
何も語らない故郷の山河は今日もとうほぐ人の行く末を見守っている。


本日の上野駅
停電の影響で上野で下車しました


コンコース


待ち合わせ場所
翼の像 朝倉文夫


津軽人よ、東北人よ、ネバーギブアップ


おしまい

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