『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

絵を見るに心がけていること

2018-07-21 10:09:14 | 日記
通りすがりの画廊に興味の引く絵がある。たいていお客さんなんて誰もいないからなかなか入りづらい。
正札を確認すると30万円なんて普通。勿論買えないし買う訳がない。
仕方ないからウインド越しに眺めたりする。

もう少し安い場合、大体2万円から5〜6万円位なら思いきってドアを引いたりする。
「いらっしゃいませ」スーツを着てしっかり髪を整えたスタッフが奥から出て来る。
「すいません、見るだけですが宜しく願います」とはっきり伝えておく。
半分は冷やかしのつもりですが、相手様もわかっているだろう。
「買わないなら出てって」とはいまどきの画商は言わない。

わざと見すぼらしい服装で出かけて相手の粗探しをしているブログもあるが、そんなのは一休さんが糞掃衣でホニャララの道徳の教科書にあった時代の話し。
いまどき人を値踏みするような態度をとる人間とは主客どちらとも面倒だから関わらない。高くなくてもいいから清潔できちっとした服装をするのは基本。

画廊もかつては高額の絵画を売り捌く不動産屋のような業界イメージだったが最近はこれでは経営は成り立たない。

バブル崩壊とネットオークションの台頭
画商が才能のある画家を発掘し育てる時代は終わったという者もいる。
昔のようにぼろ儲けはできないし、銀座の賃料は高額だけどそこに踏み留まって真剣にいい絵を探して売ろうとする画商も多い。

んなもんで
シャチョーが趣味で描いた奥様さえ見向きもしない薔薇の絵とかは流石に置いていない。捨てられた「作品」も多いだろう。

無名時代の荒井由美が美大を受験してうちは教職を取らせる学校だからと。
彼女は多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻に入学した。
後年悔しがった武蔵美の教授たち、感性で人を見抜く美大の教授でも目が曇る事がある。
でも食いっぱぐれが無いように教職を取らせる武蔵美は芸大と違って極めて優しく面倒見がよくて良心的かもしれない。

絵の価値は株と同じ美人コンテストみたいな部分もある。
最初はよくわからないが「いいなあ」と思う人がいて買ってみる。
そして追随する人が出てくる。だんだんと有名になりメディアでも取り上げブレイク、高騰。人気作家へ。

日本画の世界では自称画家が3万人いたとすると専業で生活できるのは3人という話も聞いたことがある。至って狭き門の世界。
必死に描いても画商が雲隠れして(最近は少ないようですが)作品を持ち逃げされ「あーこの前、宇都宮のデパートで売ってたよ」なんてこともある。

個展や画廊の絵は時間と機会があれば、なるべく見るようにしている。
無名な画家でも個展なら安くない出店料を払っているし、画廊ならプロのフィルターがかかっている筈である。
そしてじっくり見ておく。なぜなら購入されてしまえば次回お目にかかれるのは、所有者の亡くなった時、相続の時かもしれないから。
そうすると数十年後という可能性もある。

「名画といわれる絵」美術館ではこれが日本で見られる最後のチャンス!と広告にセンセーショナルな文字列。
実際、名画を見ると凄いなあと思う。でも考えてみれば美術館が所有している限り
「名画」だからまた鑑賞する機会はあり、空路の大衆化で、わざわざ自分は行かないけどおフランスだって簡単に出かけられる。
美術館だってどこも経営は厳しいから、高額のオファーがあれば貸し出す。
千載一遇、一生に一度のチャンスではなく、もしかしたら鑑賞の場はまた廻ってくるかもしれない。

大御所の作家でなく画廊で扱う小品等はお客さんが倉庫に仕舞い込んだら数十年は陽の目をみない。再び鑑賞するチャンスは名画よりずっと少ない。
だから気になる時はじっくり見ておこうと思う。

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