旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲州道中紀行12 金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿

2016-12-03 | 甲州道中紀行

 

09:40 「金沢宿」 
 曹洞宗金鶏山泉長寺の山門前に「おてつき石」がある。
参勤交代の大名に役人が、この石に手をついて口上を述べたそうだ。 

 

明治時代のものであるが、人馬が一緒に泊まれた横棟造りの「馬宿」が残っている。
軒先には「馬繋ぎ石」を見ることができる。

     

承応三年(1654年)建立の金山大権現を祀っている権現の森。
この手前が高遠道との追分になっている。高遠道は高遠藩、飯田藩の参勤道でだ。
ってことは、この先の甲州道中を通ったのはいよいよ高島藩くらいになってしまう。

稲刈りを終えた田圃に稲ワラが敷かれ、等間隔に木材を並べる作業を見かけた。
多分、寒天の干し場の準備だと思われる。
所狭しと寒天が並べられる風景は、冬の諏訪地方で見ることができる風物詩なのだ。

     

10:10 「金沢一里塚」
 諏訪までのお付き合いになる宮川沿いを往く。
日本橋から49番目の金沢一里塚は、R20対岸のホテル脇に標石のみがぽつんと在る。
塚は崩れてしまって原形を留めていない。 

     

10:45 「酒室神社」
 坂室地区になんとも興味をそそる名前の神社がある。
諏訪大社の祭礼のひとつである御射山祭の際、濁酒を造り、山の神の供える。
この前夜祭をとりおこなう神聖な地に祀られたのがこの酒室神社だ。

坂室を過ぎると眼前が開けて諏訪盆地が確認できる。
中央道越しに雪を被っているのは木曽駒ケ岳か、標高2,956m、中央アルプスの最高峰だ。

 

11:05 「茅野一里塚」
 日本橋から50番目の茅野一里塚も標石のみが在る。塚木は松であったという。
ここに鎮座する「三輪神社」、久寿年間(1154~56年)の創建で、大和の三輪神社から迎えた。
神社に隣接する豪壮な三階建ての土蔵は、寒天を保存する使われた「宮川寒天蔵」だ。
現在はイベントスペースとして使われている。

     

11:20 「諏訪大社上社大鳥居」
 茅野駅前交差点に大鳥居が在る。諏訪大社上社は本宮と前宮の二社が鎮座している。
多くの旅人がここを左手に折れて参詣の道を進んだことだろう。

 

街道は湖岸に向かうことなく山際の高台を往く。R20、中央本線を見下ろす感じだ。
神戸地区辺りから温泉の給湯所や共同浴場を見かけるようになる。

 

12:00 「神戸一里塚」
  日本橋から51番目の神戸一里塚は跡碑が建つのみ。ここは片塚で、塚木は槻だった。
街道が往く高台は眺望は良いものの、家々に遮られてまだ湖面は見えない。

     

12:40 「秋葉神社」と「大清水」
 清水1・2丁目交差点から街道を外れて細い路地を上ること数分、
巨木の根元に四つの社が祀られた秋葉神社が在る。
石鳥居の傍らには、明治十三年の巡幸の際に供された「明治天皇御膳水」が湧く。 

  

参道を下って行くと高島藩主が使用した「殿様御膳水」が湧き、
下りきった街道脇には庶民用の「大清水」が湧いている。
身分の高いものがより上水を使用する、時代の様子がよく表れている。

 

左手に「かねさ呉服店」、街道を隔てて「染一染物店」と旧い商家が向かい合う。

12:45~13:25 「諏訪五蔵」
 街道沿いに霧ヶ峰の伏流水を仕込み水に、旧くから酒を醸し続ける5軒の酒蔵が並ぶ。
江戸口から入るとまずは「真澄」の宮坂酒造、大好きな酒だ。
寛文2年(1662年)創業の蔵は高島藩の御用酒屋を勤めていた。
先週、新酒 “あらばしり” を出荷したばかりで酒林が青々としている。
純米あらばしり、山廃ひやおろし、奥殿寒造り、とテイスティングしてご機嫌なのだ。 

 

宮坂酒造を後にすると、左手に「横笛」の伊藤酒造、昭和33年創業の新しい蔵だ。
街道を挟んで「本金」の酒ぬのや本金酒造が向かい合う。創業は宝暦6年(1756年)と旧い。
「本金」とは「本当の一番(金)の酒」という意味だそうだ。 

 

屋根に雀おどりを載せた本棟造りは「麗人」の麗人酒造、寛政元年(1789年)の創業だ。
最近ではビール「諏訪浪漫」も醸造している。
その並びに舞姫酒造、味噌・醤油を醸造していた亀源醸造から分家した新しい蔵だ。

 

13:30~14:05 「上諏訪宿」
 高島藩3万石の城下町に栄えた上諏訪宿は、本陣1、問屋1、旅籠14軒の規模。
小平本陣跡は広大な駐車場になっている。並びには温泉共同浴場「精進湯」がある。
西方の桝方になるのだろうか諏訪1丁目交差点で右手に直角に折れる。
ここには高島藩主専用の「虫湯」があった。

 

さて、上諏訪宿での昼食は “みそ天丼”、「れすとらん割烹いずみ屋」を訪ねる。
全国有数の味噌の産地である諏訪の味噌をベースにした「みそダレ」をかけた丼だ。
投網をイメージした蕎麦の素揚げ、ワカサギ、川海老、野沢菜のかき揚、しめじ等がのる。

 

14:10 「下桑原一里塚」
 上諏訪宿では長居をしてしまったので、残り6kmは1時間少々で歩きたい。
歩きはじめてほどなく左手に明治初期の純日本家屋を一部改装した喫茶店が現れる。
そして日本橋から52番目の下桑原の一里塚跡には碑と解説が在る。

14:40 「茶屋本陣跡」
 上諏訪から下諏訪への行程半ばに茶屋本陣跡が在る。
鯉料理が名物で高島藩主も賞味した。立派な門は、高島城三の丸門を移築したものだ。

藩主も旅人もこの眺望を楽しんだはずだ。湖面の向こうに上諏訪の市街地が見える。

 

14:50 「富部一里塚」
 旅人が湖面に向かって石投げに興じた「南信八名所石投場」が在る。
昔は琵琶湖が真下まで迫って、明治天皇もここから漁師たちの投網をご覧になっている。
甲州道中最後の富部一里塚は、榎を塚木とした両塚が在ったそうだ。
江戸日本橋より五十三里目、ゴールは近い。

15:05 「諏訪大社下社秋宮」
 旅の終わりは呆気なくやって来た。
住宅街の緩やかな勾配を上ると、突然視界が開けて下社秋宮の鳥居前の広場にぶつかる。
日本最古の神社のひとつ、七年に一度の「御柱祭」有名な神社も、冬は閑散としている。

 

15:15 「下諏訪宿」
 下諏訪宿は中心部の本陣岩波家辺りが丁字路になっている。
江戸方から歩いて来ると、左手に折れると木曽路を経て京都へ向かう中山道。
直進もやはり中山道で和田峠、碓氷峠をへて江戸へと逆戻りとなる。
ここが甲州道中・中山道合流之地であり、甲州道中紀行の終着点だ。
金沢宿から宮川に沿って諏訪盆地へと下り、上諏訪宿で信州の銘酒を堪能し、
諏訪湖の眺望を楽しみながら下諏訪宿までは、18.8km、5時間35分の行程となった。

下諏訪の湯に浸かる。息子と中山道を歩いた3年前と同じ「児湯」だ。
酒蔵と温泉に巡りあう行程はご機嫌だ。でも一人旅は本当は少し寂しい。
日本橋を発って延べ12日、213.5km、ここに甲州道中の旅を終える。
次はどこを歩くかは未だ思案中だ。

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして! (うさぎ)
2016-12-04 23:22:31
すごいですね!!!
私もかながわの古道50選というのにはまってしまったことがあるのですが、こうやって詳細に書いていくことは、それはそれはしんどい作業です。
しかも、アクセス数は全然(^^;
ランキングとかどーでもいいんだけど、それでも、5分で書いた焼き芋のがやたらアクセス数が多いのにはかなり凹みました(^^;
更新楽しみにしております!(^^)!
Re:はじめまして! (呑み人)
2016-12-05 07:13:59
うさぎさん、メッセージありがとうございます。「かながわの古道50選」ですか、テーマが豊富で興味深いですね。書き上げるには、調べることも多そうで大変でしたね。私はたまにしか書かないので、楽しく歩いて、気長に書き散らしています。
Unknown (mimoza)
2016-12-30 10:44:50
はじめておじゃましました。
興味深く拝見させていただきました。
参考にさせていただいて
歩いてみたいところがいくつか・・・
過去投稿も追って拝見したく、
読者登録させていただきます。
Re:Unknown (呑み人)
2016-12-31 00:22:33
mimozaさん
メッセージありがとうございます。
地図などないレポートなので、大してお役には立たないと思いますが。
どうか、素敵な旅になります様に!

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