旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲州道中紀行5 上野原宿~鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~鳥沢宿~猿橋宿

2015-12-05 | 甲州道中紀行

 

10:00「上野原宿」
 甲州街道を歩く第5日目行程は、“酒まんじゅう” の上野原宿、本陣跡からスタートする。
R20で測ると東京日本橋から74.0kmになる。
甲州道中は宿場の外れ本町交差点でR20別れ、中央自動車道と絡みながら段丘の上を往く。

上野原の町は桂川の支流鶴川の谷で途切れ、中央自動車道は谷をひと跨ぎして西進する。 

旧甲州街道は谷底まで下りて鶴川を渡る。橋の反対側に直線状に延びる集落が鶴川宿だ。

 

10:25「鶴川宿」
 鶴川橋を渡ってから山道に入るまでの300mほどの直線が鶴川宿の中心。
上野原宿からわずか1.8kmの距離で宿場が開かれている。
おそらくは鶴川が川留となった際に旅人を逗留させるためだろう。

 

鶴川宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠8軒からなっていた。
宿並みの中に鎮座する鶴川神社は寛文元年(1661年)の創建だ。
富田本陣も脇本陣も残っていないが、双方とも門構えなく玄関付だったそうだ。
本陣跡あたりには日に何本かしかやって来ないバス停が立っている。

 

桂川の河岸段丘を上っていく道は、新しい住宅とこんな古い土蔵などが混在している。
段丘を上りきると中央自動車道が緩やかな勾配で西へ向かっていた。
これから先、旧甲州街道の道筋は自動車道に上書きされたり潰されたりしている。

     

11:00「大椚一里塚」
 江戸日本橋から十九里目の大椚一里塚は新しい碑と解説板があるのみ。
塚木は無かったという。

 

大椚集落あたりは石塔石仏をたくさん見ることができる。
左)廿三夜塔 : 寛政12年(1800年)建立
右)秋葉山常夜燈 : 安永6年(1777年)建立、念仏供養塔 : 文政2年(1819年)建立

 

左)男女双体道祖神、馬頭観音、庚申塔など
右)大日如来坐像と千手観音坐像が安置された「大椚観音堂」と裏手の石仏群

大椚集落をぬけると暫し中央自動車道と並行する。いや旧道は自動車道に潰されている。
渋滞情報で頻繁に耳にする談合坂サービスエリア付近だ。

 

11:35「野田尻宿」
 下り線の談合坂SAの北側に並行して野田尻宿が在る。
本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠9軒で、ここも鶴川が川留になると賑わったという。
宮田本陣跡は更地になって、向かい側の旅籠大黒屋跡の旧家前に野田尻宿碑がある。
宿並は明治19年の大火で消失している。

宿場の西の外れに臨済宗西光寺、天長元年(824年)の創建は街道よりずっと歴史が旧い。 

野田尻宿を抜けて山道の入口に天満宮の祠がある。
傍らには馬頭観音。ずっと昔から西へ往く旅人を見送り、江戸へ往く旅人を迎えていた。

 

11:50「萩野一里塚」
 江戸日本橋から二十里目の萩野一里塚も残っていない。
県道の擁壁上に跡を示す杭が打たれているだけだ。塚木は松であったという。

 

12:30「犬目宿」
 犬目宿に着く。ずいぶんと上ってきた。
街道時代には房総の海、富士の眺望が良いところと評判だったそうだ。
犬目宿碑の立つ無料休憩所には “冷えたビール有ります” と手書きPOPがある。
けれど土曜日曜は13時からともある、残酷だ。

犬目宿は本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠15軒の規模。
左)笹屋脇本陣跡は白壁が雰囲気を出している。岡村本陣跡は一般的な住宅が建っている。

曹洞宗宝勝寺の小高い境内に上ると、犬目宿評判の富士山の眺望が楽しめる。
北斎の描いた「富嶽三十六景甲州犬目峠」もこの境内から描いたという。

 

県道30号となっている旧甲州街道は山肌に沿ってカーブを繰り返す。
所々幾つかのカーブをショートカットするように古道を歩くことができる。
その一つが君恋坂、日本武尊が東国征伐の帰途、弟橘姫を恋しく思い偲んだことに由来する。
この坂を上りきると一軒宿の君恋温泉、鉱泉の沸湯だそうだ。

12:55「恋塚一里塚」
 江戸日本橋から二十一番目の恋塚一里塚、片塚(南塚)が残っている。
甲州道中初めて一里塚に出会う。塚木は南塚は杉、今は無き北塚は松だったそうだ。

 

一里塚からわずかで山住神社、鳥居の傍らに古い石仏が並んでいる。
ここから先の古道は急な下り坂の古道は滑り止めの石畳を敷いた道になっている。

古道から県道に戻ると間もなく市境となり大月市山谷集落に入る。
集落の入口には馬頭観音の祠があり、石仏石塔が並んでいる。

 

旧甲州街道は山谷集落から沢沿いに桂川に向かってその河岸段丘を下っていく。
その距離2kmほど、苦労して上ったのに勿体ない。坂を下りきって桂川まで達する。
谷底の桂川にR20と中央本線が絡みあって西へ向かう。街道もここでR20に合流するのだ。

13:35「下鳥沢宿」
 R20と合流したあたりから下鳥沢宿なのだが何の遺構もない。
下鳥沢宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠11軒の規模、1km先の上鳥沢との合宿であった。

 

13:40~14:20「上鳥沢一里塚」
 江戸日本橋から二十二番目の上鳥沢一里塚は小さな標柱が商店の前にあるだけだ。
茶屋ならぬ大衆食堂で遅めのランチ、上高井戸宿、府中宿に続けて3食目のカツ丼。
味噌汁には春菊が入っていた。

 

14:25「上鳥沢宿」
 上鳥沢宿は、合宿の下鳥沢宿から一里塚を挟んで1km。
これが中山道の大きめの宿場ならひとつの宿並みの内、輸送量の違いが分かる。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒、問屋業務は月の後半15日間を担っていた。
井上本陣跡は更地で、明治天皇駐蹕地の碑がある。

深い横吹沢を渡って上鳥沢宿を出て西へ向かう。
橋のたもとの竹林に大小の馬頭観音が祀られ旅人を見送っている。

15:00「猿橋」
 幅広の河原をつくって流れていた桂川は、この辺りでは狭くて深い渓谷を刻んでいる。
名勝猿橋は、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木で橋を支えている。
岩国の錦帯橋、中山道の木曽の桟と並んで日本三大奇橋と呼ばれる。
現在の橋は昭和59年に、嘉永4年(1851年)の図面により、復元されたものだ。

15:20「猿橋宿」
 R20に上書きされた甲州街道を大月方面に向かう。冬至を目前の陽はすでに低く弱い。
左手に大小の馬頭観音に迎えられ猿橋宿に入って行く。
猿橋宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒からなり、芝居小屋も立つ大きな宿場だった。
電車の時間が迫るので、旧殿上村の鎮守三嶋神社で今回の行程を終える。
上野原宿から鶴川宿、野田尻宿を経て、“富士の絶景奇絶たる” 犬目宿へ。
恋塚一里塚を見ながら下鳥沢・上鳥沢宿、名勝猿橋を渡って猿橋宿までは19.2km。
所要5時間20分の行程となった。


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