旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲州道中紀行6 猿橋宿~駒橋宿~大月宿~花咲宿~初狩宿~白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿

2015-12-12 | 甲州道中紀行

 

09:00「猿橋宿」
 田畑や車のフロントグラスに霜が降りた寒い朝、三嶋神社前から第6日目をスタート。
結局、猿橋宿では本陣や脇本陣などの遺構は認められなかった。
宿場の京方出口と覚しきほぼ直角のカーブに、青面金剛王庚申塔が在る。
江戸日本橋から二十三里目の「殿上一里塚」もこのあたりで、塚木は桃だったそうだ。

桂川の対岸に見えるのは「岩殿城址」、武田家の武将小山田信茂の居城であった。

09:20「駒橋宿」
 厄王大権現が見えてくると駒橋宿。猿橋宿からはわずかに1.5kmだが独立した宿場だ。
本陣も脇本陣もなく、問屋1、旅籠4軒からなっていた。

 

旅籠橿屋跡が立派な井桁造りの家屋を残す。門柱に旧い屋号である「橿屋」を刻んでいる。

09:40「大月宿」
 大月宿はJR大月駅構内の南側に並行して延びる。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠2軒となんともバランスを欠いている。
前後の宿場と相互補完するのか、本陣・脇本陣を持たない駒橋宿からは1.1kmと近い距離。
駅前広場を横切る街道には、中沢屋・浜野屋・市川屋と現代の旅籠、ビジネスホテルが並ぶ。

 

明治天皇御召換所跡碑が立つ溝口本陣跡を過ぎると桂川の谷にぶつかる。
橋の袂に「富士山道追分道標」が並ぶ。
R20は桂川を渡って直進、左に分かれて桂川沿いを往くのが富士山道だ。

 

10:10「下花咲一里塚」
 “しばらくは 花の上なる 月夜かな” の芭蕉句碑は天保13年(1842年)建立されたもの。
ここは江戸日本橋から二十四里目、下花咲一里塚は小ぶりな南塚が復元されている。

 

10:20「下花咲宿」
 下花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒からなっている。
次の上花咲宿と合宿で、問屋業務は月の後半15日を担った。
星野本陣は天保6年(1835年)の火災後に再建されたものだそうだ。

 

10:30「上花咲宿」
 0.6km先の上花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒からなる。
問屋業務は月の前半15日を担って下花咲宿と合宿だ。本陣・脇本陣などの遺構はない。
旧道左手に馬頭観音、庚申塔、地蔵尊の石仏石塔群、右手に廿三夜塔を見て宿場を抜ける。

大月市真木のR20沿いに古びた食事処が2店軒を連ねている。
昭和30~40年代のドライブインってところか。なんだか懐かしい風景ではある。

 

R20の99km地点あたりから笹子川の南岸、中央本線に沿った旧道を歩くことができる。
11:00を過ぎたというのに路面の日陰部分には霜が降りたままだ。

 

11:25「下初狩宿」
 左手に初狩駅のかつてのスイッチバック構造が見えると、下初狩宿の宿並みに入っていく。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠12軒からなり、次の中初狩宿と合宿だ。
問屋業務は月の後半を担っていた。
奥脇本陣跡には門構えが残り、小説家「山本周五郎生誕之地」碑が立っていた。

 

11:40「中初狩宿」
 0.9kmでほどなく中初狩宿に入る。本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠25軒からなる。
問屋業務は月の前半を担っていた。やはり小林本陣跡が門構えを残している。

中初狩宿を出て暫く進むと、石垣の段上に石仏石塔群が行き交う車を見下ろしている。
このうち地蔵尊は正徳元年(1711年)、秋葉山常夜燈は安永7年(1778年)のものだ。

 

12:15「白野宿」
 R20から右手に旧道を入っていくと白野宿となる。
滝子川沿いの白野一里塚は江戸日本橋から二十六里目、西塚は榎、東塚は松が塚木だった。
白野宿の規模は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒だ。
笹子峠を控え阿弥陀街道・黒野田と3宿が合宿で、問屋業務は毎月23日から月末までを担った。

 

立派な山門を有する白野山宝林寺下あたりが今泉本陣、天野脇本陣が在った場所のようだ。

宿場の京方出口の子神社は旧白野村の鎮守だ。ここから大鹿峠を越える裏街道が分岐する。

12:55~13:25「阿弥陀海道宿」
 奈良時代の僧行基が、笹子峠の悪霊を鎮める為、この地に阿弥陀如来像を安置した。
この阿弥陀堂が地名に由来した宿場は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒の規模であった。
問屋業務は毎月16日から22日までを担った。本陣、脇本陣などの遺構は残っていない。
代わりに存在感を示しているのは笹一酒造。
常々酒蔵は宿場の華だと主張しているのがだ、この蔵に限って創業は大正8年。
すでに輸送の主流が甲州街道から鉄道(中央本線)に移ってからなのだ。

 

笹一酒造の直営ショップ「酒遊館」で昼食休憩。
“笹一純米吟醸” で喉を潤して、地野菜たっぷりの “田舎うどん” を楽しむ。
さすがに味付けは濃い目だ。

 

難所笹子峠の矢立の杉で、峠の力持ちとして売られていた名物 “笹子餅” のお店がある。
かつては駅売りや車内販売が主であったが、いまではサービスエリアでの販売が中心だ。

 

13:40「黒野田宿」
 難所笹子峠を控えて賑わった黒野田宿は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒。
問屋業務は月初から15日までを担い、過ぎてきた白野宿、阿弥陀海道宿と合宿だ。
宿並みには愛らしい笠懸地蔵が鎮座する。天野本陣跡には本陣門が残っている。
甲州街道を歩く第6日目は、猿橋宿~駒橋宿~大月宿と刻み、富士山道を追分て、
下花咲宿・上花咲宿、笹子川沿いに下初狩宿・中初狩宿を通り、笹子峠を控える
白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿まで15.7km、所要4時間40分の行程となった。


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