不思議なもので過去の記録から抜きだし多少の校正をして投稿しているだけなのだが、内容があまりに内省的で深い海の底を潜水し続ける様なモノであったので、どうも身体というか、自己を包む空気感までが深い青に染められていって、なにやら爽やかでない日々が続いた。
魂の色は青であるという。
これはどうにもあやしい。
正確には "青" という色の性質が魂の方向へ向かわせる作用がある、というべきではないだろうか。
魂という、明らかに物質以前の存在に色があろうはずがない。
ー そう考える方が理に適っている。
"色" とは明らかに物質以後の、あるいは生命の、もしくは感受体の発生以後に生じた "現象" に過ぎない。
"魂" などはその存在さえ誰も証明できないが、存在しないと証明できる者もいない。
むしろ感覚的に自己の内部をカテゴライズしていって分析していけば、どうやらそれらしいモノが "在る" と認識する方が腑に落ちやすい。
その感覚の性質を見つめればやはりそこには色はない。
なにも霊感とか第六感とか超能力とかに頼らなくても、この位の推理はごく普通人でもできる。
ではなぜ "青" がそちらに向かわせる性質を持つのか?
これは色彩と光の波長の問題になり、ここでの主題としたいことからは逸れるのだが、青という色自体が不思議な色であることは間違いがない。
なにが不思議か。
地球上に青い物質というモノが極めて少ないという事実である。
"Blue rose" 響きが良い。
南北米大陸の原住民やアフリカ大陸の一部言語によっては「青」という単語に相当するモノが存在しないところもある。
そうしたところからか、"青" にはメーテリンクの童話 "幸福の青い鳥" や ノブァーリスの未完の小説 "青い花" などにみられる様に実在しないモノを追いかけるロマンを託されてきた ー 。
魂の色は青であるという。
これはどうにもあやしい。
正確には "青" という色の性質が魂の方向へ向かわせる作用がある、というべきではないだろうか。
魂という、明らかに物質以前の存在に色があろうはずがない。
ー そう考える方が理に適っている。
"色" とは明らかに物質以後の、あるいは生命の、もしくは感受体の発生以後に生じた "現象" に過ぎない。
"魂" などはその存在さえ誰も証明できないが、存在しないと証明できる者もいない。
むしろ感覚的に自己の内部をカテゴライズしていって分析していけば、どうやらそれらしいモノが "在る" と認識する方が腑に落ちやすい。
その感覚の性質を見つめればやはりそこには色はない。
なにも霊感とか第六感とか超能力とかに頼らなくても、この位の推理はごく普通人でもできる。
ではなぜ "青" がそちらに向かわせる性質を持つのか?
これは色彩と光の波長の問題になり、ここでの主題としたいことからは逸れるのだが、青という色自体が不思議な色であることは間違いがない。
なにが不思議か。
地球上に青い物質というモノが極めて少ないという事実である。
"Blue rose" 響きが良い。
南北米大陸の原住民やアフリカ大陸の一部言語によっては「青」という単語に相当するモノが存在しないところもある。
そうしたところからか、"青" にはメーテリンクの童話 "幸福の青い鳥" や ノブァーリスの未完の小説 "青い花" などにみられる様に実在しないモノを追いかけるロマンを託されてきた ー 。
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