思考の踏み込み

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DANGEROUS BOX2

2014-11-15 08:19:30 | 日記
今回の演目のタイトルは "晩餐協奏獨祭" 。

遊廓と花魁という世界を題材にして、色と欲と、金と見栄と、美しさと儚さと、愛と狂気と、純粋さと醜さとー 。




様々なテーマがめまぐるしく移り変わる。

これこそDBの真髄であるが、場面の展開において連続性も脈絡もほとんど重要視されない。

演劇というのは強いて分類するならば文学的なカテゴリーに入ると私は思うのだが、DBに関してはまるっきり異色である。

彼らの演劇はまったく音楽的である。
それも特別な主旋律もない、ただ美しい音だけを散りばめて即興的に音楽を奏であげるジャズに近い。



そこで展開されるセリフは人物が交錯し、過去と未来が入り乱れ、複数の場面が同時に重複して、なおかつ同じセリフを同時に違う役者が叫び、ハーモニーを奏でポリフォニーに発展し時にヘテロフォニーを成す。

それは例えば佐々木昭一郎の映像詩のように、物語性という演劇における骨格をハナから粉々に破壊してかかる。

しかしそれは破壊だけを目的とした安易でエセな芸術的志向などとは毛色が違う。
物語性にはどうしても間伸びした説明や、退屈な接続語などが伴うものである。
DBのスタイルはそれらをを省いていって、鋭くー あくまでも鋭く "台詞" という表現の可能性を追求した結果によるモノであると私は思う。



それでいてDBの舞台は、毎回中盤から終盤に掛けて、強烈に演劇としてまとまり始める。




セリフという和音は、主題という主旋律に回帰して作品としての統一を果たしやがてそれはピークに達する。

(ここでいう主題は演目としての主題ではない。彼らが劇団として常に訴え、叫ぶところの、言ってみれば "人生" というテーマである。)


これはけして万人受けする内容ではない ー 。

始めて彼らを観たときにそう思った。
果たして彼らはいつまでこの方向性で歩めるのか。
そんな危惧も同時に抱いた。

それから既に5年は経つだろうか。
ありがたいことに彼らはほとんどブレていない。
万人受けする為に、観客に媚びようとはしない。
これは見事なことである。




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