思考の踏み込み

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再開3

2015-01-27 01:37:07 | 日記
本音を言えば私は寺山修司については単なるマスコミが生んだ寵児的な存在であると思い込んでいた。

奇を衒い、常識をぶち壊し話題を呼ぶ。



そんなことは誰でもできそうで、なかなかできない。
ところが実はたいしてそこに内容は無い事の方が多い。
それでも時代の波に乗ると世間は大きく評価したりしがちなことは歴史が繰り返してきたことでもある。

それらは実力のない表現者にはありがちなパターンであり、一時代が去って人々が冷静になると見向きもされないものである。
私はそうしたモノにあまり興味が無い。

寺山修司もだから怒涛の様に価値観がめまぐるしく移り変わった戦後からバブル期にかけての、浮かんでは消えかつ浮かびてはかつまた消えてゆく泡沫(うたかた)の様な価値観の中の、その渦の中心にいる位の存在に思っていた。

そうした固定観念は今回の舞台でかなり修正された。
もちろん寺山もその時代を駆け抜けた人物であるから、そうした部分が無いとは言えない。




それは寺山自身の言葉にも表れている。

" ー マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや"

"祖国" という我々の価値観の母体となるべきものに、果たして身を捨つるほどの何かを見出せるだろうか?

"霧深き ー " 戦後そして高度成長期という混迷の時代、寺山はそんな思いに駆られていたのだろうか。

おそらくそれは、寺山だけではない。
その時代のこの国の文化の先端を担った者たちは皆一様にその儚さを感じていたのではないか?

それはまさしく "マッチ擦るつかの間" ほどに短く、あまりに虚しい一瞬でしかなかった。

例えば彼と同時代をリードし、駆け抜けた三島由紀夫。



彼は身捨つるほどの祖国を見出したくてついには "警世" 的な自決を遂げるに至る。

寺山は三島の自決についてこう語ったという。

「昭和よ ー 桜ははやすぎた。」

この、意味が通じなさそうでいて何故か通じてしまう表現形式こそ、寺山修司の真骨頂だろう。


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