思考の踏み込み

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

再開2

2015-01-26 01:30:48 | 日記
寺山修司について私はよく知らないー、そう前途した。

実際、寺山の作品については詩集を少しと映像をわずかに観たことがある程度であった。




それでなぜ寺山修司が文学者として屹立しているなどといえるのか。

そう、わずかに寺山に触れただけ。

それだけで彼の世界観の尋常ならざるものが伝わってきたからだ。
時間があればもっと彼の世界観に接してみたいと思いつつ、ついつい時間のないままその機会を得られなかったというのが実情である。

だから寺山修司を愛し、彼について詳しい方々の事を思えば、私などがここで寺山修司について語ることは気が引ける。

しかし詳しくないだけに、余分な情報に惑わされずに素直な感情で書けるという事もある。

今回はその辺りの機微を外さない程度で書いてみるつもりでいる。

疫病流行記。

今回の舞台を観ていても、劇団の脚本による部分と寺山修司の言葉をそのまま使っている台詞とで明確に違いが伝わってきた。

実際はどうかはしらない。
私は寺山の疫病流行記を読んだ事がないからだ。
しかし、そうだろうと思われる部分だけ明らかに、言葉の響きが違う。

それはまるで優れた陶工が鋭くえぐった茶器のヘリの様に、空間を切り裂き、対峙する者の心を奪う。




寺山修司の言葉にはー そういう不思議な力がある。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿