11月初頭、大好きな劇団の舞台を久々に観に行った。
「デンジャラスボックス」
このー 我が愛すべき劇団について書いてみようと思う。
もともと私は舞台演劇というものが好きではない。
舞台に限らずあらゆる芸術表現において、表現者の一生懸命さや必死さが伝わり過ぎるとその表現を見つめる側には重苦しいだけである。
これはスポーツを観ていればそんな事はないのだが、芸術表現世界になると生ずる不思議な感覚である。
その原因は芸術の本質と関係してくる質のモノだが、その事は「新しさ」という主題で既に投稿してあるので省く。
ここではあくまでDBという集団について書きたい。
ただ彼らももちろん以上の範疇で言えば、そうした演者の "汗" を隠すとかいった美意識はない。
その感覚を突き詰めれば "能" という舞台芸術における最高峰に向かわざるを得ないが、そうでなければならないとは限らない。
彼らがやっていること、やろうとしている事はその舞台演劇の弱点を相殺して余り有る魅力があり、なおかつ常に既存の在り方から自由になろうとする強い意思を感じる。
その辺りが本来舞台演劇を好まない私が毎回観に行ってしまう理由でもある。
そもそも始めのきっかけはDBの女優さんと知り合い、舞台に誘われて付き合い半分で行ってみたという程度であった。
しかし一回でファンになってしまった。
ある固有の演者さんのファンになったとかではない。
脚本でもない。
構成と演出にである。
従って誤解を招かずに言えば舞台の内容そのものは、この劇団に限ってさして重要ではない。
「デンジャラスボックス」
このー 我が愛すべき劇団について書いてみようと思う。
もともと私は舞台演劇というものが好きではない。
舞台に限らずあらゆる芸術表現において、表現者の一生懸命さや必死さが伝わり過ぎるとその表現を見つめる側には重苦しいだけである。
これはスポーツを観ていればそんな事はないのだが、芸術表現世界になると生ずる不思議な感覚である。
その原因は芸術の本質と関係してくる質のモノだが、その事は「新しさ」という主題で既に投稿してあるので省く。
ここではあくまでDBという集団について書きたい。
ただ彼らももちろん以上の範疇で言えば、そうした演者の "汗" を隠すとかいった美意識はない。
その感覚を突き詰めれば "能" という舞台芸術における最高峰に向かわざるを得ないが、そうでなければならないとは限らない。
彼らがやっていること、やろうとしている事はその舞台演劇の弱点を相殺して余り有る魅力があり、なおかつ常に既存の在り方から自由になろうとする強い意思を感じる。
その辺りが本来舞台演劇を好まない私が毎回観に行ってしまう理由でもある。
そもそも始めのきっかけはDBの女優さんと知り合い、舞台に誘われて付き合い半分で行ってみたという程度であった。
しかし一回でファンになってしまった。
ある固有の演者さんのファンになったとかではない。
脚本でもない。
構成と演出にである。
従って誤解を招かずに言えば舞台の内容そのものは、この劇団に限ってさして重要ではない。
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