我々はこのことから、全ての長所の裏側には、必ず同量の短所が潜んでいる事を改めて認識せざるをえない。
逆もまた然りである。
短所の裏には必ず長所がある。
人がなかなか自己の弱点を変えられない理由もそこにある。
無意識の内でその長所を手放せないからだ。
前田の求道性も、強烈な勝負師としての本能も、そして打者としての天才性も ー 、我々が前田の魅力として認める要素にはことごとく彼の身体を破壊へと追いやった二元性が隠れていた。
それは "運命" であったと、言ってもいいかもしれない。
だがしかし、"宿命" ではけしてない。
運命は変えることができる。
前田のその身体構造における偏り習性は調整することができるのである。
例えば現代における日本のヨガの第一人者、成瀬雅春氏は身体のある限定的な部処を見つめ、そこを10にも20にも、1000にも分類していって内観していくという作業をやってゆくと、身体感が高度に開発されてゆくと語る。
成瀬雅春氏。
このレベルで身体を追求し、自在に使いこなせるようになれば、センスなどという付与されたとか、されてないかとかいう次元での差はかなり狭まってくると思われる。
なにより、そこまで自己の身体が見えてくれば大きなケガなどしなくなるものだ。少なくとも大怪我や大病の前段階で違和感を明確に掴めるようになる。
(接触プレーでさえ、力の逃がし方と抜き方を会得していればそうそう大怪我にはならない。)
それはもはや、スポーツ選手のやるべき内容とは違う ー 医学的に人体を研究したトレーナーのやるべき仕事だ、と思われるだろうか。
だが、身体の可能性を極限まで追求しその表現でもってメシを食べているという意味で、アスリート達は本当はここまで自己の身体を研究するべきであろう。
プロフェッショナルとはそういうものだ。
かつて ー 徳川家の四天王と言われ、"家康には過ぎたる家臣" とまで言われた本多平八郎忠勝という猛将がいた。
彼はその生涯で57回もの戦に出陣し、かすり傷一つ負わなかったという。
一代手負ワズ。本多忠勝。
もし忠勝がケガを避けて前線に立たない様な男であったなら、猛将という評価はついていないだろう。
まして彼の愛槍 "蜻蛉切" は飛んできたトンボが刃に当たっただけで真っ二つに斬れた、というほどの切れ味。
少し扱い方を誤れば怪我ではすまない。
なぜ彼はまったくケガせずにいれたのか?強烈に運が良かっただけだろうか?それともただの伝説か。
彼は小刀細工が趣味で、よく小刀で彫刻をしていたというが、あるとき手元を誤って自分の指を切ってしまった。
そのとき、ワシの命もあと僅かだなーと嘆息し、その予告の通りに数日して死んだという。
このエピソードから、彼が極めて高い身体感覚を持っていた事が窺える。
古今無双 英雄見立。19世紀の浮世絵。戦国当時、西の雷神 立花道雪と並び立つ英雄として東の本多平八と言われた。
忠勝のそれは死が目前まで迫って初めてわずかに崩れた、というそれほどに確固たる感覚であったと思われる。
つまり、それが崩れない内はどんなに危険な場所にあっても危険を回避できるという鋭利な感覚を有していたということだ。
こういう達人がいたという事を、アスリート達は一度くらい真剣に考えてみることはけしてムダではないと思う。
少なくとも練習し過ぎなきらいのあるカープナインには、特にこうした身体を守るという方面ももっと研究して貰いたい。猛練習はカープの良き伝統であり、魅力でもあるが、前田の教訓をムダにする事なく、強い "赤ヘル" 復権のためには必要なことである。
逆もまた然りである。
短所の裏には必ず長所がある。
人がなかなか自己の弱点を変えられない理由もそこにある。
無意識の内でその長所を手放せないからだ。
前田の求道性も、強烈な勝負師としての本能も、そして打者としての天才性も ー 、我々が前田の魅力として認める要素にはことごとく彼の身体を破壊へと追いやった二元性が隠れていた。
それは "運命" であったと、言ってもいいかもしれない。
だがしかし、"宿命" ではけしてない。
運命は変えることができる。
前田のその身体構造における偏り習性は調整することができるのである。
例えば現代における日本のヨガの第一人者、成瀬雅春氏は身体のある限定的な部処を見つめ、そこを10にも20にも、1000にも分類していって内観していくという作業をやってゆくと、身体感が高度に開発されてゆくと語る。
成瀬雅春氏。
このレベルで身体を追求し、自在に使いこなせるようになれば、センスなどという付与されたとか、されてないかとかいう次元での差はかなり狭まってくると思われる。
なにより、そこまで自己の身体が見えてくれば大きなケガなどしなくなるものだ。少なくとも大怪我や大病の前段階で違和感を明確に掴めるようになる。
(接触プレーでさえ、力の逃がし方と抜き方を会得していればそうそう大怪我にはならない。)
それはもはや、スポーツ選手のやるべき内容とは違う ー 医学的に人体を研究したトレーナーのやるべき仕事だ、と思われるだろうか。
だが、身体の可能性を極限まで追求しその表現でもってメシを食べているという意味で、アスリート達は本当はここまで自己の身体を研究するべきであろう。
プロフェッショナルとはそういうものだ。
かつて ー 徳川家の四天王と言われ、"家康には過ぎたる家臣" とまで言われた本多平八郎忠勝という猛将がいた。
彼はその生涯で57回もの戦に出陣し、かすり傷一つ負わなかったという。
一代手負ワズ。本多忠勝。
もし忠勝がケガを避けて前線に立たない様な男であったなら、猛将という評価はついていないだろう。
まして彼の愛槍 "蜻蛉切" は飛んできたトンボが刃に当たっただけで真っ二つに斬れた、というほどの切れ味。
少し扱い方を誤れば怪我ではすまない。
なぜ彼はまったくケガせずにいれたのか?強烈に運が良かっただけだろうか?それともただの伝説か。
彼は小刀細工が趣味で、よく小刀で彫刻をしていたというが、あるとき手元を誤って自分の指を切ってしまった。
そのとき、ワシの命もあと僅かだなーと嘆息し、その予告の通りに数日して死んだという。
このエピソードから、彼が極めて高い身体感覚を持っていた事が窺える。
古今無双 英雄見立。19世紀の浮世絵。戦国当時、西の雷神 立花道雪と並び立つ英雄として東の本多平八と言われた。
忠勝のそれは死が目前まで迫って初めてわずかに崩れた、というそれほどに確固たる感覚であったと思われる。
つまり、それが崩れない内はどんなに危険な場所にあっても危険を回避できるという鋭利な感覚を有していたということだ。
こういう達人がいたという事を、アスリート達は一度くらい真剣に考えてみることはけしてムダではないと思う。
少なくとも練習し過ぎなきらいのあるカープナインには、特にこうした身体を守るという方面ももっと研究して貰いたい。猛練習はカープの良き伝統であり、魅力でもあるが、前田の教訓をムダにする事なく、強い "赤ヘル" 復権のためには必要なことである。
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