思考の踏み込み

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線の美3

2013-11-23 19:19:07 | 
線が長さを有する以上、その周辺との比率の問題が当然うまれる。
これは重力の影響下で生存してきた我々が現重力下において永い年月をかけて身につけた生存のための感覚である。
いわゆる"黄金比" や "白銀比" が世界の主要な建築物で用いられていたり、自然界の構造から見出せるのはそのためである。



ただ、媒体 ー 映画や写真といった、ある枠内での構図観を刷り込まれた現代人とそれ以前の人々ではその比率感覚は多少異なる、ということは中々気づきにくい。

時代ごとに美人の定義や求められる身体美が変わるのはこの故であろう。
少なくとも以前の人々は現代人ほど、顔の作りのわずかな違いや身体の差でコンプレックスを抱えたりするような愚かなことは少なかっただろう。これは余談。





さて、岡倉天心という明治期の人物がいる。
彼は時代の狭間にあって、日本人としての新しい美を模索した人物だが、あくまで伝統美の上に立ち新しいモノを創り出そうと闘った。



それは現代アートと呼ばれるモノに携わる者達が、はなから伝統から逃げている事とはまったく違い(本来、永く重すぎるきらいのあるこの国の伝統だが、そこから逃げては真の美はうまれないだろう)真正面から取り組んだという意味で、壮絶な"挑戦"であった。

その天心の試みの一つに線を描かない、というモノがある。
美術界でいわゆる朦朧体と呼ばれ、当時は"怪画"とさえいわれ、伝統世界から罵倒された。



今日では一定の評価を得ているようだが、天心の目指した完成系ではないのではないか。
岡倉天心は志半ばで孤独な死を迎えたが、その後彼の志を継ぐ、あるいは同じ場所で闘いを挑んだ美術家がどれほどいるだろうか?

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