思考の踏み込み

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運命論10

2014-01-10 08:16:19 | 
宿命が虚構に過ぎないとしても、産まれた瞬間に決定していて、自らの意思では変えることのけして出来ないものがある。

それは両親であり、産まれた落ちた環境である。

よく人生は川の流れに例えられるが、
流れる水はその川の傾斜や石などの障害物で、流れるコースはある程度決定されてしまう。



無意識であるハズの水の流れは、その一番初めの段階で自らの流れの質を少しづつ自認していき、無意識の内に自己を規定してしまう。

人間の観念がその生まれ落ちた環境の範囲からなかなか飛躍できない理由はそこにある。

それは自らがいつ頃まで生きるか、ということさえ孕んでいると思われる。

世の中にはこうしたことが直感的に視覚的に "視えて" しまう人間がいるらしい。

友人の心理カウンセラーがタイの有名な占い師にみてもらったとき、 その女性に母親の運命をピタリと当てられたという。

その占い師の話では、人間は八割ほどの人生は既に決まった状態で産まれるという。
いつ結婚していつ病気になり、いつ死ぬか ー 大半は決まっているそうだ。

しかし、二割は変えられる。
どこでどう変わるかによって残りの八割の変わり方も違ってくる。
だから、良く生きなさい ー となるのだが、そのお説教はともかくこの話はおもしろい。

人生が水のようなものだと考えれば、その河川の形態はすでにある程度決まっているだろう。だが、どこかに大きな石があるとその流れの向きが変わることがある。



その石を置く自由さを二割は持っているというのだ。
"運命" と "宿命" の関係性はこうして考えると少しわかる気がする。

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