思考の踏み込み

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完璧9

2014-05-01 08:09:42 | 
本当はスポーツ自体には問題などない。競技性の面白さや余分な体力の発散には極めて有効である。

それをことさらに問題視する理由は、教育に組み込まれているからである。
体育とスポーツは同義だと思われているが、体育の一要素にスポーツがあってもスポーツそのものは体育に必ずしもならないことになかなか気づく者はいない。

むしろ身体を壊してしまう者の方が多いし、特に道具を使った競技は身体のバランスを崩しやすく、近年の器具によるウェイトトレーニングは脆く見掛け倒しな肉体を造るばかりである。



要するにスポーツにはスタート地点である程度才能に気付ける者にしか達人への道を用意していない。
しかしスポーツの問題点や人間の持つ深淵な可能性はここでの主題ではない。

これは次回、「ブッダ」というテーマで触れることにしようと思っている。

だが、そのスポーツの世界においても圧倒的に高い能力によって偉業を成し遂げた者達の "動き" の美しさはやはり目を見張るモノがあり、"自在性" という世界に限りなく近いところまで迫っている。

近いところでいえば、バスケットの神様といわれたマイケルジョーダン。



全盛期のロナウジーニョの鋭いフィジカル。



エル フィニート、52戦無敗の王者リカルド ロペス。



六階級を制したフィリピンの英雄マニー パッキャオ。



400戦無敗といわれたヒクソン グレイシー。



呼吸器の限界に挑戦したジャック マイヨール。



日本人トップクライマー平山ユージ。



そしてイチロー。走攻守全ての所作が美しい。( 彼は自分がいかに美しくプレーしているか自覚している。その意識が多少露骨に過ぎる気配もあるが、それを差し引いても彼の洗練された動きは見事というしかない。)



そのイチローをして最高の投手といわしめたペドロ マルチネス。実際メジャー史上でも最高の投手の一人だと思う。



彼ら全てに共通しているものは競技に関係なく、身体バランスの美しさだろう。当然だが、手足の長さとかいった事ではなく、フォームの事である。

どんなに激しい動きの中でも軸がブレずに中心が安定している。
それは鋭さを伴った美の表現を可能にしている。芸術といっても差し支えない。

"美" とはけして女性が独占すべき言葉ではない。
むしろ男のためにこそ存在する言葉ではないかと彼らを観ていると思ってしまう。

そのパフォーマンス性の高さは "自在" に極めて近くて、"完璧" な現象に迫りかけた偉大な者たちである。






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