思考の踏み込み

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処理と創造3

2014-01-28 12:13:46 | 
戦後の日本を考えるとき、様々に起きた事象は、文明と文明の衝突の力学から生ずる自然現象のようにも思える。

今からみれば吹けば飛ぶような内容の文物や流行、それらのいちいちについて新鮮さと圧力を感じるエアポケットの故に、当時の日本人は実際に価値があるかないかを見抜くことをせずにその圧力に流されるだけであった。




そしてすでに自分達が持っていた価値あるものを見失い、見失うばかりか積極的に否定した。

なんてバカな世代なのか。真に価値のあるモノをなぜ理解できなかったの
か。なぜ連綿と続いたモノを切り捨てたのか。

しかしこれは止むを得ない歴史的段階であったのかもしれない。
人間の処理能力とは結局それほど高くなく、そしてそれほどに流れ込んできたものが多かった。

例えば人体における処理機能を担っている場所は主に消化器である。
強いアルコールや毒素は肝臓が処理してくれる。

この消化器が健全かどうかということは命に関わる問題である。
文化における消化器の主体的なものは言語であろう。

言語を失った文明が今日発展し得た例はほぼ無い。

戦後日本はこの言語を含めた消化器系統全体が限界に達し、病みきっていた。

敗戦という心理ショックが生んだ悪性の腫瘍の様なものもあったといえるかもしれない。
消化器が壊れれば人は死ぬ。

つまり、その文明の発展は止まるのである。
今、日本はようやく消化器が回復し、正常に働きだしはじめた。

しかしまだ完治はしていない。
今日世に流布されるもの、もてはやされるもの、それらを見ればあきらかなことであろう。

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