今日は朝から1日中ずっと雪がふっていて、気温の方も昨日より10度近く下がり、かなり寒い天気だった。今日の夕方もいつものように荷物を少し新しいアパートに運ぼうかなと思ったものの、予想上に雪が積もってしまい、面倒くさがり屋の僕は結局明日車で荷物を運ぶという結論に。もう春かなと思っていたのに、まだまだ冬は終わりそうにない。
ワシントンポスト紙に面白い記事があったので、今日はこのニュースから。対テロ戦争を今以上に推し進める目的で、ペンタゴンは特殊部隊による海外での軍事作戦を現地の米大使の同意無しで実行するための計画を練っている模様だ。計画に詳しい複数の政権高官が明らかにしたところでは、計画が実行に移された場合、各国の米大使の権限が弱体化されるだけでなく、現地の米政府関係者が計画を全く知らされなくなる可能性もでてくるのだという。
政権幹部らによれば、この計画は911テロ事件以降のアメリカの対テロ戦略の一環として考えされたもので、これまでは極秘扱いとなっていた。ペンタゴン側は計画の実現によって海外でのテロリストの拘束や殺害が以前にも増して迅速に実行できると主張するが、国務省とCIAは海外に勤務する外交官や情報部員の権限が希薄化されるとして、2年前から計画に反対を示してきている。ペンタゴンはすでに幾つかの国に、現地外交官らの承認を得ずに特殊部隊を送り込もうと試みているが、国務省側によって計画はつぶされてきたようだ。国務省はCIAで対テロ部門の責任者をカウンターテロ部門の調整官に任命しており、2つの組織が協力する事でペンタゴンの独走を食い止める狙いがあると見られる。
実際に特殊部隊員が送り込まれたケースもすでに存在している。米軍司令官はパキスタンに特殊部隊を極秘に潜入させようとしたが、一度は国務省からの激しい反対にあっている。しかし、民間人の服装でパキスタン国内に潜入していた模様で、外交問題への発展を恐れた駐パキスタン米大使から強制的に退去させられる結果となっている。先月、パウエル国務長官が辞任し、ライス大統領補佐官が新長官に就任したが、国務省スタッフは新国務長官がこの問題をどのように扱うのか注目している。
話題をガラリと変えて、今日は土地を巡る話も少し。建国以来の唯一の内戦であった事や歴史的にも大きな意味を持つことから、アメリカ人の間では南北戦争のエピソードが今でも学校や家庭で語り継がれており、激戦地となった場所を(多くは森林・草原地帯)保護しようという運動も盛んに行われている。しかし、アメリカ国内の郊外建設ラッシュはスピードを落とすことなく広がりを見せ、かつての激戦地にも開発の波が押し寄せてきている模様だ。
南北戦争保護基金のジェームズ・ライトハイザー会長はAP通信の取材に対し、「激戦地跡が守られるかどうかは、われわれの世代の決断にかかっている」、とコメントしている。ライトハイザー会長によれば、都市部のドーナツ型現象とそれによる郊外開発のために、長くても20年後には主要な激戦地跡の保護が不可能になってしまうとの事。彼の団体は過去数年間でアメリカ国内19州に存在する合計2万1000エーカーの戦地跡の保護につとめてきたが、事態は非常に深刻なのだという。
100ヶ所以上の戦地跡が今も開発の脅威にさらされているとの事だが、ライトハイザー氏は木曜日に最も深刻な危機にさらされている10ヶ所を発表している。10ヶ所のうち3つはワシントン近郊のバージニア州に存在しており、スポッツシルバニア郡やマナサスといった地域はワシントンから車で1時間足らずの距離にあるため、新たなベッドタウン候補として開発業者から注目されている。スポッツシルバニア郡の保護運動家達は開発業者と話し合いを行い、当初建設が予定されていた2000世帯分の住宅地建設を白紙撤回させている。しかし、こういった郊外の地価は近年右肩上がりを見せており、土地所有者らも今のうちに高い値で売却したいと考えているようだ。
ラジオの本番を控えて、インターネットでリサーチの補足をしていたら、神戸ポートピアランドの廃園に関するニュースが入ってきた。関西意外に住まわれている方には馴染みが薄いかもしれないが、1981年にポートピア博覧会のレジャー施設として誕生した遊園地には、いわゆる「絶叫マシーン」ってやつがいくつもあって、僕も小学生時代に祖母に何度も連れて行ってもっらった記憶がある。周辺にはプラネタリウムやポートピアホテルなんかもあり、20年以上前に初めてポートアイランドを見たときには(空き地も多かった気がするけど)、子供ながらに未来都市の誕生かと興奮を覚えたものだ。
25日付の神戸新聞の記事をネットで読んだのだが、91年に163万人を記録した入園者数だが、最近はUSJ人気の影響もあって年間40万人台にまで落ち込んでいたのだという。神戸新聞の記事の最後には、2006年の神戸空港開港やポートアイランド2期への企業進出が増加している事からポートアイランドの賑わいは確保できるだろうという見方があるようで、廃園後のポートピアランド跡地には外資系企業が出店するプランもあるのだとか。僕が最後にポートピアランドの近くを車で通ったのが阪神大震災直後の1995年2月頃で、大学の放送部のメンバーと被災したサンテレビのスタジオを訪れ、スタッフの方にインタビューをしたときだったと思う。宝塚ファミリーランドの時もそうだったけど、行ける時に行っておけばよかったと、ここアメリカから再び後悔している。
去年から一緒にサッカーをやっている仲間の一人にナイジェリア出身の元プロ選手がいる。もともとブラジルの地方チームでプレーしてから、アメリカでもAリーグ(いわゆる2部リーグです)で少し頑張っていたようで、引退した今もうまい!数日前、一緒にサッカーの試合を見てる時に別の知人から教えてもらったんだけど、ブラジル時代には現在ブラジル代表のレギュラーになりつつあるジュニーニョ・ペルナンブカーノとチームメイトだったらしい。どうも話は本当だったようで、本人に聞いてみると、ビールですでに出来上がっていた彼は「俺とジュニーニョは兄弟みたいなもの」と豪語し始めた。「あいつはいいやつだった」というものの、ブラジルを離れてからはジュニーニョからの連絡は一切ないらしい。素晴らしき兄弟愛!
ワシントンポスト紙に面白い記事があったので、今日はこのニュースから。対テロ戦争を今以上に推し進める目的で、ペンタゴンは特殊部隊による海外での軍事作戦を現地の米大使の同意無しで実行するための計画を練っている模様だ。計画に詳しい複数の政権高官が明らかにしたところでは、計画が実行に移された場合、各国の米大使の権限が弱体化されるだけでなく、現地の米政府関係者が計画を全く知らされなくなる可能性もでてくるのだという。
政権幹部らによれば、この計画は911テロ事件以降のアメリカの対テロ戦略の一環として考えされたもので、これまでは極秘扱いとなっていた。ペンタゴン側は計画の実現によって海外でのテロリストの拘束や殺害が以前にも増して迅速に実行できると主張するが、国務省とCIAは海外に勤務する外交官や情報部員の権限が希薄化されるとして、2年前から計画に反対を示してきている。ペンタゴンはすでに幾つかの国に、現地外交官らの承認を得ずに特殊部隊を送り込もうと試みているが、国務省側によって計画はつぶされてきたようだ。国務省はCIAで対テロ部門の責任者をカウンターテロ部門の調整官に任命しており、2つの組織が協力する事でペンタゴンの独走を食い止める狙いがあると見られる。
実際に特殊部隊員が送り込まれたケースもすでに存在している。米軍司令官はパキスタンに特殊部隊を極秘に潜入させようとしたが、一度は国務省からの激しい反対にあっている。しかし、民間人の服装でパキスタン国内に潜入していた模様で、外交問題への発展を恐れた駐パキスタン米大使から強制的に退去させられる結果となっている。先月、パウエル国務長官が辞任し、ライス大統領補佐官が新長官に就任したが、国務省スタッフは新国務長官がこの問題をどのように扱うのか注目している。
話題をガラリと変えて、今日は土地を巡る話も少し。建国以来の唯一の内戦であった事や歴史的にも大きな意味を持つことから、アメリカ人の間では南北戦争のエピソードが今でも学校や家庭で語り継がれており、激戦地となった場所を(多くは森林・草原地帯)保護しようという運動も盛んに行われている。しかし、アメリカ国内の郊外建設ラッシュはスピードを落とすことなく広がりを見せ、かつての激戦地にも開発の波が押し寄せてきている模様だ。
南北戦争保護基金のジェームズ・ライトハイザー会長はAP通信の取材に対し、「激戦地跡が守られるかどうかは、われわれの世代の決断にかかっている」、とコメントしている。ライトハイザー会長によれば、都市部のドーナツ型現象とそれによる郊外開発のために、長くても20年後には主要な激戦地跡の保護が不可能になってしまうとの事。彼の団体は過去数年間でアメリカ国内19州に存在する合計2万1000エーカーの戦地跡の保護につとめてきたが、事態は非常に深刻なのだという。
100ヶ所以上の戦地跡が今も開発の脅威にさらされているとの事だが、ライトハイザー氏は木曜日に最も深刻な危機にさらされている10ヶ所を発表している。10ヶ所のうち3つはワシントン近郊のバージニア州に存在しており、スポッツシルバニア郡やマナサスといった地域はワシントンから車で1時間足らずの距離にあるため、新たなベッドタウン候補として開発業者から注目されている。スポッツシルバニア郡の保護運動家達は開発業者と話し合いを行い、当初建設が予定されていた2000世帯分の住宅地建設を白紙撤回させている。しかし、こういった郊外の地価は近年右肩上がりを見せており、土地所有者らも今のうちに高い値で売却したいと考えているようだ。
ラジオの本番を控えて、インターネットでリサーチの補足をしていたら、神戸ポートピアランドの廃園に関するニュースが入ってきた。関西意外に住まわれている方には馴染みが薄いかもしれないが、1981年にポートピア博覧会のレジャー施設として誕生した遊園地には、いわゆる「絶叫マシーン」ってやつがいくつもあって、僕も小学生時代に祖母に何度も連れて行ってもっらった記憶がある。周辺にはプラネタリウムやポートピアホテルなんかもあり、20年以上前に初めてポートアイランドを見たときには(空き地も多かった気がするけど)、子供ながらに未来都市の誕生かと興奮を覚えたものだ。
25日付の神戸新聞の記事をネットで読んだのだが、91年に163万人を記録した入園者数だが、最近はUSJ人気の影響もあって年間40万人台にまで落ち込んでいたのだという。神戸新聞の記事の最後には、2006年の神戸空港開港やポートアイランド2期への企業進出が増加している事からポートアイランドの賑わいは確保できるだろうという見方があるようで、廃園後のポートピアランド跡地には外資系企業が出店するプランもあるのだとか。僕が最後にポートピアランドの近くを車で通ったのが阪神大震災直後の1995年2月頃で、大学の放送部のメンバーと被災したサンテレビのスタジオを訪れ、スタッフの方にインタビューをしたときだったと思う。宝塚ファミリーランドの時もそうだったけど、行ける時に行っておけばよかったと、ここアメリカから再び後悔している。
去年から一緒にサッカーをやっている仲間の一人にナイジェリア出身の元プロ選手がいる。もともとブラジルの地方チームでプレーしてから、アメリカでもAリーグ(いわゆる2部リーグです)で少し頑張っていたようで、引退した今もうまい!数日前、一緒にサッカーの試合を見てる時に別の知人から教えてもらったんだけど、ブラジル時代には現在ブラジル代表のレギュラーになりつつあるジュニーニョ・ペルナンブカーノとチームメイトだったらしい。どうも話は本当だったようで、本人に聞いてみると、ビールですでに出来上がっていた彼は「俺とジュニーニョは兄弟みたいなもの」と豪語し始めた。「あいつはいいやつだった」というものの、ブラジルを離れてからはジュニーニョからの連絡は一切ないらしい。素晴らしき兄弟愛!