サブカルチャーマシンガン

自分だけの「好き」を貫く為のブログ。

10年振り(?)に「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の1話を観たら同じ様に泣いたが、泣くポイントが違ってたという話

2021-03-16 | アニメ感想









今年に入ってから・・・
「〇〇から10年~」っていう言葉をやたら意識するようになった
勿論きっかけは3.11だけど、10年前の自分のブログ見てたら思い出さなくても、
自然と当時好きだった作品が思い出せる訳で。
そういう意味では(ブログの方が)ツイッターよりも便利かもですね(笑
 2011年を振り返るにあたって、
個人的に「あの花」が真っ先に思い浮かんだ・・・
でも、
当時の自己年間ベスト見てると1位にはなってないんですよね笑
正直見る前からこれが最も思い出に残ってるでしょ。とか思ってたけど、
勿論当時書いた感想は全部本音で本気でしたけど、
ぶっちゃけ、
多分年齢を重ねたら大外からまくっていつの間にかあの花がトップクラスに到達したのかもしれない
そう考えないと、真っ先に出て来た事の説明が付かないんですよね・・・
自分は別に大ヒット作だけを見ている人間ではなく、
むしろ全部をフラットに見るタイプなので、
尚更10年前の自分との乖離が不思議ではありました
まあ、10年前は10年前で頑張ってたんで、あれはあれで当時の真実だったのかも。


ただ、
最近10年前と今の書き方の違いが分かって来たんです
当時の感想っていうのは基本的に感情を叩き付けるように書いてたと思う
明確な違いがあるとすればそこですね
観てからすぐ書いてたし、
構成とかしばらく置かせて考える事もしなかったし、
単純に、観て、感じて、思った事をそのまんますぐ投下するような・・・
そういうスタイルだったと振り返ってみれば分析出来ますね
で、
あの花の初回の感想は未だに自分でもよく覚えてて、
見てて号泣してたんで、のっけから「泣きました」ってはっきり書いてるんですよ
今だったら、その前にそういう状況になる前のバックボーンから書きだして、
気持ちが高まってたのを理解してもらってから中盤で出すかな。とか、
そういう違いがあるなあ~とか思ったんですけど、
でも、
それが「10年前の自分らしさ」であり、
ある意味そういう「10年前の自分らしさ」が最も分かりやすい形で出てたのが、
当時のあの花の感想だったのかも知れません・・・今、書いててふと気付いたんですが、
自分のブログ人生に於いて一つの分かりやすいシンボルだったと自分で長年思ってたからこそ、
それもあって積年の想い入れが加味されてしまって真っ先に思い出すようになってしまったのかも、です
 ちなみに、
最近自分が感想の中で「泣きました。」と公言してる楽曲や漫画の感想を幾つか読み返したんですが、
先述の通りいきなりアグレッシブに「泣きました!」とは一切宣言してなかったです(笑
(具体例を挙げるとSHISHAMOの「私の夜明け」とかアクタの98話とか)。
そういう意味でも、
ブログ続けてると当時ならではの書き方が知れるっていうか、
それと同時に今の自分がどう成長したのかが分かって良いですねえ。

今なんて、
観てからすぐ書く!
聴いてからすぐ書く!
読んでからすぐ書く!ってやらないですし、
時間を置いて自分の脳内である程度まとめてから書くのが普通になってますしね
多分そうしないと(自己満足ではありますが)自分の中で納得出来ないんでしょうね
 でも、
何も考えずに、
ただただ無茶苦茶に記事書きまくってた、
あれが20代のパワーだったのかもな。とも思います
あの時代のお陰で出会えて、未だに繋がってる人も居ますからね・・・笑

どれだけ新しい自分になっても、色々苦悩してた「この時代の自分」を忘れたくない、ってのもあります。










あの花の初回を観るのは、
もしかして10年ぶりだったかもな、って思いました
先週BDのボックスを購入したんですけど、それまでソフト持ってなかったので。
何故持ってなかったのかと言えば当時付近は正直経済的にアニメのBDをポンポン買えなかった
逆に言えば、今は「観たいね。」って思ったら即尼さんポチって届いて観よう(ニッコリ)となれる、
なんかそれも「ああ、10年経ったんだな・・・。」という気持ちの一つの象徴みたいで、
結構感慨深くてしみじみしますけどね・・・(笑
ちょっと前まではあの花が10年前の作品である。という事実に納得がいかなかったんですけど
(納得するしないではなく、純然たる事実なんですけどね~俺ってバカ)、
私的な状況の変化を交えると、
「確かに・・・。」という心境になるのが一つの得心にはなってますね。自分の中では。


10年振りに観た「超平和バスターズ」は、
10年振りに観ても面白かったです。
まず、
当時も思ってたかも、ですが、ちょっと(ファンタジーでありながら)ドキュメントみたいですね
めんまが最初から・・・何の説明もなく、普通に居る。っていうのがドキュメントっぽい
そこに出会うまでの過程が省かれていて過度な説明が無いんですよ
物語の中の現実をたれ流してる感覚っていうか。
そこが斬新だったんだろうし、
正直、
今観ても、
こんなに説明が無い始まり方の作品ってあんま無い気がしますね。
モノローグとかは無いにしても、大体最低限「出会いの瞬間」は描くじゃないですか
それが無いので久しぶりに観るとじんたんが見えてるのか見えてないのかの判別が付かない
登場人物も想いの全部を口には出さない、観てる方の感性や深読みに委ねるシーンが多く感じました
でも、それが逆に自分だけの見方で感じ方で触れられる「自由さ」があったんだな、とか、
久方ぶりに触れても、当時大好きだった~という評価が揺らぐ事は無かったです。


で、
本題。
(前置きめちゃくちゃ長くなったな~!!笑 これがおっさん化なのか・・・?)
10年前、初回でむちゃくちゃ泣いた本作を、
10年後の今観返しても・・・ぶっちゃけ泣きました。
ただ、
泣いたポイントが明確に違いました
10年前は確かめんまが泣くところでこっちも涙腺崩壊した気がするんですが、
今回はそこでは泣かず・・・
むしろ、
じんたんが必死に後悔の念を募らせて走り回ってるとこで泣きました
これも不思議だったんですが、
観たのが今日ではなかったので、
時間を置いて色々考えてみたところ・・・
恐らく(こういう事書くと昔の自分は嫌がるでしょうが)昔の泣き方は子供っぽかったんでしょう
めんまが泣いた時に泣いたっていうのは、「あの事実」に向き合った瞬間ですよね
そういう分かりやすい要素で泣いたっていうのは、
若い泣き方だと思いました
逆に、
今の泣き方っていうのは、なんだろう、、、
自分自身それなりに生きてきて後悔とか「実質今生の別れだろう。」と感じる事も増えて来たので、
俗に言うおっさんくさい泣き方・・・なのかもしれませんね(笑
もっと言えば、
キャラの心情により深く潜入出来るようになった~のかもしれない
昔よりもじんたんの気持ちが理解出来るようにもなったのかも、ですね

そう考えると、
物語って年食って感じ方/考え方が変わって来ると、
一度観て面白いな。とか思った作品でももう一度新鮮な気持ちでハマれる~といった、
ある意味永久機関的な良さがあるな。とか今回の経験で思ったんですよ
 正直、
泣くポイントが変わった~なんて明らかに時間と年齢に因る変化としか思えないですもん
でも、唯一言える事は、一度大好きになった作品って、触れてない時でも実は愛着って増えてるし、
こういう風に戻ってくれば、当たり前のように今でも大好きです。とか云えるよな、って。
なので、昔大好きだったものに最近触れてなくても、みんな、
どこかのタイミングで戻ってくると思うんで、結局。
大丈夫ですよ!とか言いたいですね。

そして、
自分もその時その時頑張って書いてた想いの本気度を証明する為に、
何度でも「大好きです。」と発信して行きたいです。
一度感想を書いた作品でも、ね。










あと、
もしお時間があったら、
前ブログで「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の初回の感想を読んでみて下さい
見比べてみると面白いかも・・・です笑
自分は、久々にあの花の海に潜ろうと思います。ぶくぶく。




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