読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

ミシェル・ウエルベック「素粒子」

2008-01-23 23:24:40 | 本の感想
 たいへんエロい夢を見て、「なんだこれ?」と考えてみたら、今読みかけの本「素粒子」(ちくま文庫)の影響であるようだ。でもこの本、やっとこさ半分読んだものの、あんまり殺伐としてるので読みきれそうにない。このトホホさ加減は確か・・・確か・・・2ちゃんねるの独身男板の雰囲気だ。そういえば3、4年前にもはてな界隈で、男のモテ度によるヒエラルヒーとか、恋愛の自由化によってより激しく疎外される非モテ系男たちの救いのなさとかそんな話題が流行してたっけな。

 「素粒子」は父親の違う二人の兄弟の話だ。母親は遊びまわっていて子供を省みないため二人はそれぞれ祖母に預けられて育った。兄のブリュノは寄宿学校で悲惨ないじめに遭い、大人になってからもまったく女にモテないで四苦八苦している。弟のミシェルは逆にまったく女に興味がない。どうも彼は天才科学者で、後に世紀の大発見をするらしいのだが、私はその部分まで辿り着けるかどうか自信がない。なんせこんな感じなんだ。
はるか後年、ミシェルは超流動体化したヘリウムの動きとの類比に基づいて、人間の自由をめぐる簡潔な理論を提唱することになる。原子レベルでのひそかな現象である、脳内部におけるニューロンとシナプスのあいだのエレクトロン交換は、原則として量子的予測不可能性に従っている。とはいえ、原子的差異を統計上捨象できるがゆえに、大多数のニューロンは、人間が――大筋においても細部においても――他のあらゆる自然体系同様、厳密に決定された行動を取るようにはたらく。ただしある種の、きわめて稀な場合には――キリスト教徒のいわゆる〈恩寵の御業〉――、新たな一貫性を持った脳波が現れ、脳内に広がっていく。すると調和的な振動子とはまったく異なるシステムによって支配された新たな行動が、一時的に、あるいは継続的に出現する。そのとき、〈自由行動〉と呼ばれるにふさわしい行動が観察されるのである。

ギャー!

 一方で、ブリュノの言いたいことは明確だ。
 アメリカからやってきた享楽的なセックス至上主義がヨーロッパにも蔓延し、ユダヤ=キリスト教的道徳が崩壊した結果、昔ならば普通にできていたはずの伴侶の獲得という行為でさえ過酷な自由競争にさらされるようになった。そんな中で、容姿にめぐまれていない非モテ系の男女はその競争からこぼれ落ちて、徒に欲望を刺激され続けるという悲惨な人生を生きるほかなくなった。しかも、競争の勝者といえどもその関係は保証されたものではない。離婚率の増加によって、いつまた伴侶を失い最初からやり直さなくてはならないかはわからないのだ。
 今時の若者って、こんな不安で過酷な人生だったのか。


 ブリュノはニューエイジっぽいサマーキャンプに参加する。そこならセックスしたいフリーの女が大勢参加しているだろうと考えたからだ。しかしそこでもはみ出してしまう。 私が殺伐としていると思ったのは「モテない。モテない」とばかり言っているからじゃない。たとえばブリュノの母親は、離婚した後、ヒッピー風のコミューンの創立者の愛人になって、ドラッグとフリーセックスを信条とするその集団で若い男とやりまくっている。まあそんな母親も今どきは普通にいるだろうし、家族の崩壊もありふれているかもしれないが子どもはどうすればいいのか。また、ブリュノが参加する「変革の場」というサマーキャンプは実在の組織をモデルにしてるらしいのだが、そこには「エジプト神秘主義者」だの「ヨガ行者」だの「薔薇十字団の女」だのと、ブリュノが簡単に符牒をつけて判別する女がたくさん出てくる。「カトリック女」とか。どれも難アリなのだが、私はそこんとこでぞっとした。「エジプト神秘主義者」でっせ!セックスは置いといても、そんなん理解するのはとても疲れそうだ。「薔薇十字団」ですよ。こんなにバラエティーに富んだ主義主張がぐちゃぐちゃに入り混じっている社会で、人と人が理解し合うなんてとうていできそうもない。人格的、思想的に相手を受け入れるなんていちいちやっちゃいられない。もちろんブリュノはそんなことを考えてるわけではなく、ただ一点、「ヤレるかヤレないか」を基準にして見るわけだけど、悲しいかな、いくらハードルを低くしてもクリアできないものはできないのだ。

 悲しいのは男ばかりじゃない。ジャグジーで出会った(フェラチオの達人)クリスチアーヌという熟女は、「変革の場」が出来て以来ずっとそのサマーキャンプに参加しているのだがこう言う。
でも、少し寂しいわね。外の世界よりは暴力をずっと感じないことはたしか。宗教的な雰囲気のせいで、ナンパの乱暴さが少し隠されている。でもここにも、苦しんでいる女の人たちがいるのよ。同じ孤独に年取っていくといっても、男より女の方がずっと哀れだわ。男は安酒飲んで眠りこけ、口臭がひどくなっていく。起きればまた同じことの繰り返し。さっさとくたばってしまう。女は精神安定剤を飲んだり、ヨガをやったり、心理学者のカウンセリングを受けたり。ひどい年寄りになってもまだ生き長らえて、さんざん苦しむのよ。ひ弱になり、醜くなった体をなおも売りに出して。自分の体がそうなってしまったことは十分承知している、それがまた苦しみにつながる。でもしがみつくしかない。なぜなら愛されたいという気持ちを捨てることはできないから。女は最後までその幻想の犠牲となるのよ。

 ギャーーー!これってある種の地獄じゃないか?
 クリスチヤーヌの夫は若い愛人を作って出て行ってしまったのだという。
クリトリスの核や亀頭の先、尿道口のあたりにはクラウゼ小体がひしめき合っていて、神経終末だらけなわけ。そこを愛撫すれば、脳内ではエンドルフィンがどっとあふれ出す。男も女も、クリトリスや亀頭にはクラウゼ小体がいっぱいで―その数はほぼ同じだから、そこまではとっても平等なの。でもそれだけじゃすまない。わかってるでしょうけど。

クリスチアーヌは理科の先生なのだ。
わたしは夫に夢中だった。ペニスを崇めたてまつって愛撫し、嘗めてたな。ペニスが中に入ってくるのを感じるのが好きだった。彼を勃起させるのが誇りで、勃起した彼のペニスの写真を財布に入れて持ち歩いていたわ。わたしにとって、それは宗教画みたいなものだった。彼に快感を与えることがわたしの一番の喜びだった。でも結局彼は若い女のためにわたしを捨てた。さっきもよくわかったけど、あなただってわたしのあそこに本当に惹きつけられたわけじゃない。もうおばあさんのみたいな感じが漂っているもの。年を取るとコラーゲンが架橋結合を起こすし、エラスチンも有糸分裂の際に細分化されて、細胞組織の張り、しなやかさは失われる一方。二十歳のとき、わたしの陰唇はとても美しかった。でも今ではそれがたるんできているって、よくわかってるわ。

びらびらがしわしわになったからってどこが悪い!そんなことで家を出て行くなんてサイテーな男だ!

 そんなこんなで、すらすら読むなんてとてもできそうもない。そうか、最近私のエネルギーを奪っていたのはこの本だったのか。すいません、途中やめしていいですか?「世紀の大発見」とか「衝撃的な結末」とかはエネルギーの有り余っている人が読んでください。

 
 あとがきによると「素粒子」は前作「闘争領域の拡大」の提起したテーマをさらに掘り下げた小説だという。「闘争領域の拡大」とは
 高度資本主義社会を支えるのは、個人の欲望を無際限に肯定し煽りたてるメカニズムである。そのメカニズムを行き渡らせることにより、現代社会はあらゆる領域で強者と弱者を生み、両者を隔ててやまない。経済的な面においてだけではない。セクシャリティにかかわる私的体験の領域においても、不均衡は増大する一方である。あらゆる快楽を漁り尽す強者が存在する一方、性愛に関していかなる満足も得られないまま一人惨めさをかみしめる傷ついた者たちも存在する。「残るのは、苦々しさだけである。巨大な、想像もつかないほどの苦々しさ。いかなる文明、いかなる時代といえども人々にこれほどの量の苦々しさを植えつけるのに成功したことはなかった。」

ということらしい。
 こんなん、2ちゃんねるを見てれば理解できるのでええわ。それにしても、ほんっと、アメリカ的自由競争主義はどっかで阻止しなきゃいけませんね。