読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

昨日のつづき

2008-01-22 18:32:29 | Weblog
 全然関係ないけど、3月1日公開の「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の公式サイトを見て「ダイモン占い」なるものをやってみたところ、やっぱり私のダイモンはトラだった。占い大好きな私だけど、何だっていつもネコ科の動物になってしまうのか、それが不思議だ。これなんか生年月日ではなく、質問に答える形式なのに。トラはダサいからやだ。サルかトリがいい。

 
 太田述正氏のとこ経由で、人気メルマガであるらしい北野幸伯氏の「ロシア政治経済ジャーナルを読んだがなかなかおもしろかった。さすが人気メルマガ。行間をむやみに空けてあるとことや、口語体で体言止めを多用してるとこに、ある種の匂い(えーっと、なんて言ったっけ。ブログが普及する以前のテキスト系サイトとか人気VNI系サイトとかそういうやつ)の匂いがするが、読みやすいことは確かだ。以前、「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策」という本を検索した際にこのメルマガがヒットしたので記憶にある。
アメリカが分裂している兆候は前からありました。

RPEでも「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマさんが、「ブッシュと決別宣言をした!」ことを紹介しました。

面白い本があります。

日本では「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策」という名で出ています。

内容は要するに、「イスラエルロビーがアメリカ外交を支配し、そのせいでアメリカは おかしくなった」ということ。

イスラエルがアメリカ最大のロビー集団だなんて、専門家は皆知ってるんです。

(ちなみに2番目は、中国ロビー)

しかし、「ユダヤ陰謀論者」とレッテルをはられるのが怖くて、公言できなかった。

そこで、「イスラエルロビー」について書くのは、一般的に「陰謀論者」といわれるような人ばかりだった。

ところが、この本を書いたのは、世界的権威
                    ~~~~~~~~~~~~
●シカゴ大学教授のミアシャイアーさん
●ハーバード大学教授のウォルトさん

帯には、「『文明の衝突』のハンチントンにならぶ世界最高の知性がタブーに挑む、陰謀説を超える議論の提起」とあります。

 それにしても行間とり過ぎ。それに、飯田史彦や斉藤一人を推奨してるのってアリですか?なんか船井総研とか自己啓発セミナーとかそっち系の匂いもする・・・・。いやー、嫌いじゃないけど・・・。と思ったら、モロに船井幸雄の本を絶賛してる。こういう系統の人も健在なんですねえ。

 このメルマガを読んでいて思い出したが、「アメリカ一極時代終結宣言」って、日曜のサンデープロジェクトで榊原英資さんが同じようなことを言っていた。「これからはアメリカの力が徐々に衰えて中国、ロシアの時代になってくる。」って。ところがドイツ証券の武者さんはそれに真っ向から異議を唱え「今の混乱は一時的なものでアメリカはまだまだ強い。いずれ事態は収拾に向かう」みたいなことを言っていた。榊原さんは要するに、今までのアメリカにくっついていくようなやり方ではもはや通用しなくなってきているのであって、早急にパラダイムシフトしなきゃいかん、という主張のようなのだ。さらに、日本の若者の学力低下は目を覆いたくなるような状況で、エリートの育成が不可欠だということらしい。私は「エリートの育成」なんてもんは、貧乏な発展途上国が乏しい資本を最大限有効に使うためにやるものだと思っていたが、みんな口を揃えて「エリート、エリート」って言うところを見ると、もしかしたら日本はもはや資本を一部に集中させて効率よく使うことでしか生き残りは図れない段階にきているのかもしれないな。

 そして、田原さんが本気で怒っていたのは現在の政治状況についてで、与党党首は何を考えているかわからん。最大野党党首もへっぴり腰で頼りない。政治家にリーダーシップがなくて構造改革も進まないから外人投資家が日本を見限って日本株が売り込まれているという恥ずかしい状況だ。
 私は先日驚愕したのだけど、韓国の次期大統領李明博氏が「日本に謝罪を求めない」と発言した。すごく頭のいい合理的精神の人だなあ。歴史認識問題でぎくしゃくするよりも経済的に協力することで双方に利益があるのだから今は過去のことは棚上げにしておこうというわけだ。韓国にだってうるさい右翼や左翼はいるだろうに。
 これは日本にとっても外交的な膠着状態を脱する好機だと思う。宮台真司が言っていたが、アメリカ的なグローバリゼーションの影響から国を守るためにはアジア諸国との連携が必要不可欠であるが、そのためには個人レベルでの補償も含めて過去の清算をするという決断をしなくてはならなかったのだ。もう安倍元総理みたいな時代遅れ右翼はどっかに引っこんでおとなしくしておいてもらって、前向きで合理的な政治家に積極的な外交をしてもらいたい。
姜尚中×宮台真司「挑発する知」(ちくま文庫)
 周知のように、ネオリベ的なアメリカを含め、どんな国でも、公共事業をおこなうことで、政府が民間企業に発注して市場での影響力を発揮し、経済をウマく回そうとします。財政政策と言います。先進各国で最も重要な公共事業が軍需産業です。でも日本はこれが禁じられています。公共事業の大部分を非軍需的におこなう必要から、土建屋化しやすいのです。
 その意味で、先進国間でコンクリートをぶち込む分量を横並びに比較するやり方は公平ではありません。日本が脱土木化してハイテク・ミリタリーで公共事業を回せるようにするには憲法改正が必要です。他方、さっき述べたように対米中立化には重武装化が必須ですが、重武装化とは対地攻撃能力を軸とした反撃能力を意味するから憲法改正が必要です。
 重武装化には憲法改正が必要です。それにはアジア周辺諸国の信頼を得なければなりません。そのためには従来の対米従属から離脱する必要があります。それには重武装化が必要です。ここには循環があります。この循環を回せるようにするには、戦後補償についても、従来型の政府間決議を超えて、ありとあらゆる感情の手当をしなければなりません。
 安倍晋三や「新しい歴史教科書をつくる会」のような「マスターベーション右翼」とは違って、むしろ戦略的な謝罪や戦略的な保障を通じて重武装化に向けた橋頭堡を築くようにしていくべきでした。そうすれば、国連各国から「アメリカにはへこへこするくせに中国韓国には居丈高の、弱虫国家」と揶揄される現状に陥らずに済んだはずです。
 その意味でいえば、実はネオコン的であっても親米である必要はありません。小沢さんには、ネオリベと新保守主義の、非親米的なカップリングを目指していた気配もあります。ところが、ネオリベを取り下げて市民主義的コーポラティズムを持ち出したので、新保守主義による補完が必要なくなった。そういうふうに論理的に考えてみることもできます。



 あと、思い出したが、「日本はアメリカの属国」というのはロシア語の同時通訳者でエッセイストの故米原万理さんが「打ちのめされるようなすごい本」(文芸春秋)の中で書いていた。該当部分を探すのが面倒だと思っていたらネット検索でさっと出てきた。ああ便利だ。
 同時多発テロ以来、小泉の目つきが完全にイッちやってる。ブレアも同じく(中略)日本はあくまでもアメリカの属領なのだから、属領の知恵「面従腹背」を貫くべしと思うのだが(実際、大多数の国々は世界最強国に表立っては同調しつつ賢明に実行は避けている)小泉は本気だ。危なっかしいたらない。(後略)

 私は「不実な美女か貞淑な醜女か」以来米原さんのファンだったが、つくづく惜しい人をなくしたと思う。

 

山本芳幸「カブールノート」

2008-01-22 01:59:50 | 本の感想
 いろいろな本を並行して読んでいるのだけど根気がつづかなくてなかなか進まない。スランプだ。少しだけでも読んだところの感想をメモしておこう。

 山本芳幸「カブールノート」(幻冬舎)を読みかけて、今さらながら現地の状況の悲惨さと複雑さに愕然としていろんなことを考えた。中村哲氏が日本のテロ特措法をめぐる議論を「空中戦」だとおっしゃったわけがわかってきた。
 「テロとの戦い」といったとき、私たちは明確にアメリカの視点でアフガニスタン情勢を見ているわけだが、中村さんが講演の中でおっしゃっていたように決して善悪二元論で割り切れるものではないと思った。
 
 1989年、ソ連軍がアフガンから撤退し、共産主義政権が倒れた後、アフガニスタン国内には聖戦士と呼ばれるゲリラ軍が残り、各地で軍閥が群雄割拠しているアナーキーな状態だった。戦争が終わったと思ってアフガニスタン国内に戻ってきた難民たちは、今度はこの聖戦士たちによる殺戮、掠奪、強姦などさんざんな目に遭う。ここに書かれている証言の通りだ。その混沌状態を収拾し、各地で軍閥を一掃して治安を回復したのがタリバンだ。彼らは規律正しく、統制がとれており、決して掠奪や強姦をしない。進出地域の住民たちはタリバンを歓迎し、進んで武装解除に応じた聖戦士たちもいた。
 こういう記述に私は愕然とする(カブールノート 「No3 神の戦士たち」より
 1995年、タリバンの支配地域拡大は第二段階に入った。タリバンは異文化圏のヘラート及びカブールへの侵攻を開始した。

 カブール市の西南部はマザリが率いるシーア派の軍とドストム将軍の分派が支配し、たえずマスードを脅かしていた。彼らよりさらに大きな脅威は、同じ政権の首相であるはずのヘクマティヤールであった。彼は合同政権の権力の分配に満足しておらず、カブール市南部の外側に陣取り、92年から95年にかけて、そこからカブール市内に無差別にロケット砲を撃ち続けていた。ヘクマティヤールの目的は、ラバニ・マスード派の信頼を崩し、合同政権を瓦解させることであったが、このロケット砲撃により、カブール市はほとんど破壊され、2万5千人以上の一般市民が亡くなったといわれる。

 アナーキーな状態で、軍閥が一般市民にロケット弾をガンガン打ち込んでいるのに政府軍はそれを止めることすらできていなかった。そこに登場したのがタリバンだ。そりゃあ市民は歓迎するに決まっている。この際、宗教戒律に厳しいとかはどうでもいい。人殺しや強姦をする野蛮な奴らよりはるかにましだ。
 
 タリバンの戦士たちにはある「確信」のようなものがあると山本氏は言う。明言はされていないが、推測するにそれは、「決して外国の傀儡とならずに自力で秩序を回復し、そして独自の宗教と文化で国を立て直してみせる」というような誇りと自信ではないかと思う。私が今までタリバンに抱いていた「狂信的な宗教原理主義者」「女性差別的な封建主義者」というイメージが少し変わった。物事は見る立場によって全く別の様相を見せる。中村哲氏がおっしゃっていたがタリバン政権が崩壊し(アメリカの傀儡であるところの)現政権になってから国内のあちこちで目立つようになったのはケシ畑であるという。タリバンはケシの栽培を禁止していたが、現政権になってからは軍閥が息を吹き返し手っ取り早く金になる麻薬を重要な資金源としているため農民にケシ栽培を奨励しているというのだ。その麻薬はどこに流れているのだろうか。


 日曜日の「たかじん」で「おしおきしたい人」というお題があって、田嶋陽子さんが「ブッシュ大統領」と書いていた。「9.11の死者の数が3000人、イラク戦争でなくなった兵士が4000人(連合軍)、イラク国内の一般人が3万4千人、こんな悲惨な結果を招いた責任をブッシュ大統領は取るべきだ」というのだ。もちろん私も当然だと思う。だけど、じゃあすぐさま撤退できるかといえばそんなわけにはいかない。ここまで治安が悪化してしまったら、アメリカが手を引いた途端にアフガニスタンでかつて起こったような混沌状態が再現されるに違いない。宮崎哲弥さんが言いかけた「昨年イラク駐留軍を増派したことによってあきらかに治安が回復した」というのはそのことを言おうとしていたのだと思う。みんな一斉に喋るから訳がわからなくなる。アメリカはこのような悲惨な状況を招いたことについて責任を取るべきだと思う。その責任の取り方というのはイラクが完全に平和になるまで徹底的に支援することであって「手を引く」というような無責任なやり方ではないはずだ。そしてそのことは今になってはおそろしく困難なことだろうと思う。また、アメリカを支援した日本もそれについては無罪ではありえない。イラクの復興に積極的にかかわらざるをえなくなってしまったことの責任は誰にあるのか。決して忘れてはいけないと思った。

 
 その時ふと、前日(19日)のお昼に見たテレビ番組を思い出した。「超歴史ミステリーV・“大奥”女の欲が歴史を変えた」。私はドラマ「大奥」には全く興味はなかったが、始まったばかりのNHKの大河ドラマ「篤姫」を見始めたのでちょっと見てしまった。おもしろいのは「近衛家に縁のある大奥の女たちが徳川家を中から滅ぼし、大政奉還と王政復古に至らしめた。そしてその企てはすでに忠臣蔵の時代から始まっていた」というこの番組の主旨だ。
 
 江戸時代、徳川家は大名家から嫁を貰うことはできなかったらしい。特定の大名家の勢力が強くなることを恐れたからだろう。そこで公家から嫁取りをしたのだが、近衛家の娘、後の天英院は6代将軍家宣に嫁し、夫の死後も御台所として権勢をふるう。清閑寺 熙定の娘竹姫は、5代将軍綱吉の養女となるが、実は8代将軍吉宗と恋仲であったと言われている。これを御台所、天英院が引き裂いた。実家と関わりの深い島津家に嫁がせるためだ。島津家は当時財政難であった。竹姫と島津家の5代藩主継豊との婚姻によって徳川家との関係は深まり、後に財政建て直しの際の援助を得ることができたのだという。
 徳川家を間に挟んだ島津、近衛両家の緊密さは13代将軍家定の正室となった篤姫の輿入れに際しても見られたことだ。詳細は大河ドラマで見られるが、この番組では篤姫が夫家定や次の将軍家茂の毒殺をしたのではないかと推理している。尊皇派の一橋慶喜を将軍にして大政奉還を実現するためだ。
 毒殺云々はともかく、歴史の表舞台にはほとんど登場してこない女性たちが、実はなかなか侮れない大きな影響力を持っていたらしいことに驚いた。また、大政奉還、王政復古などという統治システムがコロッとひっくり返るようなことを徳川幕府の300年の間ずっと考えてきた人たちがいて、虎視耽々と機会を窺っていたということにも驚いた。つまり、今現在のシステムを自明なものとして安住せず、いつかこの理不尽な状況を変えてやろうと着々と策を練り、一つ一つ布石を打って最後の最後にひっくり返してしまうというこの執念深さと頭のよさにだ。ちょっと空恐ろしいとも感じたが、今の私たちはそのような執念深さは持ち合わせない忘れっぽくておめでたい人種になり下がっているので、少しは「大奥」の女たちを見習った方がよいかもしれないな。

 ちょっと文章を書かないともうすぐに全然書けなくなっちゃうなあ。