なんだか眠れなくなった。33か国共同制作“民主主義”~世界10人の監督が描く10の疑問~で、今晩は「選挙」がテーマの二つの番組で、いろいろなことを思い出して腹が立ってきた。
「中国 “こども民主主義”」は小学校の学級委員選挙をルポルタージュしたものだ。こちらはおもしろかった。たかが学級委員選挙なのに必死なのだ。親も必死で「国家主席への第一歩よ」なんて言う。本気で言うのだ。クラスの子たちを招待して、モノレールかなんかに乗せて歓心を買わせたりする。それ、選挙違反だって。3人の子どもが立候補して勝ち抜き戦でディベートをするのだが、これがまたシビアな中傷合戦だ。「暁韮(女の子)は偏食をする。学級委員はみんなのお手本にならなくてはいけないのにそんなことじゃなれない!」「成成は乱暴で強引です。私はみんなの意見をよく聞いてクラスをまとめます。」「羅雷は人を叩く。みんなは怖くて何も言えない。これは独裁制だ」「乱暴は直します。でも成成はうそつきだ。」おおまじめにディベートしていておかしくて笑ってしまった。最後に一騎打ちになった羅雷と成成がスピーチをするのだけど、これがよかった。独裁制とは何か、民主主義とは何かを子どもなりに考えて「ぼくは民主主義的な学級にします」と宣言しているのだ。親の添削が相当あったとしても、小学生の頃からそういうことを考えたり言ったりするっていうのがすごい。もっとも選挙結果は、接待やワイロで大盤振る舞いだった乱暴者の羅雷が選ばれたのだったけどもね。
あと、広ーい校庭に整然と並んで体操をしてるところとか、「道徳を守り、勉強に励みます」みたいなスローガンを唱和してるところとか、音楽に合わせて教室でお顔のマッサージ(?)してたり、ところどころギョッとするシーンがあったけど、よく考えてみると昔は私たちも似たようなことしてたっけ。
この番組を見て思ったのは「中国はまだ若い国だなあ」ということだ。正しいことというのが確固としてあって、物事の善悪が明確に区別されている、というより、そういう建前があって、みんながそれを信じていることを感じた。そもそも、学級委員になることが名誉なことで、出世の階段への一歩と信じているってのが驚きだ。親が必死になって、「自分の方がリーダーとしてふさわしいと思ってもらえる点をアピールしなさい」なんて言うのだ。リーダーなんて貧乏くじでいいことなんて一つもないと思っている私らとなんという違いだろう。
私の世代なんて三無主義とか四無主義とか言われていた。中学の頃、生徒会長の立候補者が一人も出なかったので、クラスから強制的に一人づつ出すことになり、うちのクラスから選出されたのが常々お調子者といわれていた子で、「ぼくは生徒会長なんかなりたくない!」と言って泣いたのにはつくづくがっくりした。でも結局その子が当選してしまった。なんだか人身御供みたいでかわいそうだった。もっとも、一年経つうちにその子もすごく成長して顔つきまで変わってしまったから、物は考えようということなのだ。成績も上がったみたいだし。不思議。
日本の「選挙」は去年、テレビでも何回か取り上げられたし、新聞にも書かれていたから特に私が言うことはない。ただ、山内さんはいい人なんだろうけど、後援会周辺とか他の自民党議員とか、中小企業の社長とか農協の人とか、私の嫌いな妖怪みたいなおっさんがうじゃうじゃいて気分が悪かった。
「妻じゃなくて家内ですね」だって。ふん!当選確実が出た時、事務所に山内さんがいなかったというので「先輩の先生方をお待たせするなんて前代未聞のことです。世が世なら切腹ものですよ」って、バーカ!そういうのを「ぶっ壊す」って言ってるのが小泉自民党なんだろうが!もう自民党なんか壊れちまえ!公明党もいらん!どっか行け!ほんとにもう、「体育会系の年功序列の世界」なんて、こういうのを世界中の人が見たかと思うと恥ずかしい!
私は自民党の県会議員の後援会に入っていることになっている。義父が建設会社の社長に頼まれたのだが、義父本人は別の人を応援していて自分が入れないものだからうちに持ってきたわけだ。うちの夫は組合の関係で社民党の議員を応援していて、これまた入れない。それで私にまわってきたのだが、まったく失礼な話だ。義父は「電話がかかってきたら『ハイハイ』と言っておいて、わしの応援する人に入れなさい」と言い、夫は「『ハイハイ』と言っておいて、あの人を応援するふりをしておいて社民党の候補に入れるんだ」と言う。じょーだんじゃない!私の選挙権を何だと思っているのか!「もう、組織票を頼みにするような候補には絶対入れない。『落ちろ、落ちろ』と念じておくから」と悪態をついてやった。
いい加減、マニフェストで個人が自由に投票するような選挙にならなくちゃ。もう21世紀なんだから。自民党くたばれ!公明党も社民党もくたばれ!山さんはがんばれ!
「中国 “こども民主主義”」は小学校の学級委員選挙をルポルタージュしたものだ。こちらはおもしろかった。たかが学級委員選挙なのに必死なのだ。親も必死で「国家主席への第一歩よ」なんて言う。本気で言うのだ。クラスの子たちを招待して、モノレールかなんかに乗せて歓心を買わせたりする。それ、選挙違反だって。3人の子どもが立候補して勝ち抜き戦でディベートをするのだが、これがまたシビアな中傷合戦だ。「暁韮(女の子)は偏食をする。学級委員はみんなのお手本にならなくてはいけないのにそんなことじゃなれない!」「成成は乱暴で強引です。私はみんなの意見をよく聞いてクラスをまとめます。」「羅雷は人を叩く。みんなは怖くて何も言えない。これは独裁制だ」「乱暴は直します。でも成成はうそつきだ。」おおまじめにディベートしていておかしくて笑ってしまった。最後に一騎打ちになった羅雷と成成がスピーチをするのだけど、これがよかった。独裁制とは何か、民主主義とは何かを子どもなりに考えて「ぼくは民主主義的な学級にします」と宣言しているのだ。親の添削が相当あったとしても、小学生の頃からそういうことを考えたり言ったりするっていうのがすごい。もっとも選挙結果は、接待やワイロで大盤振る舞いだった乱暴者の羅雷が選ばれたのだったけどもね。
あと、広ーい校庭に整然と並んで体操をしてるところとか、「道徳を守り、勉強に励みます」みたいなスローガンを唱和してるところとか、音楽に合わせて教室でお顔のマッサージ(?)してたり、ところどころギョッとするシーンがあったけど、よく考えてみると昔は私たちも似たようなことしてたっけ。
この番組を見て思ったのは「中国はまだ若い国だなあ」ということだ。正しいことというのが確固としてあって、物事の善悪が明確に区別されている、というより、そういう建前があって、みんながそれを信じていることを感じた。そもそも、学級委員になることが名誉なことで、出世の階段への一歩と信じているってのが驚きだ。親が必死になって、「自分の方がリーダーとしてふさわしいと思ってもらえる点をアピールしなさい」なんて言うのだ。リーダーなんて貧乏くじでいいことなんて一つもないと思っている私らとなんという違いだろう。
私の世代なんて三無主義とか四無主義とか言われていた。中学の頃、生徒会長の立候補者が一人も出なかったので、クラスから強制的に一人づつ出すことになり、うちのクラスから選出されたのが常々お調子者といわれていた子で、「ぼくは生徒会長なんかなりたくない!」と言って泣いたのにはつくづくがっくりした。でも結局その子が当選してしまった。なんだか人身御供みたいでかわいそうだった。もっとも、一年経つうちにその子もすごく成長して顔つきまで変わってしまったから、物は考えようということなのだ。成績も上がったみたいだし。不思議。
日本の「選挙」は去年、テレビでも何回か取り上げられたし、新聞にも書かれていたから特に私が言うことはない。ただ、山内さんはいい人なんだろうけど、後援会周辺とか他の自民党議員とか、中小企業の社長とか農協の人とか、私の嫌いな妖怪みたいなおっさんがうじゃうじゃいて気分が悪かった。
「妻じゃなくて家内ですね」だって。ふん!当選確実が出た時、事務所に山内さんがいなかったというので「先輩の先生方をお待たせするなんて前代未聞のことです。世が世なら切腹ものですよ」って、バーカ!そういうのを「ぶっ壊す」って言ってるのが小泉自民党なんだろうが!もう自民党なんか壊れちまえ!公明党もいらん!どっか行け!ほんとにもう、「体育会系の年功序列の世界」なんて、こういうのを世界中の人が見たかと思うと恥ずかしい!
私は自民党の県会議員の後援会に入っていることになっている。義父が建設会社の社長に頼まれたのだが、義父本人は別の人を応援していて自分が入れないものだからうちに持ってきたわけだ。うちの夫は組合の関係で社民党の議員を応援していて、これまた入れない。それで私にまわってきたのだが、まったく失礼な話だ。義父は「電話がかかってきたら『ハイハイ』と言っておいて、わしの応援する人に入れなさい」と言い、夫は「『ハイハイ』と言っておいて、あの人を応援するふりをしておいて社民党の候補に入れるんだ」と言う。じょーだんじゃない!私の選挙権を何だと思っているのか!「もう、組織票を頼みにするような候補には絶対入れない。『落ちろ、落ちろ』と念じておくから」と悪態をついてやった。
いい加減、マニフェストで個人が自由に投票するような選挙にならなくちゃ。もう21世紀なんだから。自民党くたばれ!公明党も社民党もくたばれ!山さんはがんばれ!