うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

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10回連続防衛中の現役日本王者同士の対決から20年

2011年12月09日 | ボクシング
今から20年前の1991年12月9日、上山仁vs吉野弘幸のノンタイトル10回戦が東京・水道橋の後楽園ホールで行われました。上山はJ・ミドル級(現在の名称はS・ウェルター級)、吉野はウェルター級でそれぞれ日本王者でした。現役の日本王者同士がノンタイトル戦を戦うのは7年ぶりだったので、ボクシングファンから大いに注目を集めました。

両者とも対戦した時点では、自らが保持する日本王座を10回連続で防衛中でした。世界ではこの辺のクラスを「中量級」と称してます。しかし、日本では「重量級」だと認識されているほど、このクラスでは世界とは体格や身体能力で劣ります。両者とも、長期防衛できた背景には、国内の選手層の薄さとレベルの低さがあったのは否めないです。しかし、両者とも過去の10回の日本王座の防衛戦のうち、吉野は9KO、上山は8KOと強打を誇ってました。ただ、お互いにタイプが全く異なりました。青森出身の上山は持ち前のスタミナを活かして実直にコツコツ攻める、どちらかというと地味なタイプでした。一方、東京都葛飾区出身の吉野は左フックを武器にしたハードパンチャーで、勝つも負けるもKOの豪快なタイプでした。国内屈指の実力者同士の対決だけに、会場には超満員の観客が詰め掛けました。

上山と吉野は今回が3度目の対決でした。過去の戦績は吉野の1勝1分。最初の対決は、1986年11月12日に東日本新人王ウェルター級準決勝で対戦し、4回引き分け。しかし、大会規定により、上山の勝者扱いとなりました。なお、その後上山は同級の全日本新人王を制します。2度目の対決は、1年半後の1988年5月9日に後楽園ホールで行われた日本ウェルター級タイトルマッチでした。同年3月21日に東京ドームの杮落としに行われた同タイトルマッチで、まだ無名だった吉野が当時の王者・坂本孝雄を4回KOで鮮やかに倒して王座奪取に成功(ちなみに、同日のメインイベントは、統一世界ヘビー級王者だったマイク・タイソンのトニー・タッブスとの防衛戦)。2ヵ月後に初防衛戦の相手として迎えたのが上山でした。吉野は上山を得意の左フックで3回KOで豪快に倒して雪辱。一方、プロ唯一の黒星を喫した上山は、その後階級を上げてJ・ミドル級で日本王座を奪取。因縁のラバーマッチは、お互いに意地とプライドを賭けた壮絶なファイトとなりました。

155ポンドの契約ウェイトで行われたこの一戦。赤コーナーから上山、青コーナーから吉野が入場。吉野は過去に左拳を2度負傷して不安があったとはいえ、ウェルター級でWBA6位、WBC8位にランク。やはり、前の対決で上山を鮮やかに倒していることもあって、下馬評ではやや吉野が優位だと思われてました。試合のゴング開始と同時にお互いに左を突き合いますが、開始僅か10秒で上山の左フックがヒットし、吉野が一瞬腰砕けとなる波乱の幕開け。顔面を両腕でガッチリと固めた上山は、前進しながらパンチを細かく的確にヒットさせます。一方、序盤のダメージを持ち直した吉野は、ガードの上からでもお構いなしに左フックやアッパーを豪快に叩き込みます。双方とも、初回からお互いの持ち味を出して、激しい打ち合いの様相を呈します。

3回の序盤は吉野が快調に攻めるも、次第に手数が落ち始め、上山がその間隙を突いて的確にパンチをヒットさせて、吉野をロープ際に後退させます。4回も同様で、吉野が体ごと飛び込むように左フックやアッパーを豪快に叩きつけて優勢に進めるも、動きが落ち始めたラウンド中盤過ぎには上山が右を浴びせて反転攻勢に転じ、徐々に盛り返します。5回、ラウンド序盤の吉野の猛攻を浴びた上山は、強烈な左フックを貰って右目の上をカット。しかし、上山は何とか耐え抜き、逆に上山の細かいパンチを浴びた吉野も次第に右の目が腫れて塞がりました。続く6回は、動きが落ち始めた吉野のパンチが空を切り出し、対照的に上山が前進しながら細かいパンチを的確に当ててダメージを蓄積させ、ラウンド全体を優位に進めます。

そして、運命の7回。ゴング開始と同時に積極的に打ち合いを仕掛けた上山は、吉野の必殺技である左フックを空転させた後、逆にショートの左フックをカウンターで合わせて、吉野を仰向けにダウンさせます。吉野は何とか立ち上がるも足がふらつき、ダメージが深刻でした。上山の追撃打を浴びた吉野は主審からスタンディングダウンをカウント。吉野は戦闘開始のポーズを取るも、上山の回転の早い連打を喰らって前のめりに倒され、3ノックダウンで自動的に試合終了。結局、上山が7回1分14秒KOで勝利。執念で3年9ヶ月越しのリベンジを果たした上山は人目も憚らずに男泣き。一方、KOで敗れたとはいえ、吉野も持ち味を十分に発揮して、後楽園ホールの観客から拍手を浴びました。

その後、上山は日本王座の防衛回数を20度にまで伸ばします。吉野は日本王座の防衛回数を14度にまで伸ばした後、のちに東洋太平洋王座と日本S・ウェルター級王座の獲得に成功。この間に両者とも世界戦に挑みますが、あえなくアルゼンチンの強打者の前に完敗を喫し、世界王座には届きませんでした。やはり、世界の中量級の層は非常に分厚く、レベルの差をまざまざと見せ付けられた格好でした。しかし、リスク覚悟で戦った2人の日本王者同士の激闘は、20年経っても決して色褪せることなく、ボクシングファンの間ではいつまでも語り継がれてます。同時に、好カードを組まずして、好ファイトが生まれないことを実証した日でもありました。



☆試合のダイジェスト(1991年12月9日 @東京・後楽園ホール)



☆2度目の対決となった日本ウェルター級戦(1988年5月9日 @東京・後楽園ホール)



☆上山が1回KOで敗れたフリオ・セサール・バスケス(アルゼンチン)との世界戦
(1992年12月21日 @アルゼンチン・ブエノスアイレス)



☆吉野が5回TKOで敗れたファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン)との世界戦
(1993年6月23日 @東京・後楽園ホール)

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2 コメント

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上山の戴冠試合は (こーじ)
2011-12-19 09:21:10
 実は89年1月9日に行われた上山の戴冠試合を後楽園ホールで見ているのですけど、当時まさか吉野に勝てるような王者になるとは思ってませんでしたから この結果を見たときは感無量でしたよ。

 上山の試合は無骨でしたからね。
 一方の吉野は華があったので人気は吉野でしたけど、レベルは違いますが西城正三に小林弘が勝ったような感じでしょうか。

 残念ながら彼らは日本タイトルの防衛に専念した形で特に吉野が世界の強豪達とノンタイトル戦ででもグローブを合わせた上で世界戦をやっていれば・・・とも思ったりします。

 反対に上山は世界戦に よくぞ辿り着いたなと
思うレベルだったので、あの結果は仕方ないとは思いますけど もう少し長いラウンド戦えたら持ち味が・・・とも思いました。

 ただ世界戦ではない好カードを作り、切磋琢磨させるかがボクサーのレベルアップをさせる早道ですし それすらやらない例の一家が劣化するのは当然でしょうね。
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コメントありがとうございます (猫なべ)
2011-12-19 22:43:38
こんばんは、こーじさん

この当時の日本のウェルター級には、吉野の他に、佐藤仁徳や山中郁夫らがいて、結構面白かったですね。

ただ、佐藤と吉野を倒した“日本キラー”の東洋太平洋王者の朴政吾が、世界戦でアイク・クォーティに完敗したのをみると、中量級では、日本というより、東洋と世界との差が歴然としていることを実感させられました。

上山のバスケスとの王座決定戦は急遽決まった経緯がありました。
しかも、地球の裏側のアルゼンチンへの遠征だから、厳しいだろうと思ったが、予想以上に悪い結果だったので落胆した記憶があります。
個人的には、あの当時はまだ韓国勢が没落する前の時代でしたから、日本タイトルの防衛回数の記録に拘るよりも、東洋太平洋王座を狙ってほしかったですね。
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