エリマリ52

いつだって、今!そして未来へ!!

皆様、こんにちは。

ご縁がありまして、 このブログにお立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。

このブログは、心に残るエピソードを書きあげよう、と思って始めたブログです。 いくつかのカテゴリー(☆)は、連作になっていますが、かなりの記事は一定期間を経過後は非公開にしてあります。

その以外は、読み切りタイプの戯言です。

自分の考えをまとめる、記録に残す、そのような意図で始めた為、場合によっては、不適切、稚拙な表現があるかもしれません。  そのような問題の可能性を感じた際には、記事ごと非公開扱いにいたします。

※尚、このブログに記載されていることは、日付、名称、設定等、変更を加えてありますことを、ご了承ください。 ですので、ノンフィクションに近いフィクションです!笑

痛ましい事件

2015-03-05 16:19:24 | (ことばを)考える
 凄惨な事件が起こってしまいました。

 何度も映像で流れる上村くんの愛くるしい笑顔は、とても可愛らしくて、
私も胸が苦しくなり、話題にすることさえできないほど、
辛い気持ちになりました。

 一方で、容疑者も少年ということで、ますます重い気持ちになり、
考えさせられることの多い日々でした。

 心配なのと、犯人を早く見つけてほしい、という気持ちで、
今回、私は当初からネット記事を漁っていましたので、
逮捕前に複数の少年の名前や写真が拡散されていくさまを見ていました。
又、容疑者宅の前から、動画配信する映像さえも見ました。

 それら数多くの記事や書き込みを通して思ったのは、
ネットの情報って、以外に確かなんだな、ということでした。

 特に、地元民からの情報というのは、かなり具体的で、
当初から容疑者というのは、周囲の人には、ほぼ特定されていたのだろう、
ということもわかりました。

 もちろん、警察が逮捕ということになると、
そんな噂話レベルでは動かないことは、わかっていましたが、
状況証拠というか、根も葉もないところに噂は立たない、ということです。

 一方、まったくの別人が犯人として拡散されていたり、
容疑者の自宅や家族についての情報まで無秩序に流れていくことは、
受け入れがたく思いました。
実際に、もう一つの類似した事件があったようで、
そちらの容疑者とこちらの容疑者を混同させたものも多く見られました。

 許せない、むごい、悲しい、かわいそう、

 そんな感情を吐露するものには、同感できます。
ですが、制裁という気持ちからなのか、
容疑者に対する過激な暴言には、気持ちはわかるけど、
そこまで言っていいのか?と思うこともしばしばでした。

 もちろん、こんな事件が起きたことは、許しがたい。

 しかしながら、容疑者が少年である、ということを思うと、
やはり、考え深くあらねばならない、とも思っています。
苦くやるせない気持ちがあればこそ、冷静に考えなくてはならないと・・・。

 なぜなら、加害者である少年も、やはり、生まれた時から今まで、大半は子供だったわけで、
何も知らなかった子供が、どんな情報を受け取り、取り入れてきたか、
どんな環境の中で人格が形成されたのか、
そこを一番考えなくてはならない、と思うからです。

 彼が、サイコパスだというのなら、それはもう、素人の出番ではありませんが、
この容疑者グループには、そう決めつけて、切り捨てられないようなところがあります。

 彼らを生み、育てた社会の一人として、責任さえ感じます。
なぜなんでしょう?

 今回、私は多くの情報をネットで得ましたが、
未成熟な人間が接するものとしては、
あまりに無秩序な社会がそこには形成されています。
その中で、残虐な心をエスカレートさせていかなかった、とは、やはり言えない気がします。

 大人との十分な関わりを得られないまま、18歳になってしまったかもしれない。
善悪の区別がつかないわけではないだろうが、
やはり、彼らには教育の不十分さを感じてしまうのです。

 短絡的、すぐに腹を立てる、思い通りにいかないことに我慢できない、
プライドを傷つけられると制裁したくなる、
そんな思考回路は、
ネットと十分な距離を保てる程度に大人であれば、
あれはあれ、これはこれ、と区別できるのかもしれない。

 でも、全員が全員、そうした分別ある態度をとれるわけではなく、
彼ら容疑者グループが、何らかの影響を受けたものを、
大人が作ってきた、この社会から得たのではないか、と思ってしまうのです。
そして、孤独な彼らにとって、あまりにネットは身近でありすぎる。

 もちろん、容疑者の味方をしているわけではありません。
が、奇しくも、ネット上で、容疑者のことを思いっきりなじっている暴言を見れば見るほど、
私の気持ちは、容疑者の育った環境の一部に、
こうしたものがあったのではないかな、と思わずにいられなかったのでした。

 


 最後になりましたが、上村君のご冥福を心からお祈りいたします。


 

追悼 後藤健二さん

2015-02-09 19:42:06 | (ことばを)考える
 素敵な男性だと思った。

 一つに世界を駆け回って取材する能力があること。
そして、彼の人々に対する優しい視線。
スーツ姿もストールを巻いた姿も、とても魅力的であった。

 人質事件が報道されてから、私はずっと祈りつづけた。
地理的にも縁故的にも遠く離れていて、何もできない私ができること、
それは、祈ることだけだった。

 例えば、自転車をこいでいる時、泳いでいる時、
この坂を一息に上れたら、この距離をこのペースで泳ぎきれたら、
その力を後藤さんに捧げたい、そんな気持ちで生活していた。

 後藤さんは、シリアに入国する直前、
何があっても自分の責任です、と明言する動画を残していた。

 だから、彼は自分の命を失くしたとしても、
決して何人も責めるつもりはなかっただろうと思う。
しかしながら、今回の事件は、個人の責任を超えていた。

 彼にしても、自分の命の責任は自分で負うとしても、
その命を国家に対する脅迫として利用されるとは、考えていなかったのではないか?

 更に、報道する側の人間が、
素材化され、テロリストの言うままに発言しなくてはならない。

 そこは、彼にとって大きな誤算だったと思うし、さぞかし苦しかっただろう、と思う。

 テロリストは身代金を要求してきた。
しかし、そこで私は思った。
身代金を払ってはいけない。

 それは、よく言われるように、
テロリストに身代金を払う→彼らの武器になる、
とか、
テロリストに身代金を払う→日本国民がお金になると思われ、更に狙われる。

 そういう理由だけではなかった。

 これは、私の単なる推測であるが、
テロリストに身代金を払う、なんてことは、
後藤さんが最も望んではいないことだと思ったからだ。

 彼は中東の人々を愛していた。
アラブの兄弟という言い方をしていた。
そんな彼のことだ。

 自分にそんな大金を払う位なら、
難民たちにそのお金を使ってくれ、と思っているように感じた。

 彼は愛を知ってる人だと思った。
愛する対象がある人にはわかると思うが、
自分の為に、その愛の対象が困ったり傷ついたりする位なら、
自分の身を投じた方が、体はきつくても心は安らかなものだ。

 だから彼はきっと、自分の家族に対しても、国家に対しても、
申し訳なさで一杯だったのではないか、
と思うと、可愛そうで仕方がない。

 次にテロリストは要求を変えてきた。

 その時に私は思った。
これは難しいことになった、と・・・。

 交渉においても、最低限の信頼感は必要なものだ。
人質とお金にせよ、人質と人質にせよ、
渡したらきちんと渡してもらわねばならない。

 しかしながら、彼らは、その最低限の信頼を持てる相手であるのか?
約束を守ってくれる相手であるのか?

 その部分が、まったく見えなくなってしまったからだ。

 だって彼らは、日本における、かつてのオウム真理教のようなもので、
こちらの価値観とはまったく違う基準で生きている。
更に、彼らには大いなる信念がある。

 例えば、自爆テロがそうだ。
そこだけみても、命の重みに対しても、
まったく違っていることは明らかだ。

 そんな彼らから見たら、我々こそが、汚染されていて、淫らで、許せない人間たちなのだろう。
更に、後藤さんは、決して一般人ではない。
ジャーナリストだ。

 私は、この平安な日本において、戦士というものがいるとしたら、
ひとつはジャーナリストだと考えている。
ジャーナリストは武器は持たないが、
カメラとペンで世界中に発信できるのだ。

 もし、テロリストにとって不都合な真実をつかまれたとしたら、
それでなくても、命の危険があっただろう。

 そんなことを考えて、この取引の難しさに私は苦しくなった。
しかし、それが自由と引き換えの責任なのだと思った。

 皮肉なことに、
テロリストの発信も、テロリストのリクルートも、
この自由な世界の中で、保障されている。

 同時に、私たちは、自由で得た結果を、
苦痛とともに、受け入れなくてはならない。

 私は、かさこさんの意見に賛成だ。
そこには、こういった責任も含まれていると思っている。
自由を愛する国民は、その自由によってもたらされた結果を引き受ける覚悟が必要なんだ。

 後藤さんを失くしたことは、とても悲しい。
しかしながら、やむを得ないことだったのだと思って、自分をなだめている。
彼はジャーナリスト(私から見ると戦士)として自分の職場で殉死したのである。

 後藤さんが、その全存在を賭けて残したもの。
それは私の心に強く刻まれている。

 中東で何が起こっているのか?
何が行われているのか?
私たちは、目を逸らしてはいけない。

 後藤さんの存在は、日本国民に中東の問題について、
大いなる危機感を持って注目させる、そういう求心力があった。

 戦争は、もちろん反対だ。
しかし、戦争反対!と、念仏のように唱えていれば、戦争がなくなるわけではない。
戦争反対!と言っていれば、戦火が我々を避けてくれるわけではない。

 それは、今回のことで明らかになった。
いかに敵でない!というアピールをしたところで、
先方から敵とみなされれば、攻撃しようがしまいが、
このような結論が導き出される。

 ナチスはどうやって止められたのか?

 それを思うと、他国が干渉せねば、止められないこともあるのだ、という気がしてしまうし、
そうやって迫害されていた人々を助けた、というのも事実なのだ。

 戦争はしない。

 でもそれならば、そういう立場で何ができるのか、
離れたところで、平和に暮らしているからこそ、考えなければならないのだな、と思った。
考えることは、余裕のある人でなければできないと思うから。

 そういうことを、後藤さんというジャーナリストは私に教えてくれました。
私が考えることは、先に書いた祈ることに似ている。
考えたからといって、それが何かの成果を生むわけではない。

 しかしながら、後藤さんが失くしてしまった“命”を持っている者だからこそ、
彼が見届けられなかったことを、これからも見届けたい、と思うのである。

 

 
 後藤さんの魂が、どうか安らかでありますように。
後藤さんのご家族が、どうか立ち直ることができますように。


 
 


 




 

 

新ちゃん

2015-01-21 21:59:20 | なぜか接骨院!笑
 総司がいなくなって、私は、総司なしで生きていかなくてはならなくなった。笑

 で、当分、行く必要ないかな、と思っていたのだが、
総司の患者さんをそっくり引き継いだ新ちゃん(新しい人だから新ちゃんね!)の噂を聞くにつれ、
私も行ってみたくなった。

 大体、接骨院というのは、今や、老人(特に老女)達の集会所と化しているところもあり、
私が子供のころの、ほねつぎ、という重傷者が来院することは、
ほぼ、めったにない、と言っていいと思う。
なので、週に2回3回と通っている人が多くいるわけです。

 私が総司に頼ったのは、
いわゆる『ぎっくり腰』になって、あるいは、なりかけた時。
で、自分の症状が消えた途端に、通うのを勝手にやめていた。笑

 しかし、今回は、新ちゃんを見てみたくて、新ちゃんの施術を体験してみたくて、
わざわざ行ってきた。

 症状→肩甲骨と背骨の間の筋肉がつる!

 で、新ちゃんの施術というのが、
これがもう、痛かった、痛かった、痛かった!

 まず、肩甲骨周りは良いとしよう。
右腕を回させて、うん、左腕を回させて、うん。
うなづきながら、私の症状を聞く。

 それで、ここでしょ?
と、圧した場所が、どんぴしゃりで、ぞっとするほど痛かった。

 見立ては良い。
解説も良い。

 私の症状から見た彼の解説は、
右の肩甲骨は良く回っている。
けど、左は若干、可動範囲が狭い。
それをカバーする為に、背泳ぎの時に、体をねじっているのだろう。その為、そこの筋肉に負担がかかり、筋違いのような感じになっている。

 というもの。
まさに、それ!

 で、私は、いつもだと右側が痛くなるのだけど、今回は、左の背中がつったようになるんだ、
と言ったのだが、
その解説も、

 通常は、左が弱い分、右ががんばるので、それは単なる筋肉の疲労。
でも、今回は、左が無理をして、それでつったのでしょう、と。

 それ以外にも、首回りとか、腰とか、頼んでもいないのに、あちらこちら指圧してくれた。
それが、とにかく、痛いのなんの。
 
 いや、痛い、ってことは、それだけツボに入っている、ともいえるのだと思うのだが、
指のタイプが総司と違いすぎて、これはもう、なんと表現して良いのか・・・。

 総司の指は、足の親指ほど太くて肉厚だった。
大太鼓のスティックのような感じ。
だから、ずど~んと深部に届くような指圧だった。

 でも、新ちゃんの指はどんなのか見てないけど、
小太鼓のスティックみたいな感じと言えばいいのかな?
刺された、みたいな痛さで、そのまま剣で体内まで貫かれているような、激しい痛みだった。

 実際、腰をやられた時は、腎臓が破けちゃうんじゃないかというほどだったし、
一日経って、私が一番にしたことは、鏡に自分の背中を映して、どこも内出血していないか、確認することだった。笑

 内出血は・・・、なかった。

 だから、ツボに激ハマリ!ってことなんだろうと思う。
それに、それだけ痛かったってことは、実は、私はどこか悪いのかもしれない、って可能性もある。

 これ、完全なマゾじゃないと、接骨院には行けないなぁ、とは思うものの、
不思議と、背中のつりはなくなっている。
また、その背中と繋がっている首を、ある角度に曲げると、痛みがあったのだが、
その痛みも、かなり少なくなっている。

だから、新ちゃんも名医かもしれない。

 いずれにしても、今や常識なんじゃないかと思うほど、スポーツは体に悪い。
というか、体のケアを十分にしながらでないと、スポーツは怪我につながることが多い。
特に、中高年は注意が必要だ。
(注;ここで言うスポーツは、軽い運動、という意味ではありませんよ。笑)

 なので、スポーツトレーナー代わりに、新ちゃんのところに定期的に通うかな、と思っている私である

なぜなら、スポーツクラブで、パーソナルトレーニングを受けるより、
接骨院の施術の方が、ずっと割安だからだ。笑
 

クラス飲み会2

2015-01-08 11:16:42 | エリマリ52
 いやぁ、新年早々、ちょっとした元同級生の悪口大会を開催してしまって、失礼した。
多分、お読みの方の中には、バカ男、バカ男、と連発する私に対して、
いかがなものか?と苦言を呈したかった方もおられよう。

 なので、今日は、そのバカ男と言ってしまった、KKについて書いてみよう。
KKか・・・。
なぜか私の周囲には、同時期に似たような名前の人が現れるのが常で、
それは今でも続いていて、本当に困ったことなのだが、それで混乱を招くことさえあるほどだが、
多分、それは、あの頃から始まっていたのだなぁ、と改めて思う。

 それはそうと、KKというのは、私が当時、中高と5年間片思いしていたバレー部の彼と同じイニシャルだった。
しかも、KKと私の片思いの相手は、同じクラスだったり、同じ部活だったり・・・。
また、私の当時の親友が、そのKKを好きだったり。
前回の文にも書いたが、KKの母と私の母が独身時代に同僚だったりして。

 そんなこんなで、私は、学校で見るKKとは別な方面からもKKのことを聞くことがあるなど、
高校入学当初から、KKのことは、それなりに知っていたというわけです。

 ところが、そのKKというのが、当時、私をいじめる輩の一人だったわけですね。
親同士が知り合いで、私の親友のクラスメートで、同じ部活。
そんな中でも、KKは、堂々と私をいじめることを楽しんでいた。

 多分、先生のご厚意により、私をいじめてた当時のクラスメイトは、
学年が変わると、みな、解散させられるかのように、
クラスが離れていた。

 でも、先生はご存じなかったのでしょうが、
部活や男子更衣室を通して、私自身が知らない方面の人にまで、
いじめが波及しておりまして、
その波に、KKというのは、しっかり入っていたわけなんです。
なので、図らずして、KKとは、それまで違うクラスだったのに、ひょっこり同じクラスになってしまっていたのです。

 そのように、彼の名前は、私の高校時代を灰色に染めた輩、という私の心の名簿には、しっかり入っているわけだが、
KKのバカなところは、そういう私に向かって、高校卒業後、とんでもない申し出をしていたところです。

 彼は、第一志望の国立大に不合格だったため、浪人していたのですが、
ある日、東京の私の一人暮らしのアパートを訪れたようだった。

 どういう風の吹きまわしか、知らない。
とにかく、私が大学から帰宅すると、紙ナプキンにメッセージと署名がされたものが、ドアに挟まっていた。

 その内容は、もう忘れてしまったけど、
携帯電話もない、家の電話もない、当時の下宿生にとって、
行き違いになるとか、約束もなく訪れるなんてことは、ままあることだった。

 それにしても、なぜKKが・・・?

 というのは、当時も驚きであった。
だって、KKは札幌で浪人生活を送っているはずだったから。

 たまたま東京の友達に会いに来たり、志望大学の見学に来ていたのかもしれないが、
それにしても、よく、私の家がわかったなぁ?
何で、来たのかなぁ?

 とは、思ったが、当時の私は、東京生活を満喫していた(笑)ので、
あまり深くは考えていなかったと思う。

 その半年後、例の年末のクラス会で、KKに会った。

 KKは、酔っぱらっていて(今、思うと、明らかに未成年ですね!)、
私に絡みつくように、もし、次の受験で東京の大学に行くことになったら、
“俺とつきあってくれ。”と意味不明な事を言っていた。

 相手は酔っ払いだし、それに、高校時代、私を苛め抜いた一派の人だし、
何言ってんだ、こいつ、と思っただけで、本気にはしていなかった。
だけど、彼の受験の結果は、何気なく気にしていたように思う。

 なぜなら、一向に連絡のない彼の受験結果を、他の人に聞いた時、
ちょっと、むかついた思いがあったからだ。

 結果として、彼は地元の国立大学に合格できたので、東京の私大に来ることはなかった。

 そして、次の夏休み前には、元同級生のHちゃんと彼氏彼女としておつきあいが成立したようで、元クラスメイト公認の仲として、べたべたしながらクラス会に現れた。

 私は、この話を、随分長いこと、誰にも話していなかった、と思う。
そして、仲良しの女友達には、20年も経ってから話したが、
KKの彼女であったHちゃんにも、そして、他の男子同級生にも話してはいない。

 Hちゃんは、とても素敵な女子だったので、二人が幸せなら、それで良かったし、
私は、KKの告白もどきを、
“やっぱり酔っ払いの戯言だったのだ”
と、処理したからだ。

 しかし、しかし、である!

 そのHちゃんと大学卒業間際に、KKは別れた。
しかも、KKの仕事が決まり、東京の研修で出会った女性と、あっという間に結婚。

 という話を聞いた時は、唖然とした。

 Hちゃんは、ひどく落ち込んでいたという話を聞いたし、
クラス会にも、どちらも顔を見せなくなっていて、
みなで、Hちゃんの心配をしたものだった。

 まぁ、その後も、何度かKKと東京や田舎で会う機会はあったけど、
私は話しかけたりしない。
でも、向こうからは、相変わらず、昔のことやHちゃんとのこと等、
何もなかったかのように、調子よく話しかけてくるから、
そのあたりから、私は、彼のことを心の中で、バカ男と呼んでいたのだ。笑

 それが、ついつい、前回の記事で出てしまいましたね。

 元同級生というのは、おもしろいもので、
当時の原風景があって、
でも、当時とは違うお互いがいて、
大人になって、過去のしがらみを逃れてうまく成長できた人は、
今は、すっかり自由になっている。

 だから、男友達A君は、実はKKと高校時代、とても仲良しだったのだけど、
今は、私の友達、といっていいと思う。笑

 今回も、久しぶりに話す優しげな男子に言われた。

“エリマリちゃんは、昔は、近寄りがたくて、うまく話せなかった。”

 でも、私は心の中でこう思っていた。

“うっそー!私と話すと、自分もいじめられると思って、避けていたんでしょ?”笑

 また、別な男子に、先日会ったA君の情報を話していたら、彼からも言われた。

“あぁ、当時はKKがエリマリをいじめていたからな。
Aとすりゃ、それもあってエリマリとは仲良くできなかったんだろうな。”

 だって。笑

 ほら、みんな、知っていたんじゃない!
私が特定の男子グループから、執拗ないじめにあっていたことを・・・。

 で、みんな、矛先が自分に向かないように、
微妙に私からは距離を置いていた。
なので、私は、そんなことに関係なくつきあってくれていた(と私には見えていた)、
A君と、あともう一人大事な友S君というのがいるんだけど、
その二人には、全幅の信頼を置いているわけだ。

 それは、高校時代から今でも変わらない。

 A君、S君が、いじめグループを積極的にいなすこともなければ、
彼らを非難して私を守ったことなど一度もなかったのだが、
そのグループの背後にいる、その他大勢の顔なしの同級生達の中で、
彼ら二人の顔は、いつも、ほんの少し、申し訳なさそうに見えていた。
そして、私と一緒に傷ついているようにも見えていた。

 そして、彼らのその気持ちだけで、当時の私は、十分、嬉しかったんだよね。

 大丈夫!
今の私は、嫌なことは嫌だ!とハッキリ言えるし、
何より、都会に出て、自分にピッタリの大学で、
なんというか、本当に自由になった。

 あの田舎から出たい!
 
 その気持ちが、今日までの私の生活をどこかで支えてきたのかもしれないし、
それに、おかげで、A君、S君とは、今でもいい友達でいられるのだから。

 だからといって、いじめた奴らに感謝なんて、まったくしてないけどさ、
でも、どんな体験でも、きっと自分はプラスに変えてみせる、
そういう気持ちで生きていこう、とは思ってるよ、今でも。笑



 


 

クラス飲み会

2015-01-06 15:39:13 | エリマリ52
 年末にクラス会があった。

 というか、元クラスメイト達の“飲み会”と言うべきかな?

 私の出身高校のクラスは、仲が良いのか、クラス会なるものを毎年2回開いている。
今でも、毎年、8月と12月のある日に、ある場所で開催されている。
卒業以来34年間、それは今でも変わらずに続いているのだ。

 基本は地元の人(レギュラー)、
その他に私のような別な地方から帰省している人(ビジター)を加え、
大体、15,6人集まるのが常だ。

 今回も、ビジターは、東京、横浜、埼玉、名古屋、札幌などからで、
男子などは、この定例クラス会という名の年末の飲み会の為だけに飛行機で帰省して(既に実家がないにも関わらず)、
飲み会に出席→ホテル泊→翌日帰るという人までいるくらいだから、相当なもんだ。

 実際、札幌でも年に2回ほど5,6人で飲んでいる、という話もあるし、
東京でも、2,3年に一度は10人位で集まったりもしている。
なので、地元のクラス飲み会に出ると、それら他の地で行われたクラス飲み会の報告もあるので、
大抵の人の卒業後のあれこれが情報として伝わってくる。

 前回、私がこの会に出席したのは、3年ほど前だったろうか?
その時の話題は、高校卒業後一番に結婚していた男子が2年前に離婚。
更に、この度、再婚するというので、新妻となる20代の女子を連れてきていて、
その見知らぬ女子に、クラス飲み会を台無しにされたような気分で、私は激怒していた気がする。笑

 だって、酔っぱらった男子(という名のオッサン連中)が、その20代女子に集中して…。
私達、同級生女子は、あっという間にオバサン扱いされ、まとめて排除された感があって…。
でも、口挟むと、おばさんの僻みみたいになりそうで…。
まぁ、私達女子にとっては、つまらない会になった、ということですね。笑

 男子とすれば、自分たちなりの友人新妻への歓迎だったかもしれないけど、私から言わせたら、クラス会に、新妻同伴というのもどうかと思うし、
そこでちやほやされて喜んでる同級生夫のデレデレした顔も見苦しかったしね。苦笑
(別れて1年位は、”俺は一人だから”と、枕詞のように前置きして、あちらこちらの女子に何気にまとわりついていた、と噂だったわよ!笑)
まぁ、さんざん寂しい思いをしたが、
こうやって若い奥さんと再婚できたなんて、
きっとその彼にしたら、この上ない喜びだったのだろう、とは想像つくけどさ。笑

 で、そんな風に、転職したとか、親が亡くなったとか、引っ越したとか、子供の進学とか、
あらゆるクラスの人の近況が飛び交うのが、ならわし。
実際、私も直近に会った男友達A君のことを報告してきたしね。

 今回のニュースと言えば、
クラスで一番の美人だった女性が3年前に未亡人になっていた、という話かな。
彼女と札幌で会った、という人の報告ね。

 それから、高校時代の同級生と卒業後つきあっていて、
しかも大学卒業時に、その同級生の彼女(つまり私たちの友達)をこっぴどく振って結婚したバカ男(こいつも同級生)が、
最近、離婚して、どこぞの誰かと再婚したって話かな。

全く、男ってのは堪え性がない、というか性懲りもなく、というか、離婚後に割にすぐ再婚するモンなんですね。

 確か、そのバカ男とは、2年前位に東京の会合で会ったなぁ。
その時には、そんな話はなかったから、たぶん、その後の話なんだろうね。

 そのバカ男の母親とうちの母親が古い友達なんで、
私はクラス会から帰ったら、実家の母にすぐ報告しといたわ。(恐るべき田舎力!笑)

 全く関係ないけど、
他の人が席を立った隙に、私の横に陣取って、しつこく耳打ちしてくるI男には、あきれてしまいました。

 私の反対側に座ってる、別の女子Dちゃんの胸が大きいとか、
どうでもいいことを耳打ちしてくる。

 で、現場では適当にあしらっていたが、
ここで言わせてもらうけど、Dちゃんは、我らが女子の出世頭で、日本全国誰もが知ってる会社の部長だからね!
しかも、伝統あるその会社で初めての女性部長になった子だからね!

 そして、あれこれ私に耳打ちしてくるI男ときたら、
なんと、学校の教師なわけなんですね。

 悪いけど、そういうところで、田舎の教師の程度ってもんがわかっちゃうじゃないのよ。
ほんと、都会では信じられないよ。
インターナショナルな会社では、ありえないよ!

 完璧セクハラなことを、平気でやる。

 挙句の果てに、I男は足先伸ばして、Dちゃんの太ももをツンツン突いてたわ。
さすがにDちゃんもムッとして、

 ”そういうこと、やる?”
と言って睨みつけてましたけど・・・。

 甘ったれた男の姿ってのを、久しぶりに見ましたね。
そして、言わせてもらえば、田舎の男は、どこが田舎か、っていうと、

 男であることに甘えすぎ!

 男ってだけで、自動的に女たちに大事にしてもらえる、とでも思っているかのようで・・・。

 まぁ、そういう困った男子はI男だけだったから、まだマシな方だと思うけど、
そういうのが一人いるだけで、集団全体のレベルが下がってしまうようで、
ぜひとも、いい年の男には、自分がいい年の男であることを、
しかと自覚して欲しい、と思った一件でした。

 というさまざまな人の体験や生き方を時系列で見ることができる、知ることができる、
それがクラス飲み会のいい点かな。

 動くアルバムって感じ。

 知りたくないことや知られたくないこともあっという間にバレてしまう。
それが、田舎。笑

 でもまぁ、こんな体験ができるのも、それぞれが生きていればこそ。
そして、コンスタントに集まってくれる地元の仲間がいればこそ。

 私達、ビジターは、好き勝手に参加不参加を決めてるわけだけど、
ずっと催してくれている幹事役の同級生には、頭が下がるばかりであります。

 いつもありがとう!