うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

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女子バレーが史上初めて五輪のメダルを逃してから22年(下)

2010年09月29日 | 団体球技(室内)
3位決定戦の相手は、前回の五輪覇者の中国でした。ロス五輪の準決勝では、日本は中国にストレートで完敗を喰らい、史上初めて五輪の決勝進出を絶たれた因縁の相手です。中国は1981年に日本で開催されたW杯から世界大会5連勝を飾るなど、1980年代は黄金時代を築いてました。しかし、準決勝ではソ連に3セット合計でたった11点しか奪えずに、ストレートでまさかの惨敗。中国はエースの郎平が既に2年前に引退しており、大砲不在の影響は隠せませんでした。大会2連覇が消滅し、気持ちが切れ掛かっておりました。

しかし、中国に対して大の苦手意識を抱えていた日本は、優勝した1983年のアジア選手権での勝利を最後になんと21連敗を喫しており、両国の地力の差は元々顕著でした。そして、日本もペルーとの死闘で心身ともに既に燃え尽きており、もう一度戦う余力はもはや残されてませんでした。今からちょうど22年前の1988年9月29日。五輪で優勝経験のある両者は、決勝戦に先立って“慰めの試合”を戦いました。第1セットこそ、出足の良かった日本は天敵を相手に13-11とリードを奪う健闘を見せます。

だが、まともに戦えたのはここまででした。この後、日本はミスが相次いで逆転され、13-15で落とします。第2セット以降、集中力が切れた日本は、女王の底力を遺憾なく発揮した中国に完全に圧倒されます。日本は、第2&3セットをそれぞれ6点しか奪えずにストレートで完敗。同時に、女子バレーが五輪に正式採用された1964年東京五輪以降、5大会連続で守り続けたメダル獲得の伝統がついに消滅。なお、この試合の後、主将の丸山は現役引退を表明しました。

決勝は、前日の準決勝でストレートで中国に楽勝したソ連が、日本との死闘で疲れが残っていたペルーを、2セットダウンの後、驚異的な粘りでフルセットの末に勝利を挙げ、地元開催だった1980年モスクワ五輪以来2大会ぶり4度目の優勝を達成し、復活を遂げました。最終セットをデュースの末に惜敗したペルーは、銀メダルを獲得。優勝したソ連に唯一の黒星を付けさせたのが、日本にとってこの大会で唯一の慰めとなりました。


☆3位決定戦で日本は中国にストレートで完敗を喫して、ついにメダル獲得の伝統が途絶える
(1988年9月29日 @漢陽大学体育館)



☆決勝はフルセットの末、ペルーを下したソ連が金メダル(1988年9月29日 @漢陽大学体育館)



日本女子はソウル五輪でメダル獲得を逃してから、一気に没落の道を辿ります。1990年代以降は、ソウル五輪に不参加だったキューバが、持ち前の優れた身体能力を活かして天下を牛耳ります。また、バレー自体が世界中に普及したことにより、共産圏のソ連、中国、キューバ、東ドイツなどがライバルだった時代とは大きく変容します。ブラジルやイタリアなど欧州や中南米の新興勢力が台頭し、世界の頂点に立ちます。体格や身体能力に劣り、国内リーグのプロ化に頓挫した日本は、新興国にあっという間に追いつかれ、一気に引き離されました。

ソウル五輪の翌年の1989年に日本で開催されたW杯こそ日本は8チーム中4位に入りますが、日本が世界3大大会で4位に入ったのはこれが最後となります。世界選手権は、1990年が8位、1994年が7位、地元開催の1998年が8位と低迷。そして、2002年は史上最悪の13位にまで落ちぶれます。地元開催の2006年こそ少し持ち直して6位に入りますが、これが最近では最高順位です。毎回日本で開催される12チームが参加のW杯も、2003年の5位が最高順位です。

そして、1990年代以降の五輪は、メダルはおろか五輪出場権すら危ぶまれる地位にまで下降します。1992年バルセロナ五輪では準々決勝でブラジルに1-3で完敗して、史上初めて準決勝進出を逃して5位。1996年アトランタ五輪では1次リーグで中国、米国、韓国、オランダにストレートで惨敗して9位に終わり、史上初めて入賞を逃します。そして、2000年シドニー五輪では、ついに史上初めて五輪出場権を逃します。

2004年アテネ五輪と2008年北京五輪こそ、2大会連続で本大会の出場権を獲得して準々決勝まで進出しますが、世界のトップクラスとの実力差があり過ぎることが鮮明になりました。また、五輪出場が再び可能になったのは、日本が実効支配する国際バレーボール連盟(FIVB)から、国際大会の開催権や日程など、あらゆる面で厚遇されているのが実態です。つまり、現在の日本はハンドボールの「中東の笛」と同様に、実力とは不釣合いの政治力を利用しなければ、世界のひのき舞台にすら立てないほど実力が低迷しているのです。同時に、コートの中の実力低下と比例するように、日本バレーボール協会自体も運営面で堕落してます。

今振り返ると、ソウル五輪準決勝でペルーに大接戦の末に惜敗したのが、日本女子バレーの分水嶺となったと言えるでしょう。史上初めて五輪のメダルを逃してから今日でちょうど22年が経ちますが、かつてバレーをお家芸にしていた日本が、世界の舞台で表彰台に立つ日は再び来るのでしょうか? ただ、昔と違って世界に広く普及してプロ化が進んだ以上、メダル獲得への道のりは果てしなく長く険しい道のりのような気がしますが・・・。



▼女子バレーボール・ソウル五輪の日本の成績

・予選リーグA組
1988/09/20 ○3-2 ソ連
1988/09/23 ●2-3 東ドイツ
1988/09/25 ○3-1 韓国
(日本は2勝1敗でA組2位に入り、ソ連とともに準決勝進出)

・準決勝
1988/09/27 ●2-3 ペルー

・3位決定戦
1988/09/29 ●0-3 中国

・ソウル五輪の最終成績
 1位・ソ連、2位・ペルー、3位・中国、4位・日本、5位・東ドイツ、6位・ブラジル、7位・米国、8位・韓国
 (ソ連が1980年モスクワ五輪以来、4度目の優勝。 日本は史上初めて五輪のメダルを逃す)

【ソウル五輪日本代表選手】
大林素子(日立)、川瀬ゆかり(日立)、佐藤伊知子(日本電気)、杉山明美(日本電気)、杉山加代子(日立)、高橋有紀子(日立)、滝澤玲子(日本電装)、中田久美(日立)、廣紀江(筑波大)、藤田幸子(日立)、丸山由美(小田急)、山下美弥子(日本電気)
監督:山田重雄、コーチ:宗内徳行、トレーナー:三浦敏子

ソウル五輪の詳細の記録


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【参考資料】読売新聞、朝日新聞、毎日新聞

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2 コメント

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3位決定戦は (こーじ)
2010-09-30 00:06:21
 3位決定戦は、準決勝であれほどの激戦を戦ったという事で中国でなくても厳しいなと思ってました。

 決勝はペルーが2セット連取しながら逆転負けしたので驚きましたよ。
 だからソ連によくぞ勝ったなとも思いましたけど、当時は世界のレベルが紙一重だったという事も実感してます。

 バルセロナも初戦でアメリカにフルセットの
末に勝ち、開催国のスペインにも勝って連勝しながらEUNにストレート負け。

 ただし3位通過となったので中国ではなくブラジル相手だから助かったと思ったら負けたのでしたね。

 中国やキューバ・ソ連に勝てなくても仕方ないと思ってましたが、さすがにブラジルに負けたときはガックリきましたね。

 ブラジルには86年の世界選手権で完敗したのが最初の負けですが、あれからブラジルが相当なレベルアップしているのが実感できますし日本の成績が反比例してますよね。

 どうも女子バレーの首脳陣に東京五輪を制した大松バレーへのリスペクトが強すぎるのではないかと思いますよ。

 拾ってつなぐだけでは もはや世界相手には勝てませんからね。
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コメントありがとうございます (猫なべ)
2010-09-30 01:20:09
こんばんは、こーじさん

このソウルは、中国に負けたというよりも、ペルーに勝てなくてメダルを逃した気持ちが今でもありますね。

やはり勝てる試合をものにしないと、獲れる物も獲れないですし、あとで大きく響きますね。
いくら金メダルを獲ったソ連に勝ったと言っても、その後の重要な試合を落としたのでは無意味に等しいですから。

考えると、日本と同じ「拾って繋ぐバレー」だったペルーも、銀を獲ったこのソウルが絶頂期でした。
ソウル以降は、南米でもブラジルの後塵を拝し、五輪もアトランタとシドニーの
2回しか出場できず、いずれも1次リーグ最下位。

のちに世界を制する同じ中南米のキューバとブラジルとは対照的に、下降線を辿りました。
日本同様に、昔のスタイルで成功したので、新しい世界の潮流についていけなかったのかもしれません。

そういう意味では、このソウルは「拾って繋ぐバレー」が通用した最後の時代だったのかもしれませんね。
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