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うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
のんびり更新しますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。

サブカルの宝庫だったモスクワ五輪

2010年05月24日 | その他
今回は少し加齢臭が漂うアラフォー企画だよ(笑)

今からちょうど30年前の1980年5月24日。東京・渋谷の岸記念体育会館で行われた日本オリンピック委員会(JOC)総会で、日本はモスクワ五輪の不参加を決定しました。なお、このJOC総会の投票結果は不参加が29、参加が13、棄権が2でした。前年暮れに五輪開催国だったソ連のアフガニスタンに軍事侵攻したことに抗議した米国が西側諸国にボイコットを呼び掛けた結果、日本を含めた50数ヶ国がこれに応じました。

日本が近代五輪に初参加した1912年のストックホルム五輪以降、戦争以外の理由で自ら不参加を決断したのは、もちろんこれが初めてです。一応、JOCが「自らの意思による不参加」という体裁を整えてますが、実態は同盟国の米国の忖度を受けた政府による圧力なのは言うまでも無いです。なにせ、このJOC総会は挙手による採決でしたから。日本は独立した主権国家として、極めて恥ずかしい応対だったと言えるでしょう。

当時のJOCは、文部省(現・文部科学省)の傘下だった日本体育協会の一つの委員会に過ぎませんでした。つまり、国からの補助金(=税金)で成り立っていた組織でした。結局のところ、JOCの財政基盤が脆弱だったことが政府の圧力に屈した背景です。この事件の結果、政府とスポーツ界の蜜月関係に終止符を打ち、JOCは1989年に財団法人として体協から独立の道を歩みました。

一方、英国やフランスのように、政府の後援を得られなかった為、費用を掻き集めて独力で参加した国も多数あります。これらの国の選手団は、自国の国旗ではなく、五輪旗の下で参加しました。国歌も五輪賛歌を使用してました。また、開会式では、ソ連に抗議の意思を示すため、入場行進に選手が不参加の国もありました。五輪に参加しているだけ羨ましく感じますが、やはりこの五輪は「政治ショー」の印象は拭えませんでした。



ちなみに、モスクワ五輪本大会は7月だったので、小学1年生の夏休みにやっていたのは覚えてます。ただし、日本がボイコットした為、大枚を叩いて独占放送権を購入したテレビ朝日が、当初予定していた約200時間から4分の1近くも放送時間を大幅に削減。その結果、五輪中継なのに主に早朝と深夜にダイジェストで録画放送してました(なお、人気競技はゴールデンタイムで少しだけ放送してました)。

なので、私は近所の寺でやっていた朝のラジオ体操が終わって家へ帰った後に、朝食を食べながらダイジェスト番組を観た記憶があります。ただし、五輪放送なのにたった30分しか放送してませんでした。正直言って、同じ時間帯にフジテレビで放送していた「ママとあそぼう!ピンポンパン」の方が私は観たかったんですけどね(笑)。ちなみに、私は歴代のピンポンパンのおねえさんの中では、酒井ゆきえさんが断トツで好きでしたね。

話が脱線してしまいましたが、子供心にこのモスクワ五輪は華やかさというものが全く感じられませんでした。如何せん、自分の国の選手が1人も参加してませんので、応援しようがありませんでしたから。通常は五輪というと、国内全体で盛り上がって異常なまでに愛国心が高まりますが、この大会はボイコット事件のせいもあり、周りの大人はシラけてました。ちなみに、この1980年は冷夏だったせいなのか、テレビで観ていても“寒すぎる”雰囲気でしたね。なので、その後、商業主義路線に転換して、ド派手な演出をするようになったのは本当に驚きました。



残念ながら、競技の事については、当時の私はスポーツにそれほど関心が無かったので、あまり覚えてません。だけど、この大会はまるでソ連の国体のような感じだったのは覚えてます。というのも、前回モントリオール五輪の金メダル獲得数の3~5位に入った米国、西ドイツ、日本が不参加だったので、ソ連は全203種目中なんと4割近い80個も荒稼ぎしましたから。ただ、今考えると、東ドイツが47個も金メダルを獲って2位になっているのは、人口比から考えると凄い成績だと思いますね。もちろん、薬物使用など選手の人権を無視した強化方法の成果だと思いますが・・・。

あと、選手では、体操のナディア・コマネチ(ルーマニア)は覚えてます。といっても、私が覚えているのは、この大会の個人総合でコマネチが平均台の終盤の演技でぐらついた影響もあって、優勝を地元ソ連のエレナ・ダビドワに盗まれてしまい、激しい抗議で揉めたことぐらいですかね。しょうもないシーンばかりを覚えてますね(苦笑)。もしリアルタイムで競技をご存知の方がおりましたら、是非とも教えて下さいませ<(_ _)>



このモスクワ五輪は、大会前から競技以外のあらゆる面で盛り上げる試みがあったような気がします。五輪をモチーフにした音楽やアニメやドラマなどがありました。なので、モスクワ五輪は過去の大会を見渡しても、サブカル部門が最も充実していた大会だったと思います。今回は、その代表的な事例を4つ取り上げたいと思います。

さあ、皆さんはどれぐらい覚えていらっしゃいますか?
30年前の昭和の時代にタイムスリップして思い出してみましょう





(1)めざせモスクワ

この曲については、以前このブログで記事にしたことがありますので、どうぞこちらをご覧になって下さい(→詳細はこちら)。世界的に有名なのは「ジンギスカン」のバージョンの方ですが、日本語バージョンである「バオバブシンガーズ」も必聴です。最近は五輪が近づくと、テレビ局が大会イメージソングを作りますが、これらの曲は所詮大物歌手のプロモーションに過ぎず、ハッキリ言って中身なんて薄っぺらな内容です。それに比べて、この曲の歌詞は異常なまでに勝利を追及しているので、完全に真逆を突き進んでます(笑)。ある意味、前衛的な芸術作品だと思いますね。


☆こちらは「ジンギスカン」バージョン



☆こちらは「バオバブシンガーズ」バージョン





(2)こぐまのミーシャ

1979年10月6日から1980年4月5日までテレビ朝日系列で放送されていたこのテレビアニメ。モスクワ五輪のマスコットキャラクターである「ミーシャ」を主人公にした作品です。なお、実際にテレビ放送されたのは26話なのですが、あえなく途中で打ち切られた曰くつきの作品です。ただ、日本がボイコットを決定したのは1980年5月24日なので、打ち切られたのはボイコットの直接の影響ではなく、低視聴率だと言われております。

なお、五輪では大会ごとにマスコットがありますが、私が顔と名前が一致出来るのはロサンゼルス五輪のイーグルサム、ソウル五輪のホドリ、そしてモスクワ五輪のミーシャぐらいですね。その他の大会のキャラクターはあまり印象に残ってませんね。ロンドン五輪のマスコットなんてハッキリ言って不気味ですね(笑)。個人的には、断然このミーシャが好きでした。なので、モスクワ五輪の閉会式で人文字で作られていたミーシャが涙を流していたのは子供心に印象に残りました。

こぐまのミーシャのファンサイト


☆「こぐまのミーシャ」の主題歌
(ちなみに主題歌を歌っているのは「100戦無敗の美人不動産投資家」としても有名な沢田富美子さんです)



☆モスクワ五輪の閉会式でミーシャが流した涙
(1980年8月3日 @レーニン・スタジアム(現・ルジニキ・スタジアム))





(3)燃えろアタック

1979年1月5日から1980年7月11日までテレビ朝日系列で放送されていた石ノ森章太郎原作のスポ根ドラマ(全71話)。北海道から上京して、モスクワ五輪を目指して奮闘するバレーボール少女の物語です。必殺技に“羆(ひぐま)おとし”というのがありました。なお、主人公の小鹿ジュンを演じていたのは、女優の荒木由美子さんです。テレビ朝日がモスクワ五輪の独占放送権を持っていた関係で「こぐまのミーシャ」と同様に、このドラマも五輪のプロモーション的な意味で放送してました。それだけ、当時の日本の女子バレーは金メダル獲得が期待された証なのでしょう。ちなみに、このドラマは中国で大人気があったみたいです。なお、このドラマは金曜19時台に放映してましたが、燃えろアタックの前後に放送していた「がんばれレッドビッキーズ」の方が個人的には好きでしたね(笑)。

燃えろアタックのファンサイト


☆「燃えろアタック」の主題歌
(ちなみに、バレーの技術指導されている寺山(旧姓宮本)恵美子さんは、東京五輪の金メダリストです)





(4)ラッセルヨーヨー

  


おそらく、昭和50年代に小学生だった現在30代半ば以上の方なら、きっと覚えているであろうこの玩具。私が今回取り上げたサブカル部門の中で最も思い入れがあるのがこれです。「コカ・コーラ」、「ファンタ」、「スプライト」など、コカ・コーラブランドの商品ロゴが入ったヨーヨーが販売されてました。このヨーヨーは1976年頃に最初のブームがあったらしいのですが、この頃の私はまだ3歳児だったので残念ながら知りません。私がこのヨーヨーの存在を知ったのは、1980年の春のちょうど小学校に入学した頃です。「帰ってきたコカ・コーラヨーヨー」キャンペーンをやっていた第2次ブームということになります。

ちなみに、私がこのヨーヨーを知ったのは、近所の酒店が「ヨーヨーの世界チャンピオン」と称する赤いブレザーを着た日本語がペラペラな謎の外国人を招聘し、近所の子供たちを大勢集めて実演会をしたのがきっかけです。もちろん、私にとってこれが人生で初めてのガイジンとの遭遇でした(笑)。神奈川県とはいえ、周りが田んぼと畑に囲まれた田舎に外国人が来ること自体、当時ではかなり珍しかったです。

私はヨーヨーというから、最初はお祭りの露天で売っているゴム風船のタイプのものだと想像していたので、訝しげに眺めてました。しかし、このヨーヨーはプラスチック製で、紐が伸びきった状態でも回転するタイプです。さらに、「犬の散歩」、「ブランコ」、「東京タワー」など世界チャンピオンが繰り出す技に周りからどよめきと溜息が漏れ、完全に子供心を鷲掴み。「ヨーヨー=上下だけしか動かない」という今までの固定観念を根底から覆す革命的なおもちゃでしたね。日の丸と五輪旗がデザインされたオリンピック仕様のこのヨーヨーが、瞬く間に売り切れたのは言うまでも無いです。

小学生1年生だった私は、わざわざこんな辺鄙な場所に超大物を招聘するぐらいだから、この酒店は見かけによらず実は国際的な企業かと思いましたね(笑)。後で知ったのですが、ヨーヨーを販売していたラッセル社がデモンストレーターを全国各地のデパートや駄菓子屋や文房具店などに派遣していたそうです。時には、公園にも出没したという“都市伝説”も聞きます。現在に例えると、実演販売の達人のマーフィー岡田さんが屋外でやっているような感じなのですかね。ただ、赤いブレザーを着た外国人が公園にいきなり現れたら、今の物騒な世の中だと確実に警察に通報されそうですけどね(笑)。

だけど、今考えると「ヨーヨーの世界チャンピオンって、一体何人いるんだろう?」って素朴な疑問がありますけどね(笑)。まあ、世界王者を粗製乱造する現在のプロボクシング界よりかは案外マシだったりして(苦笑)。


☆1979年に放映されていたラッセルヨーヨーのCMです。(瓶のコーラなのが懐かしすぎる!)

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