nekomitu日記

ポンコツ日記

内なる子供

2016-07-31 00:58:52 | 日記


私は、本来の自分を取り戻し、心理学を学ぶきっかけとなった一つの貴重な体験がある。

今から10年程前、EFT(EmotionalFreedomTechniqueエモーショナル・フリーダム・テクニック)という講座に通っていた。これは、身体のエネルギー「気」を整える事ことによって、感情的な苦痛やストレスなどから感情を解放するツールで、世界中でセラピストやカウンセラーに多く使われているものだった。

初めは、娘の病気の事で悩み(前回のblog生まれ変わるで書いたこと)でEFTの先生に、娘の対応について相談に行ったのがきっかけだった。

この先生…癒し系のカウンセラーではなく、とにかく明るい「気」を放つ人で、いつもハキハキとストレートに話し笑顔だったのを覚えている。


その先生には、娘のことを相談しているのに、何故かしら私の幼少期からの話をずっと質問してこられるのです。

初めは「そんなこと関係ないだろ…娘のことは??」と思っていたけど、繰り返される質問も尋問のように聞こえてきて…次第に答えるのが苦しくなってきた…

これはカウンセリングじゃないんじゃないか??そう思った。

そんな私に、先生はこう質問してきた「今まで生きてきて一番寂しかったことや辛かったことは何ですか?」と…

辛いこと寂しいこと沢山あってどれを話していいのかわからず…暫しの沈黙の後、ふと…小学生の頃母親が蒸発した時の記憶が蘇ってきた。

いつもは夕方には台所にいた母親が待っても待っても帰ってこなかった。理由もわからぬまま…父親はたまに帰ってきたが、直ぐに仕事に行き又いつ帰るかわからない…そんな生活だった。

夜家の中に一人で過ごすことが多くなり、どうしたら良いかわからず…こたつにもぐってた時の記憶だった。

その時の記憶が突然…走馬灯のように鮮明に蘇ってきた。そしてもう一つそんな家庭環境を理由に
学校で虐めにあったことも…

それまで、この子供の頃の経験が、辛いとか寂しいとか不幸だとか…殆ど思ったこともなかったのに、何故か気がつくと先生にその話をしていたのだ…

すると先生は「その時、あなたは泣かなかったでしょう?」と問いかけた…

そういえば、一度も泣いてない…。「はい、泣かなかったですね…」と答えたら、先生はこう続けた…

「本当は虐められて傷ついたし、毎日、寂しくて辛くて、何でお母さんは帰ってこないんだって泣きたかったのに、その気持ちを他の感情で誤魔化して押さえ込んでしまったのね…」と

え?…そうなのかな??正直なところ自覚はあまり無かったが、確かに母親が帰らない寂しさを感じないよにしていた気がするし、虐められていた事を誰にも話さなかった。

先生曰く、その小学生当時の子供の私が、泣かないでずっと我慢したまま私の中にいるのだと言う…。

それが「インナーチャイルド」だった。

先生は笑顔で私にこう言った。

「子供のあなたに寂しかったね…辛かったね…って言って抱きしめてあげなきゃね…」と

言われた瞬間…涙が止めどなく流れ
気がつくと号泣していたのである…。

それから約3ヶ月間講座に通った。

この体験がきっかけとなり、自分と向き合い
心理学を学ぶきっかけとなりカウンセラーの資格を取ったという経緯がある。


この、
「インナーチャイルド」とは、一般的に「内なる子供」と言い、幼少期の記憶や心情、感傷の事を指します。子供時代の経験が、大人になった自分に漠然とした虚無感や様々な場面で影響を与えているんです。

子供の頃の出来事によって傷ついた、怖い思いをした、孤独感を感じたなどのマイナスな感情を無意識に抑圧してきたんですね。

おもえば、それまでの私は、どんなに気の合う友達と楽しい時間を過ごしても、恋愛をしても…心から手放しで幸せと思ったことがなく…何をしてもどこか満たされない欠乏感にも似た感覚が常につきまとう人生だった。

結局、寂しかった、傷ついた苦しかった…という心を守ろうと、自分を傷つける様な荒んだ思春期を過ごし、どんどん本来の自分から外れた生き方をしていったのです。

いつも「自分は誰からも愛されないんだろうな…」とか「どうせ見捨てられるんだろう…」
と、刹那的な生き方をし、どこか冷めた感情の理由がわかったのがその時だった。

それから、のめり込むように、交流分析などの心理学にも興味を持ち、本を読みあさり…

挙句に禅の教えや、お釈迦様の教え、般若心経などなど…勉強が大嫌いな私なのに、面白いほど知識が入ってきて色んな辻褄みたいなものが見える様になってきた。

どれも深く追求した訳ではないが、真理みたいなことは分かった気がした。

結局…娘の病気の根っこも、私の幼少期のこの経験、インナーチャイルドに繋がっていたんです。

人を好きになって、楽しいはずの恋愛も何故か常に不安がつきまとう…好きになればなるほど、その人がいなくなるんじゃないか?ということばかりに囚われてしまい不安というより怖かった…

今思えば、インナーチャイルドが大人の私に「怖い、寂しい」「どうせ又一人になるよ…傷つくよ…」って騒いでたんですね。

インナーチャイルドを放っておくと、大人になっても、事あるごとに、何か違う…何か足りない…というインナーチャイルドからのメッセージが途絶えることはないのです。

そんな心の仕組みというか…「生きづらさ」の謎が解けてからは
インナーチャイルドを受け入れ、癒し、手放すことが出来たと思っています。

専門的な解説はさて置き…

それまで理性で抑圧していた感情を解放し、本来の自分を取り戻したと思っても、たま〜に顔を出す「虚無感」みたいな感情は、内省し、自分に何かしらの自信を付ける為の行動や、承認され必要とされたり、感謝されるなどの行動を取ることで
直ぐに本来の自分に戻れるようになりました。

大切なのは、起きもしないことを頭で考え、動きを止めるのではなく、取り敢えず動く…「行動」する事が大切なんですね。

つまり…

これまでblogで書き綴った、私の複雑極まりないこの性格の根っこはここにあった訳です。

因みに私は、母親に抱きしめられたり、一緒に遊んでもらった記憶が全く無い…だから私も娘を抱きしめる事があまりなかったし、遊び方がわからなかった。

きっと私の母も祖母に抱きしめられたり遊んでもらった事が無かったのだろう…そう思った。

最近になって、母親に幼少期の事を聞いたら
やはりそうだった…。

つまり、我が家の「普通の母親像」は、価値観の刷り込みによって、祖母から或いは又その母親から受け継がれていだということだ。

ならば、娘にそれを受け継ぐ訳にはいかない。

こんな事を「業」というのかもしれないが、
だったら断ち切るしかない…。

その事も、冒頭での先生との一連のやりとりから学んだ事だ。

知識は身を助ける…という事だろうか…

いずれにしても…今の私のプロとしてのスキルは、知識だけではなく、こうした経験によって作られたとも言えるかもしれない。











































悪しき習慣

2016-07-24 22:30:18 | 日記


晴天の日曜日でした。
いつものように遅めの朝食を食べながら
日曜日の日課である
ガイアの夜明けを見ていてると、今朝はある経営者の言葉で私のビジネス思考にスイッチが入った(笑)

それは、こんな質問から始まる「あなたは毎日歯を磨いてますか?」「何故磨くのですか?」

質問された人はこう答えます「歯を磨くのは習慣だからです。」

すると、その経営者は「習慣でやってる歯磨きも間違った悪い磨き方を続けていたら虫歯になるよね。。」と


何が言いたいかというと、当たり前にやってる、その悪い習慣を変えなければ悪くなる一方だということ。

この経営者は、悪化の一途を辿っていった会社の収益を「習慣を変える」事で奇跡的に回復させた経営者。

一方その質問を投げかけられたのは、部下が言われたことしかせず育たず…リーダーとしての資質を問われている他社のリーダーに向けた質問だった。

食い入る様に番組を見て、日曜日オフモードの自分にスイッチが入った…。

悪しき習慣を変える…むむむ。

そんな事を考えている時、一人の働く女性から相談の電話があった。「会社を辞めようと思う…」
という内容だった。

現在コンサルタントの現場で多々直面する問題…

それは、「会社の将来を担う社員が育っていない
い」「管理職の保身」「言われたことしかしない社員の増加」「仕事に対する責任感と熱意」などなど…企業が抱える人材への課題は、私に課せられる課題でもある…

中でも、会社の成長を妨げ衰退の一途を辿る「悪しき習慣」に対して覚悟を持って経営側がメスを入れようとしない…面倒を避けて社員の顔色ばかり見る事は、私の仕事のやる気を削がれる要因でもあるのです。

そして又、現場で働くスタッフが直面している
成長意欲の欠如、モチベーションダウンの要因を洗い出し解決する事も、コンサルタントである私に課せられる課題である。

現場で働く社員から、よく相談される内容には、こんな問題がある。

「上司は事なかれ主義だ」
「上司は本当に私たちの成長を願っていると思えない」
「上司は自分の立場を守り誇示する事しか考えてない」
「仕事のやり方ではなく人格を否定してくる」「上司の顔を見る度にやる気が削がれる」

などなど…挙げだしたらきりがないほどだ…。

一方で、上司から受ける相談はこうだ…

「部下は言われた事しかやらない考えない」
「忠誠心も愛社精神もない」
「無理です…できません…と平気で言う」
「義務を果たす前に権利の主張ばかりする」
「右腕となる人材がいない」

などなど…こちらも挙げだしたらキリが無いほどだ…。

どちらにも問題はあるとはいえ、一番の問題は、そんな状況を分かっているのに、何一つ変えようとはせず、悪しき習慣となった現状に目を背け、漫然と仕事をしているという事…(本来、これは仕事とはいいません)

結局の所、双方ともに「社畜」として、会社に依存しているとしか思えない事ばかりです。

色んな企業を見ていく中で、衰退の一途を辿る企業の特徴とも言える「社内政治」とも言えるバカげた習慣と、社風、管理職の我が身の保身…しかしその自覚すら無い

そんな企業の中で、部下の成長を心から本気で願い、愛情を持って育てようとしている管理職やリーダーが果たして本当にいるだろうか?

「現状維持」「事なかれ主義」「保身」を自分の役割と勘違いしているのでは無いか?会社を私物化しているとしか思えないのである。

こんな状況にあって、人も企業も成長するわけが無い…と私は常々思うのです。

「仕事への熱意や責任」を問うと煙たがる社員と「意識改革、風土改革」にメスを入れると慌てふためく管理職やリーダー達…。

こんな社員が蔓延る会社に明るい未来など見出せるはずが無い…。

また、「社畜」と成り下がったその人材の行く末は、今働く企業がある日突然無くなった時…潰しが利かず、路頭に迷うのは目に見えているのだが、その危機感さえ無い。

だからこそ、私は若手の社員に徹底して教える事がある…

それは、
「オーナーシップ」=「当事者意識」
そしてもう一つ、社外でも
「高く売れる自分になる」という事。

この二つを大切にしている。

そしてこの二つの事を言動に移し、成果をあげるために必要なマインドが「熱意」と「積極性」「自己責任」そして「自己投資」「謙虚さ」

危機感を持ち、自ら考え能動的に働くという事。そして何より「感謝」する事である。

べき論振りかざし、昔の栄光にしがみつき、保身に走り、高圧的に部下を萎縮させ、作業を仕事と勘違いし、時間つぶしに会社に来ている様なリーダーから、誰が何を学ぼうと思うでしょう…。そこには、諦めと失望しか無いはずです。


マネジメントする人間なら誰でも知っている
山本五十六のこの名言を、頭で分かっているが、面倒だから…忙しいからを口実にできないといい結局やらない…そんな感じでしょうか?

部下の成果は自分の評価、部下のミスは部下の責任…こんな上司の姿を見て若手が仕事に明るいビジョンを描けるはずもありません。

だからと言って、上司も部下も諦めるわけにはいかないのです。なぜなら、企業人として働く以上、部下の職業人生に「上司」として関与したした上司は彼らの成長に責任を持つこと、部下は、成長し続けること、そして双方ともに会社に貢献する必要があるからです。

しかしながら、「悪しき習慣」が蔓延し、当たり前になった会社では、この意識改革、風土改革は一筋縄ではいきません。

保身でぬるま湯に浸かる幹部からは、改革の取り組みや、コンサルタントを排除しょうと攻撃される事も多々あり、最悪の場合、退職者を出す可能性もあるのです。

しかし、そこでブレる事なく、決意と勇気を持ち一貫したスタンスで改革の取り組みを推進していく為には、コンサルタントと経営者との意思の疎通がうまくいってなければなりません。

そしてまた、経営者も覚悟と熱意を持って「会社を良くしたい」と思っていただく必要があるのです。

私は人が成長する事で会社を成長させる為の成果を出す必要がある「人材育成コンサルタント」として責任を果たす為、
経営者(クライアント様)に単に迎合してばかりもいられないのです。時には「本気で会社を良くしたいとお考えですか?」などと苦言を言い議論する事もあります。

目指すゴールが同じであれば、そんな議論も時には重要なのです。


そう考えると、コンサルタントも部下を持つ上司も経営者も想いは同じようなものなんですね…

そんな事を沸々と考えていると、自分の仕事のあり方そのものを問うきっかけにもなります。

とはいえ、私もプロとしての自覚と責任、そして危機感を忘れず、悪しき習慣を絶ち、学び成長し続ける必要があるのです。

まさに…

「習慣を変えれば人生が変わる」という事ですね。




















































寂しい?

2016-07-21 08:53:17 | 日記


先日、私のブログやSNSを見ている方から
「あなたは寂しいの?」と聞かれた…

私はこう答えた
「全て寂しい訳ではなく一部分だけ寂しい時もある」と…

これは正直な気持ちだった。

私は基本的に一人の時間が好きだ。一人の時間を確保できないととにかく疲れる。

だけど時々
無性に誰かにそばに居て欲しいと感じる時もある。あくまでもそれが全てではない
そう…たまに「そんな時もある…」わけです。

このブログも寂しいから…誰かに見てもらいたいから…という理由で書いているのではなく、

その時の自分の感情を書き留める感覚だし、履歴を残すという目的がある。

確かに…その人が言うように、誰でも見れる状態にする必要はないだろう。

これまでも自分のブログで折に触れて、ブログやSNSを投稿する目的や、背景を書いてきたが、要は「そうしたいから…している」以外何も理由はない。

にしても…
私はそんなに寂しい人間に見えるのか?とそもそも「寂しい」って?どんな意味だろ?と思い、言葉の意味を調べてみた(笑)

《形》活気を失い、満ち足りない。
親しい人が居ないなどで、心が満たされず物悲しい。

とあった…。

あれ?活気もあるし、満ち足りてるぞ??

ついでに「さびしんぼ診断」なるものを見つけ、暇だったのでやってみた(笑)↓

http://mirrorz.jp/article/samishinbo-test/

結果
「あなたは独りで居ることも苦ではない、でも他人と一緒でも楽しめる、という孤独と協調を使い分けできるタイプです。大勢の方が楽しいけれど、少人数や独りでもそこそこ楽しめる。大抵は友達と行動するけれど、たまには独りで自由に行動したい。寂しさ、孤独に対するバランスが取れているため、結果として他人からも「付き合いやすい人」と思われることが多く、結果として寂しさとは無縁の生活を送れているはずです」…

と結果が出た。他人から「付き合いやすい人」と思われているかどうかは別として…そうそう!そのまんま!その通り‼︎と納得の結果だった(笑)

何かに囚われたり、執着する事をやめてから
寂しい、淋しい、とはあまり感じなくなった気がする。

囚われと執着の対象となる事柄や人が
ままならないから寂しい、淋しい、辛いと感じるんだと…。

とはいえ…

私も感情ある人間であり完璧ではないので、ふっと「なんか寂しい」と思う日がある訳です。

もし仮に、寂しい…この寂しさを埋めたい…と強く願うのならば、埋める為の努力を惜しまないだろう…

また、孤独に対する耐性を自らに問う時、自分が弱い人間なのか?強い人間なのか?にしても同様のことが言える…「弱くなる時もある」が私にとっては正しい。

このように、寂しいか?寂しくないか?強いか?弱いか?二元的な考え方をやめるようになった時、ありのままの自分を受け入れるようになった時、心に静寂が取り戻せると私は思っています。

禅語でいう「両忘」の思考でしょうか…
何でもかんでも白黒はっきりさせようとするから
人は悩み苦しむのだとこの禅語は教えてくれます。

生きている時に「死んだらどうしょう」とくよくよ考えないで、生きる事に徹すると、死を忘れる事ができる…

さらに、死ぬことも生きていることも両方とも忘れると、心に静寂が得られるという感じです。

更に恋愛でいえば…

「あの人は自分をを愛しているのか?愛していないのか?」白黒はっきりとさせなければ気がすまない…

もし、相手が愛していないという結論出ても満足なのだろうか?愛しているのなら、愛することに徹すればいいのでは…。そんな感じでしょうか…

何が言いたいかというと、「それが全て」ではなく「そんな時もある」「そんな日もある」若しくは「どちらでもない」が私の捉え方だ。

なので、少なくともブログを書いている時は
実に充実した時間を過ごしていると思う。

ブログもSNSも見た人の捉え方は様々だろう。

偏見と憶測に満ちた目で見れば「あの人自己掲示欲求が強いよね」「寂しいんだろうね」「かまってちゃん」なんだよ…と、私=寂しいかまってちゃん人間なんだ…と結論付けるだろう(笑)

だけど、それでいいんです。

なぜなら…事実は「そうではない」からです。

弁解するつもりも、正当化するつもりもありません。それが私という人間なのですから…。

「今」と「中庸」を基本に物事を捉え、判断し、客観視する事が思考の癖となり、
今を生きる事を楽しんでいる…。それが全てなのかもしれません。



































飲めない

2016-07-17 12:55:17 | 日記


私は、見た目「凄い酒豪」に見られる「もー随分飲んでるんでしょ?」と言われる事もしばしば…

しかし…実はお酒が全く飲めない?飲まない?のである。
冬季限定チョコレート「ラミー」が限界(笑)

その理由
①お酒はマズイ…飲むと不快
②多分身体に合わない(過去に飲んだ時全身の痒みと寒気が襲って大変なことになった。注射のアルコール綿で赤くなる)

私全く飲めないので…と言うと「うっそ〜」とか「やめたんですか?」と100%言われる始末(笑)

そんな私だが…
十代の時から23歳まで、昼間の仕事だけでなく、水商売(スナックやクラブ)で働いていた。
お酒を全く飲まないから「車で通勤するホステス」だったのである(笑)

好きでその仕事に就いた訳ではなく…

二十代前半に、ローン詐欺に合い…多額の借金を背負ったため、その返済のために、学歴のない私がやむなく選択したのが手っ取り早くその仕事だった。

ある日の事…お店に来たお客様に「君はお酒を飲まないで接客が出来て周りをよく見てるから、うちのクラブにチーママで働かないか?」と引き抜きにあった事もあった…。

その頃わたしは、自衛官のエリートとお付き合いをし、婚約していたのだが、何処かでいつも引け目を感じていた。両親も片親だし…学歴も中卒だし…借金はあるし…相手は、中流家庭の長男で出世を約束された人…

結婚できたら幸せだろうと思ってはいたけれど、どうしてもコンプレックスが拭い去れずにいた。

この彼には1日も早く水商売を辞めるように言われていたので、当然悩んだ…。

と同時に「本当にこの人にふさわしい女になれるのだろうか?そして幸せになれるのだろうか?」
と思い始め、少し距離を置くようになっていた。

そんな折、お店のお客様として来ていた
見た目は人が避けて通るような厳つい見た目で
だけど、笑うととても爽やかな笑顔の男性から
告白された…。

後に分かったけどヤクザみたいな…ではなく正しくモノホンだったのですが…(笑)

その時、何故かこう思った「私に相応しいのはこの人じゃないか?」と…。

結局、クラブのチーママになる事もなく、エリート自衛官と別れ、その人とお付き合いを始めてすぐ、妊娠がわかり娘を授かり一回目の結婚をしたのである。

そこから先の人生は、あまりにも濃すぎるので…
この辺りで止めておこう…ついつい本題から逸れてしまった(笑)

で…本題に戻り何が言いたいかというと…

この「お酒が飲めないのに水商売をした」経験が
どんな仕事よりも勉強になり、その後の職業人生の糧になったという事…。

薄い烏龍茶を、水割りと偽り飲んでいた私は、
飲めないのに、どんな人であっても、上手く話さなくてはならない…カラオケは歌わなければならない…

場を盛り上げ、お客様に楽しんでもらわなければならない訳だ…時にはアフターでお客様と食事に行ったり、同業のお店にお付き合いで顔出したり…。毎日朝方まで全てを「素面」でやっていた訳です。

周りは当然酔っている人ばかり…
私は至って冷静で客観的…記憶も明確だ…
ニコニコ笑い周りに合わせながら、時には酔ったふりしながら…

頭の中では、明日の昼間の仕事の心配や、如何にお客様の下心をすり抜け、この場を上手くとり繕い、いち早く帰るか?という戦略を頭の中で練っていた(笑)

そんな毎日を過ごしていると、洞察力も鋭くなり「ひとの本質」を見るようになり、特に、日頃とは別人のように、酔って醜態をさらす女性を見ると「飲めなくてよかったわぁ〜」と妙な安心感も込みあげたりして…

そのおかげで

場の空気を読むことや、接遇、コミュニケーション、酔っ払いの対処の仕方、男性の自尊心を傷つけない断り方…初対面の人からの話の引き出し方、などなど…

知らぬ間に身についていった訳だ。
何より物怖じしない「度胸」がついた気がする。


この経験が、のちの職業人生にどれほど役に立ったか…

たとえば、

営業の仕事、販売の仕事、接客業、マネジメント、秘書、カウンセリング、コーチング、コンサルタント…

どの仕事を取っても、対人スキルを必要とする仕事で、この経験が活かされたのは間違いない…。

お酒を愉しく飲んでる人を見ると「楽しそうでいいなぁ〜」と思ったし、
時には「あなたは飲まないから隙がなくて…」「口説けない…とっつきにくい…」と多々男性に言われたこともあり…(笑)

なんだか私は人生随分損してる気がする…と思った事もあったし、未だに「こんな時お酒が飲めたらいいだろなぁ〜」と思う事も正直あるけれど、

お酒が飲めないが故に、こんなに得した事もたくさんある訳です…

百々のつまり…「飲めなくてlucky〜」と思えるのです。

酔った人から、後日よく聞く言葉で「昨夜の記憶がなぁ〜い」「二日酔いで最悪」「自己嫌悪だわ〜」の感覚が正直分からないので、楽しい記憶は楽しいまま覚えているし、自己嫌悪になる事もない。

もちろん…最悪な嫌な記憶も明確に残ってる訳なんですけどね…。

だけど、大切な人と過ごした時間や、幸せな記憶は誰だって覚えていたいのではないだろうか?

大切な人のふとした表情や言葉、その時の温度感…

思い出したくても思い出せない…より
思い出して温かくなる方がいい…。

しかし…その逆当然ある訳で…

大切な人から受けた心ない辛辣な言葉、その時の表情もしっかり覚えている訳ですけどね…。

人それぞれの受け止め方があると思うが、
今となっては「飲めない」事が本当に良かった…と思うようになった。

しかしながら…

少しくらいほろ酔い加減の女性の方が、きっと可愛いのだろう…そして楽しめるのかもしれませんね…^_^

お酒を程よく飲める…それが一番いいのかもですね。

































パズルのピース

2016-07-12 23:46:58 | 日記


どんなに現状が満たされていても、どんなに楽しくても...

どこか、心のパズルのピースが1つだけ埋まらない感覚がいつも私にはあった。

それが何なのかわからずにいたが、ある日それが
ピタッとはまる瞬間がある。

その時は分からなかったが、数時間経って「あぁ...やっぱりこれだったんだな」と気がついた。

昨日はそんな一日だった。。

とても穏やかで、安らぎに満ちた
何とも言えない気持ちに満たされている。

誰でもこんな風に、心のパズルの幾つかのピースが埋まらず、僅かな虚無感を抱いているのかもしれない。

そして、たとえ埋まったとしても、又無くしてしまうかもしれないという不安もあるだろう。

日々の中で漠然と「ああなったらいいな...」と現実味を帯びなくても叶うなら幸せだろうな..と思う事....

そんな事がある日突然、引き寄せた様に叶う事がある。奇跡の様な瞬間を、これまで何度か経験してきた。

人との縁にしても、仕事にしても、恋愛にしてもそうだったし、欲しいものも偶然や奇跡の様に手にした事もあった。

ただ、その漠然とした想いは、強く願う事によって叶った様な気がするし、そこに至るまでの苦悩や葛藤で涙した事も数え切れないほどあった。

単純な私は、何の根拠もなく、自分の人生は「ツイてる!運がいい」と言ってきた。

単に運がいいと思い込んでた事がかえって良かったのかもしれない。

辛く心折れそうな事が沢山あっても、逃げずに乗り越えた先に
必ず何かしら「ありがたいなぁ」と心から思う様な事象に必ずあう。

思えばその繰り返しの人生だ。

求めても得られない事を思い悩み、心かき乱された時期もあったが、今思えば全ての事が
私の肥やしとなり、力となったと思える様になった。

パズルのピースが埋まった瞬間は、感情が高揚する事もなく、浮ついた気持ちにもならず...あんなに穏やかだったのは、きっと
それまでの時間が私を強くしてくれたんだと思った。

色んな事が上手くいっている時、恵まれてると感じる時、その事象に決して甘んじる事なく、常に自分を内省し言動を慎む事、律する事忘れてはいけないと思うよになれた。

これまで、あんなに執着していた幾つかの事が
どうでもよくなって笑って流せる様になった。

過去を悔やまず、悔いなく生きてこられたのも
無くしたピースを探すため自分に与えられた
課題なのかもしれないと思っている。

そう考えると、人生において無駄な経験など何一つない。後悔する事も何一つない。

事象や人への囚われ、執着から離れ
自分を解放できた時、ふっと...その探していたピースは向こうからやってくるのかもしれない。

悩みや不幸の根っこは、執着や囚われ、思い込み、偏見、幾つかの根っこが必ずある。

その根っこを掘り出して、理解していくと、自分の湧き上がる不安や悲しみからくる衝動も抑える手段がわかり、手放すのも恐れなく簡単なのかもしれない。

手放した時に初めて

求めない生き方、嫌われてもいいやと思う生き方ができる様になるのだろう。

そして本来の自分と、安らぎを取り戻す事ができるのだろう。