nekomitu日記

ポンコツ日記

緩和的化学療法スタート

2019-11-21 17:09:05 | 日記
11月21日再々入院。

前回のblogで書いたように
私の癌は、去年8月
取り残された横行結腸癌から
肝臓へ多発肝転移した
ステージⅣの進行癌。

そして…
組織検査を更に詳しく調べた結果

BRAF遺伝子異常という結果も出たので
急速に癌が進行するそうだ。



このまま
抗がん剤治療しなければ余命6ヶ月と…
宣告された。

2回の手術をしても
腫瘍マーカーの数値が下がらず
肝臓に多発転移した癌は全ては取りきれず
身体の中に癌が残っている状態なのだ。

明日の朝からいよいよ
違う抗がん剤で「緩和的化学療法」が始まる。

これは、「治癒」を目的にと言いたいところだが「延命」のための治療である。

少しでも苦痛を和らげながら
主治医のチームと連携して進めていく。

なので、入退院は頻繁になるかもしれない。



私は、この病気の情報を得るのが怖かったし、実際に見ても不安だけが増幅し、尚且つ専門的すぎて分からなかった。

あとは医師を信頼して
希望を持って

奇跡が起こるようにと…1日でも長く
奇跡が起こると信じて
身体の中にある癌と向き合おうと思っている。

今回の薬は

IRIS療法>TS-1内服+イリノテカン点滴+アバスチン分子標的治療薬

前回のXerox療法の恐怖しかなかってので
かなり覚悟していたのに…

イリノテカンとアバスチンの点滴は
何の苦痛もなく…静かに180分以上の時間が過ぎている。不思議だった。看護師に点滴の名前を確認したくらいだ。

何故?こんなに…
なんともないのはなぜ?

と思って「IRIS療法」の事、
私のややこしい癌の事…

そもそも
正しい情報が足りないから不安だし理解してないから怖いのだ…

そう思って点滴の間
色んな情報を集めたり見たり…
読んだり…
そしてこれ‼️ヒットしたのが奇跡!


この「IRIS療法」は北海道で生まれていて
それに関わった教授の講演動画だった。

食い入るようにこの動画を見て
動画の終盤になると「声を殺して…やった!ありがとうございます!」と自然に感動で涙が出て声を殺して泣いた」
心が凄く柔らかく暖かくなったのを覚えている。

こんなに色んな人達が、死亡率が一番高い私達の厄介な癌のために、日々挑戦して戦ってくれてるんだ!と思った。

そして、私の主治医のチームも
私の厄介な持病【リウマチと線維筋痛症】+癌のために
外科、血液腫瘍内科、リウマチ膠原病科
精神腫瘍科…の専門医が連携して関わってくれている。

最善を尽くし、苦しまなく良いように
色んな薬を併用して苦痛を軽減してくれているのが分かった…。

だから…2日目の今日も
何の副作用も感じず…
美味しく食事ができた。

本当に有難いことだ。

未だこれから出て来るであろうけど
医師を信じて、いつでも泣きついていいんだと…ここに来て思えるようになった。


主治医は「予想される苦痛は、出来る限り取り除けるように色んな薬を使っていきます」と入院前に話してくれた通りだ…

入院当日の夜、
主治医が様子を見に来た時、
「先日のMRIの結果は
月曜日に娘さん同席で説明できるようにしますが、このIRIS治療での方針は変わりません」



「結論から言うと…CTで見て怪しいと思っていましたがMRIで確認したら
やはり肝臓に転移が残ってます」覚悟していたもののショックで泣いたが

色んな情報を見聞きすることによって
私に関わってくださる

色んな人への感謝で胸がいっぱいになった。

私は、この入院までの期間というか…
ここ数年、幸せな
瞬間もたくさんあったが、

怒り、哀しみ、絶望、孤独で
自暴自棄にもなった時間がとても多かった気がする。常に心が締め付けられてる感覚だった。

そして、自分の感情に蓋をして我慢することが当たり前になっていた。

そんな溢れ出すほどの「負の感情」によって自分の心と身体を傷つけ


私の遺伝子は、そんなダメダメな
私を守ろうと
必死に支えて頑張ってくれたのに

私自身が自分の感情を
雑に扱ったばかりに

もう無理だって!

異常を起こしたんだろう。

生き急いだせっかちだから
癌もせっかちな癌細胞なんだろう…
そう思った。

肝臓への転移は
前回の検査から
わずか6ヶ月の間で
肝臓へ多発転移していた。

自分の中で、そんな身体の異変が起きて
癌細胞が転移した瞬間…

不思議なことに

何かが身体の中で
粉々に壊れたの分かった日があった。


そして自分の愚かさに嫌気がさして
全てを終わらせたいと思った出来事があった。

きっとあの時、取り残された横行結腸癌から、リンパを経て…肝臓へパーンって散弾銃で撃たれたみたいに
多発転移したのだろう。

確かに身体に感じたことのない
異変を感じたのである。

今年4月の出来事だ。

心は形がないから傷つかない…
私は昔blogに書いたことがある。

心は傷つかなくても

信じていた人からの
その場しのぎの嘘や裏切り
耐えがたい屈辱からのダメージで

挙句…極度の人間不信となり…

もう
誰も信じない…
誰も頼らない
誰にも会いたくない。
何度も石のように心を強張らせた。

相手が優しさと思っていても
そこに本当の意味で
血が通ってないのなら
深く傷つく事があるんだと。


※写真は知人から送られてきたもの※

そうして「大丈夫!何でもない!」と
自分の感情をごまかしてばかりいると

細胞や遺伝子が私の代わりに傷つくんだな…


という結論。

だから私の遺伝子は
「そんな生き方をやめさせようと癌になって教えてくれたのだと」思った。


友達からもらった本にもそんな事が
書いてあった。

なので入院前の私の心境はというと…
心の8割は
諦めに似た絶望しかなく…
自分の苦しみや絶望に支配されていたんだ。

今は、病院のベッドで🛌とても穏やかな気持ちだ。

治療を乗り越えるというより
上手に癌と向き合いながら生きる。
何がしたいか?自分に問いかけた。





まずはこれだな。「エンディングノート」を書く。
そして、身体が動くうちに
部屋の断捨離をやって






この言葉の通り過ごしていこうと思う。
この言葉は主治医側も
大切にしているとある医師が講演で話していた。

何があっても娘や家族や仕事仲間が
困らないように…「最悪に備えよ。

そして、
毎日朝日を浴びて、深く深呼吸して
笑って…楽しい時間を過ごし
希望を忘れず「最善を期待する

残された時間が
あとどのくらいあるかわからないけど…

私の遺伝子が喜ぶ選択」をしてあげよう。そう思っている。


これが「心的外傷後成長」ということになるのかなぁ…って思った



ちょっとばかりジタバタして
もがいたけど…ちょっとは強く成長したんだろう。





まずは延命13ヶ月‼️これが希望!
13ヶ月あったら結構色々できる





















BRAF遺伝子異常 

2019-11-15 09:22:57 | 日記
まず初めに…

私が良いことも辛いことも
文章に書きblogに残す目的は…

「混乱した頭と感情を整理する」
「客観的に自分の現状を見る」
「生きた履歴を残す」

この3つだ。
今回も頭は混乱
心も締め付けられるまま
文字におこしている。

緊急入院から1週間後

10月13日
今後の治療方針を決めるため主治医のところへ。あまりの苦しさに…
抗がん剤治療やめることも視野に入れ
受診した。

リウマチ膠原病科の受診から
血液腫瘍内科へ移動。
予約していたにも関わらず

採血して
かれこれ3時間以上待ち…

遅れている理由を受付に聞くと
「血液検査の一部が未だ出てないようで…」と

「嫌な予感しかしなかった」

やっと呼ばれて

腫瘍内科主治医
「退院後体調はいかがですか?」

「抗がん剤の副作用もなく幸せな数日間を過ごしています…」と答えた。

それから
主治医の説明はこう続いた。

「前回、Xerox療法が身体に合わずアレルギー反応も出たし、脱水、低血糖、嘔吐症からの緊急入院で休薬し1週間
引き続ゼロックス療法の継続は、心身ともにリスクが高いので、治療方針を変更しようと思っています。」

「その前に、ちょっと言いにくいことではあるが…」といい

腫瘍マーカーのグラフを見せられた。

術後またしても…写真のとおり
術後腫瘍マーカーの数値が上がっていた。
何故…絶句。

手術で摘除しても微小な癌が
残っている可能性が高い…

そして
術後の癌組織検査から
DNA検査に回された結果を告げられた。

「BRAF遺伝子異常」

という結果が出ています。と
医師が書きながら説明を始めた。
これはどういう事か…というと…

簡単に言うと

私の癌は

「急速に病状が進行するタイプの癌」
という事だった




よって当初予定していた外来での
「術後補助化学療法」から

「緩和的化学療法」に変更する必要があると医師は続けた。

以下の3つの治療法を提示された。

①IRIS療法←TS-1内服+イリノテカン点滴
②FOLFIRI←体内に埋め込んで自動的に抗がん剤が血管に注入される方法
③アバスチン分子標的治療薬

結局、主治医から勧められたのは

「あなたの場合は、弱い抗がん剤では
厳しいので、入院で①と③抗がん治療から開始して、様子を見ながら緩和的化学療法を進めていく事が望ましい」
ということになった。

要するに…
副作用の説明や資料を見る限り
想像するだけで恐ろしい…

一人暮らしの私は
万一の事を考えて入院…
となったのだろう。

来週月曜日→再び造影剤MRI
木曜日→再入院
金曜日から→抗がん剤治療開始となった。


そして続けて…

「これもまた、いいにくい事なんだけど…
MSI検査をすることを勧める…」

結果は、入院時に出てるので説明します…
との事で、専門的すぎてよくわからなかったが

つまり、ここで
又異常が見つかれば

「治療、手術が困難な局所進行、転移固定癌」「リンチ症候群」となるそうで

家族や兄弟への遺伝確率が高くなり…
と聞いた瞬間、涙が溢れて

説明を覚えていない。医療費の負担などの事も含め、とても専門的な内容だったのは確かだ。現実離れし過ぎて言葉も出ない。

勇気を振り絞って聞いてみた。

「私は、この抗がん剤治療をしなければ余命どのくらい持つんですか?」

主治医
「ん…。言いにくいけど…もって6ヶ月位…
あっという間に癌は広がるでしょう…」

「抗がん剤治療がうまくいったら2、3年は
延命されてる方もいます」と

とても言いにくそうに話し
要するに、この状態になったら
確実な事も何の約束もできないのだ。医師は、可能性がある限り手を尽くすといったいった感じだろう。

目の前が真っ暗になった。

今回の入院は、
先の見えない入院となりそうだ…


前回のblogで「5年生きたら長生き…」と憶測で書いたが、医師の口からハッキリと
それより更に短くなったと
聞いてしまったのだ。

すぐそこの「死を覚悟」した瞬間だった。


というか…
来週再び入院して
ここに帰ってこれるのか?
また孫と遊べる日が来るのか?


その日から
1週間後の「死」を宣告された様な
気持ちで時間を過ごしている。


これまで
自分は運が強い!運がいい!と
生きてきて…

今回も
奇跡が起こって欲しいと望んでいたが

グラフやDNA異常を見る限り

「私の運も尽きたか…」と心折れた。

「何故…2年も続けてお腹切って
苦しい思いして…それでも私の癌はダメなのか…」

だけど…私より
もっと辛いのは
娘だろう。いつも病院に付き添い
結果の説明を聞くのは娘だ…

ずっと泣きながら
気丈に
「お母さん大丈夫?」と私を気遣っている。

親一人子一人で
支え合って生きてきた私達だ。
私が弱れば娘がしっかり支えて
娘が弱れば私が支えて…
そうやって生きてきた。

翌日…
姉が訪ねてきた。

そして姉もまた、娘と同じように
幼い頃から2人で
支え合って生きてきた
二人っきりの姉妹だ。

顔を見るなり2人で暫く泣いた。
そして姉が一枚の古い写真を持ってきて見せた

幼い頃から活発で友達が沢山いた姉に比べ
大人しくてどこに行くにも
姉の後をずっとついて離れなかったそうだ。

私にとって一番大切なこと
尊い時間とは
そんな姉や娘たちと過ごす時間だと
去年、癌になってから気がついた。

それまでは
時々
そばに居て当たり前…

いつも頭の中は仕事のことばかり
自分のことばかり…

怒涛の私の人生に娘を巻き込み
苦労ばかりかけた。

大切な家族に
こんな辛い思いをさせるなんて…

そして
両親も早くに離婚し
バラバラに生きている

私達家族は
死んだあと入る墓が無い…。

「私が墓を建てよう」と
咄嗟に思った。

皆んな最後はもう一度
家族になろうと…

去年亡くなった愛猫も一緒に…
気がつくと
姉にそう話していた。

でも、その前に

私は奇跡を信じて
辛くてもこの治療にかけてみようと思う。

応援してくれた沢山の友達と
一番大切な家族の為に。

もし…
途中力尽きても悔いのないように。
楽しめる時間は家族と笑っていよう。

そして
これから同じように
癌で不安の中にあって
戦う人の為に
可能な限りblogを更新しようと思っている。







副作用からの入院

2019-11-11 20:20:00 | 日記

10月29日
結局、抗がん剤治療開始当日まで
繊維筋痛症の痛みも酷く

治療前の血液検査の結果を待つ間
ベットで横になっていた。
そこに医師が来て

「繊維筋痛症の痛みは薬で抑える事ができても、なくなることはないから…抗がん治療を延期したとしても1週間…」と言われた

どのみち
やんなきゃ癌を温存するだけだ。

一瞬怖くて悩んだが
「もう今日から始めてください…」と返事をした。←ほぼやけくそ 笑

※写真はオキサリプラチン点滴中※

点滴を始め
血管痛は徐々に酷くなる…
ホットパックで腕を温めながら
入れてもらったが

例えようもない痛みだ
ズキズキ、ジクジク、ヒリヒリ…
が混ざったような痛みが血管に走る


例えるなら…
X-MENで
ウルヴァリンが合金を
身体に注入されていた
あの感じ…身体に金属が入る感覚だった。
※あくまでも私の感覚です※


点滴の途中、息苦しさと喉の締め付けが
起きたので、アレルギー処置のポララミンが投与された。

吐き気どめ→抗がん剤→生理食塩水→ポララミン投与点滴→
となり

その日は朝10時から
18時まで病院のベットの上だった

なんとか終わった…
安心したのも束の間…
会計してびっくり‼️手持ちがなく慌ててAT🏧でお金をおろし💦この金額を支払う。


この金額が月に一回6回かかるということだ…。限度額申請しててもこの金額😰
癌というのはお金がかかるんだな…

社会保険制度、生命保険
どちらもあって本当に助けられた。

帰りは副作用と支払った金額で😰
頭はぼんやり

フラフラ…
娘に支えられるように歩いた
にしても血管痛痛すぎた。
なんとも感じたことのない痛みだ。
皮膚をヤスリで削られる様な感覚😭が
肩まであった。

帰宅後、口の外も中も
手も足もビリビリ痺れている
経験した事がない痺れ…

何気に常温の水を飲んだら
口の中に強烈な違和感と
ギューっと顎と喉の締め付け
感が襲ってきた。

「わ。何これ…」😵😵😵
なんとも言えない気持ち悪さだった。




夜自宅
1回目のゼローダ5錠飲んだ

○身体の熱感と息苦しさ
○突発的な頭痛
○顔や身体のピリピリ痺れ
○顔面の痙攣←これは周りも分かるくらいの痙攣
○強烈な倦怠感と血管痛の痛み

ポララミンの効果で
眠だるく…横になったらそのまま寝落ちしていた。

深夜に大量の汗で目が覚めた。
あと、突発的なズキーンとする
経験したことない頭痛…これは本当に怖い😨

翌朝
手足の痺れというか
ヒリヒリ…ピリピリ…する
部屋のドアノブでさえ
手袋しないとビリビリと痛みが走る

例えるなら
水触っても、冷たいもの触っても
静電気…って感じだった
手袋は必須だ。

そして追い討ちをかけるように

○強烈な吐き気と
○顔面の痙攣
○痺れ
○味覚障害←味が分からない。不味い
○色んな匂いがひどく気になる
と酷くなり…横になったり嘔吐したり…

結局、2日間水も飲めない食事もとれない…
動くのも辛くなり
娘に連れられ救急外来へ


結局、
開始から3日後、
脱水症状、低血糖、嘔吐症で
緊急入院となった。





しかし不思議なことに
抗がん剤の副作用が始まって以来
あんなに辛かった線維筋痛症の痛みは
消えていた…

つまり、副作用の苦痛が勝ったのだろう。
身体は不思議だ…😓


やけくそで覚悟を決め
抗がん剤治療始めたものの
こんな苦痛な副作用に耐えて6ヶ月なんて
とても耐えられない…


副作用は人それぞれ出方や期間が違うとはいえ…

普通に生活なんてとてもできない。
仕事なんて尚更無理だと…

私は、抗がん剤治療を
やめようと思っている…
と枕元に座った姉に向かって
呟いていた。娘には言えない事だ…

病院に来てくれた
姉の前で子供みたいに
おいおい泣いた。涙が止まらなかった…

きっと姉も複雑な心境だろう。
代わってあげたい…と泣いていた。

生きるために死んだように
6ヶ月を過ごすのか?

死んでもいいから毎日笑顔で
6ヶ月過ごすのか?

嘔吐の苦しみの中入考えていた。

限られた命なら
大切な人と限られた時間を笑顔で
丁寧に過ごす…

その方がとても尊く大切な時間なんだと。
5年生きたら長生き出来たと思えばいいと…

しかし…薬を止めて今日で11日目

ここ数日はほぼ
副作用も消えている。
食べ物の味も分かる
冷たいものも大丈夫
家事もできる…

幸せな時間を過ごしている。

そうなると
頑張って治療を再開してみようか…とも
思い出した。

いずれにせよ
手術で取りきれなかった
微細な癌は私の中にあるわけで…

明後日には
主治医と今後のことを決めなくてはならない。「再開」するか「やめるか」他に何かあるのかな…





天敵No.2

2019-11-07 11:43:00 | 日記
原因不明の全身疼痛が
かれこれ2週間以上続いていた。
痛み止めも全く効かない…。

ここんところ少し落ち着いていた
天敵No.2
「繊維筋痛症」
こんな時に出たか…最悪だ。

このまま抗がん剤治療に
突入するのが不安すぎた😨
たまりかねて主治医のところへ

待ち時間はベットがある所で横になり
診察を待つ…

ベットまで主治医が来てくれた。

「入院して痛みをコントロールしながら様子見ましょうか?今日は点滴で痛み止めをしておきますが状況が良くない時は
一旦入院しましょう…」となった。


幸いにも少し点滴の効果があってか楽になったが痛みは残る。

痛み止めのロキソニンが
全く効かないので、トラムセットに変更し
様子を見る。
落ち着かなければ入院。

朝と夕方は娘が必ず
様子を見に来てくれて
何かと家事も手伝ってくれるが

その他の時間帯は一人
特に深夜に痛みで身が覚めると
怖くて眠れなくなる。

blogを始めてから4年…

あまりにも色々あり過ぎて
一気に歳をとり
心身共に衰え
このまま朽ち果てていく気分の毎日だ。
生きる気力が全く湧いてこない。

弱音吐いて涙が出る自分も
嫌いになりそうだ。

点滴とトラムセットが痛みに効いてますように…と
願いつつ睡眠導入剤で眠りについたが…

激しい痛みで
早朝目が覚めた。

鎖骨のあたりと肩、首、脇腹、膝…
全身が痛い…しかも昨日より痛い…😓
歩くのも、座るのも、横になるのもしんどい。モーラステープを貼り痛み止めを飲んでもダメ…。

しかも両手指は歪に腫れ上がって
力が入らない。これはリウマチの方かな…

この天敵No.2の襲撃が一番酷かったのは
4年前の冬…何度も死にたいと思うほどの
痛みが毎日の様に続いていた。

そして関東に引っ越してからも時々
そうなっていた。

なので久しぶりではあるが…

よりによってこんなタイミングで

このまま
また入院か…
抗がん剤治療は延期になるのか?

点滴から3日目の夜
一日4回の
トラムセットが効いているのか…
日中はずいぶん楽になって来たものの…
凄い眠気がくる。

楽しみにしていた孫の発表会だけは
絶対に行きたくて
頑張って出かけたものの…
帰宅後から翌日は薬を飲んで寝たきり…

こんな生活…先が見えない。