nekomitu日記

ポンコツ日記

奇想天外

2015-11-30 15:41:44 | 日記

奇想天外とは=普通では思いもよらない奇抜なこと。またそのさま。▽「奇想」は普通では思いつかない奇抜な考え。「天外」は、はるかかなたの空、思いもよらない所の意。

先日、友達と「一週間先の自分なんて予想もつかないし、自分も変わるからわかんないよね..本当に人生ままならない…」と話していて、思い起こせば私の人生も奇想天外だわ…と思い起こす..。

私の母は、私が幼い頃突然いなくなり。。父は殆ど家に帰らず。。2つ年上の姉と二人で自由気まま??に生きてきました。お約束のごとく。。思春期は大荒れ..(笑)
だからでしょうか..若い頃から「家庭・家族そろっての食事・団らん」というものに憧れを抱き「早く結婚したぁ~い」なんて思っていました..

そんな私でしたが、実は…2回の離婚歴があります..全く笑える話です。。
これまでその事を「2回も結婚に失敗した自分はダメな人間。。誰からも愛されない人間..恥ずかしい」と、心のどこかで思っていましたし、家族の愛を知らずに育ったせいだと思い。。どこかで自分の両親も、少しだけ許せてなかった気がします。

1回目は23歳で結婚、27歳で離婚。。しかも超がつくほどの泥沼離婚(笑)
今となっては、やりたくても出来ない20キロの激ヤセ・・

27歳から31歳までは娘と極貧・・悪戦苦闘の2人暮らし….

2回目は31歳で再婚(入籍は数年後)51歳で離婚。1年の別居を経て平和的に離婚(笑)

この2回の結婚生活と、私のそれまでの人生…その波乱万丈さゆえ・・娘や友人曰く「本が一冊書けるんじゃ??映画撮れるんじゃ??」と冗談で言われるくらい…(笑)

そして。。。51歳、人生最後の転機かな?。。約20年の結婚生活にピリオド。。同時に長年勤務した会社を退職し、
30年ぶりに一人暮らしを始める。。まさに怒涛の一年。。貯蓄も使い果たし。。(笑)51歳にして人生を全てリセットした訳です。

なぁ~んにもない…(笑)

「残されたこれからの人生」を考えた時、私の出した選択肢は3つでした。

1.このまま安定した会社で退職まで働き、主人と平凡な老後を過ごす
2.離婚しても会社に留まり、安定した収入を得て一人独身を謳歌する。。
3.どちらも手放す

この3つの選択を6か月間ぐずぐず考えた挙句。。

結果3を選択する事にしました。さぁ。。ここから先、自分に降りかかる全ての事は「自己責任」ある意味これまで「守れらて来た」保証や安心感はすべてなくなるのです。。
さすがに覚悟を決めざるをえません。。

そして、3を選択し、どちらも手放し、まず一番初めにやろうと思った事は、何を思ったか…
「明日死んでもいいように、会いたい人に会い、自分の心の動くままやりたいことをやる一年を過ごす」という事。。
若くして結婚以来、仕事と育児・家事の両立で時間に追われ、やれなかったことです。

破天荒と言われようが、お馬鹿な初老と罵られようが関係ない。。とにかくやりたい放題。。そんな自分の過ごした時間をFacebookに残し、色んな人との縁に恵まれ、一年間を過ごしました。
そんな時間を過ごす中で、何故か色んな事への執着も、こだわりも無くなり「本来の自分」というものが、がくっきりと見えてきて。。そして一つの自分への課題というか答えが見えてきました..。

それが「許す」という事。

これまでどこかで「許せない」と思っていたこと、「許せない」と思っていた過去
「許せない」と思っていた人。。。何より「許せない」と思っていた自分自身のこと
両親..全てどうでもよくなったのです。。

今、自分がこうして「生かされている」のは、これまで出会った人、過ごした時間、自分が選択してきた事があってこそ…
そう思ったら、すべての事に「感謝」の気持ちが沸くと同時に、残された人生の過ごし方が見えてきて、人との関わり方も変わっていきました。
そうなると2回の結婚生活も離婚にも感謝する訳です。

1回目の主人に出会わなければ、大切な「娘」に恵まれる事はなかったし、貧乏でも愛を感じる幸せな妊婦生活を送る事はできなかった...

娘と2人きりで過ごした時間がなければ、親としての成長もなかっただろう…

2回目の主人に出会わなければ、この「娘」を、人並みに学校に行かせ部活をさせ、就職させ、人から愛される一人前の女性に成長させる事はできなかった…

そして、娘も2人の父親に心から感謝する娘になり、もうすぐ母親になろうとしています。
娘と私はいつもこう言います「私たち(2人の主人、娘、私)4人は共に人生を生き抜いた戦友であり同志」なんだよ….ありがたい事だよね。。。と(笑)

さてさて、私のこれからの人生もきっと死ぬまで奇想天外?波乱万丈?

なのかもしれませんが。。泣いても笑っても…いずれにしても何も無いより、ずっと豊かな人生です。。(できれば穏やかに過ごしたところが本音ですが..)

そんな豊かな人生を送れる、私を生み育ててくれた両親に感謝…
そして何より、「私」という喜怒哀楽を表現できる一人の人間に育てて下さった、出会った皆様に感謝する今日この頃。。
布団に入って、心から手を合わせてありがとう。。ありがとう。。と言いつつ夕べは眠りにつきました。

印象

2015-11-28 17:55:19 | 日記
「コミュニケーション力」と一言で言っても定義は様々ですが
簡単に言うと「仕事や人間関係を良好に進める為の意思疎通能力」だと思います。

とても奥が深い。。。

「この人コミュニケーション力が高いな。。」と思う人はいくつかの共通点があると思うのですが、
先日、とても「好感が持てる話し方」をする男性にお会いする機会がありました。

その方は、営業職でも話のプロでもない方でしたが、何とも言えぬ心地よさがあり
安心して会話する事が出来たのです。

そこで得意の私的分析開始。。(笑)

まず、声のトーンは少し低めであり、スピードも落ち着いて、一定のリズムで丁寧に話をされており、表情はにこやか…しかしながら喜怒哀楽の表情に加え少し声の表情も変える
そして何より感じたのは相手の話を聴いて「共感」を表現する相槌ができる。

例えば「おぉ..それはいいですね..是非見てみたい..」とか「なるほど..それはとても大切なことですよね..」等といった感じです。
言葉遣いは丁寧だけど、堅苦しさを感じず、時々笑いも取り入れて…
話の構成がとてもわかりやすく自然に出来ている感じでした。会話のキャッチボールもとてもバランスが良い…オープンマインドで話をされるので、こちらも自然と心を開く。。
きっと、「とても頭の良い人なんだろうな。。」と感じました。

そして、なにより一番関心したのは、「相手に関心を持って話を聴いている」という姿勢です。
「相手に関心を持って聴く」とは、思いやりであり、マナーではないかと思うのです。

名刺を一枚渡しただけで、そこから色んな質問をさりげなくされ、こちらの仕事にも関心を示し..そして少し笑わせる。。絶妙なのです。。
例えば、
「カウンセラーの人って僕がどんな事を考えて、どんな性格なのか見ただけでわかるんですか??」と冗談交じりに問いかけられ
「いえいえ(笑)超能力はありませんから。。」と私が答えるといった感じ。。しかし最後はしっかり真面目に話をまとめられたのです。

話は、少し飛びますが、前職で厳しく教えられた「礼儀礼節を重んじる」という事を
ふと思い出す。

挨拶やマナーと言うと「誰でもできる..」と思いがちですが、日本人独特のニュアンス「節度」とか「作法」とか、善悪の判断基準である「道徳・倫理観」など..様々な要素が含まれます。
以前、新人社員に「社会人として節度ある行動を心掛けなさい..」と注意したところ「節度」って何ですか?と聞かれたことがある。
確かに。。年を重ねた私は、経験によって何となく分かっている事が、
新入社員にとっては、「これは良くて、何でこれは悪いの??」と疑問を抱くだろう。

彼らに納得するよう言葉で分かりやすく教えなければならない。。正直ちょっと焦りました..
結局こう伝えたのです「何でも行き過ぎのない、ほどあいがあるでしょう..例えば、友達と二人きりならいいけど、周りに他の人がいる公衆の場、お店等では大声で話さない笑わない周りに配慮する・・とか..」みたいな事を話したと思います。
で、結局のところ「自分が損をするという事..」「敬い慎みの気持ちを言葉や行動で表す」という事を具体的に話した記憶があります。彼らの質問によって私も改めて考える事になった訳です。。礼儀・礼節を弁えて言動している社員は確かに好印象であり、評価される際の大きなポイントでもあるのです。

先ほどのコミュニケーションが心地よい方も、この「礼儀・礼節」をがさりげなく出来ている方でした。
言葉で「失礼しました」とか「ご丁寧に有難うございます」などの表現が会話の中にも出てくるのです。

結局のところ、人の印象の「善し悪し」を決めるのは、そういったところにあるのかもしれません。
メラビアンの法則にもあるように、聴き手へ最も影響力を与え、相手の印象を決定づけるのは、

態度(見た目、表情、動作)が55% 
声(声の大きさ・質、話し方など)が38%
言葉(言葉の意味)が7%

といいます。そうなると当然の事ながら「礼儀礼節」も重要な訳です。。

で……初対面で、先ほどの方に抱いた私の印象はというと。。
「とても賢く、思いやりがあり、感じのいい人」であり「きっと仕事がデキる人なんだろうな..」「人望厚い人なんだろうな..」という印象になるのです。
初対面で、これだけの印象を与えられたら、簡単にはその人の事を忘れませんよね。。

私は、プライベートの時は決して「感じにいい人」ではないのですが(笑)
日本人独特の美意識といいますか、「節度・弁える・慎む」という事は大切にしているつもりです。
自分自身を律するいい機会だったと思います。

~ご縁に感謝~

戒める

2015-11-24 18:17:16 | 日記

先日のブログタイトル「バレてる。。」でも
つらつらと書いたように、私は「短気な男と乙女」が共存している厄介な性格である。

ブログデビューの投稿で話がでた「私の信条」を書けば、「男が書いた文章か?どこかの坊さんの説法か?」と人に言われ。。。

かと思えば、乙女が強く出た時は、急にロマンチストになったり、本当に好きな男性の前に出ると、テンパって思考が停止してしまい、
心にもない変な言動になってしまい、まともに話も出来ず、笑顔にもなれず、お地蔵様のように固まる。。

一緒に過ごした記憶さえも飛び、へたするとその場から逃げ出したくなる..
友達の間では「でたでた(笑)好きな人の前に行くと地蔵になる」と、いつも笑われる話だ。。

しかし、何故か「己の信条」を書いた時と同様、夕べから沸々と「男の私」が顔を出し始めている。。
これが顔を出すときは、決まって自分を見つめなおし、静かに内省し、自問自答している時にやって来て、

奴はこう問いかける...「偉そうに色々人に語っているけどさ…最近、お前自身はどうなのよ?・・」と。。
そうすると何となくお腹の底から熱いものが込み上げてきて、思考が一気に「男」になっている。。

そして今日、「己の信条」に続き、以下「己への戒め」なるものを書きたくなった。

--------------------------------------------------------------------------
「己への戒め」

奪う勇気も、捨てる勇気も、覚悟も、潔さも、情熱も無いやつが「愛」を語るな

たとえ一人でも、最後まで戦う覚悟も勇気も無いやつが偉そうに「仲間」を語るな

己の孤独とも向き合えないやつが偉そうに「人生」を語るな

己の過去に感謝すらできないやつが将来の「夢」を語るな

己の選択を、自己責任と受け入れることもできないやつが誰かを「守る」なんて偉そうに語るな

人生ナメんな!

屈辱にも耐え、逆風にも耐え
寂しさにも耐え、裏切りにも耐え、泣くときは一人で泣き叫べ

己の弱さも受け入れ、人を憎まず妬まず

それでも、心静かに笑っていろ

我が人生に一片の悔いなしと言える終末に向け、今を懸命に生きろ
----------------------------------------------------------------------------
こんな文章になってしまうのであります。

しかしながら、書き終えた後は、実に清々しい気分になるのです。。
一体誰が私の中にいるのか???

きっと、「自分がありたい姿」「ありたい思考」がそうさせているのでしょう。。

未だに「乙女な地蔵」は難解極まりないのですが。。(笑)
いつか解明してみたいと思います。

ポップコーン

2015-11-22 14:23:54 | 日記
私は若いころからストレスが溜まると、ポップコーンを一心不乱にやけ食いする。。という習慣があります(笑)
最近では、買いに行く事が面倒なので、自分でポップコーンを作ることにしています。

しかも、ポップコーンが弾ける様子が見える、ガラス蓋の鍋で作るのがたまらないのです。
硬いコーンの粒が油の中で加熱されて…しばらくはその熱にじっと..じっと耐えているコーンの粒たち..しばらくすると『ポンッ』と1個弾けると次から次に弾けて、
鍋をゆするとみるみる弾けて鍋いっぱいに膨らむのですが、最後まで熱に耐えて弾けない粒たちもいます。。同じコーンの粒でも弾けるのに時間差があるんですね。。

この様子を眺めると、人間も同じだな。。と思うのです。

心がカラカラに乾いて(元のコーンの粒)いると、不平(みんなと同じではない)
不満(満たされてない)という「足りない・欲しがる・比べる」感情でいっぱいになります。それは、恋愛だったり、人間関係だったり、仕事だったり、物だったり、お金だったり…人それぞれです。
それでもじっと耐えていると、被害者意識がどんどん強くなり(油の熱)一気に爆発してしまうのです(キレる)。。
時には爆発させることも出来ずに身体の異常となって出てくる人もいます。(これは最後まで弾けずに黒こげになっているコーンの粒)

では、何故心がカラカラに乾いてしまうのか?

人は誰でも自分の事を「認めてほしい」「優しくしてほしい」「構ってほしい」「寂しい」「愛してほしい」「大切にされたい」と思うものです。。
だけど、被害者意識が強くなると「心がすねる・いじける」という現象が起きます。

「何で自分ばっかり我慢しなきゃいけないの?」「どうして誰も認めてくれないの?」
「どうして周りはわかってくれないの?」「どうしてあの人ばっかり得をするの?」等。。ギブ!ギブ!と心が求めてしまうんですね。。
だけど素直にその心の状態を言葉にして伝える事をしないから
「すねる・いじける・意地を張る」という幼児的な対応となって表に出てしまうのです。中には「諦める」という人もいます。

本当は、自分が心を開いて「もっと優しくしてほしい」「本当は寂しい」「認めてもらいたい」と「苦しい」と言葉で伝えると楽になるのですが、
「笑われるかも」「怒られるかも」「喧嘩になるかも」「そんなこと言うのは恥ずかしい」と考えてしまう。。
とても勇気が必要なことかもしれませんが、これ(自己開示)ができるようになると
楽になります。。

私も若い頃、このような経験があって、常に「不平不満」をいかにも自分が正しい…と偉そうに言っていた時期がありましたが、自分の負のエネルギーがどんどん心身をカラカラにしていくのが分かったので、「言葉にする」「伝える」という訓練をしました。。

言葉で言えない時は、文章で伝えるようにしたり、自分の頭の中を全部取り出して
客観的に図にしてみたり。。そうすることで、本当は自分が一体何を求めているのかが
分かるようになります。(これある意味修行ですね・・)

それ以降、精神的な調和を目指し、心の傾向性を修正しながら
「どちらが正しい」等という考え方を止めて「右にも左にも片寄らない」中庸の考え方をするようになりました。
また、「誰が正しいか?」ではなく「何が正しいか」と考える習慣も持つようになりました。

つまり、事象の一切の原因は人の心(自分)にあって、現状はその「結果」であるという事です。
なので、何かそのような壁に当たった時は、「言わなかった自分が悪い」「その時そちらを選択した自分の責任」という風に
さすがに、この年齢になると、全ての事は自己責任と受け入れるようになりました。

また、不思議なことに良くも悪くも「人・物・金」に執着したり囚われたりする事もなくなりました(笑)
元々、短気でせっかちでキレやすい…という私の性格は、まだまだ休火山のようなものですが残りの人生は出来るだけ、柵や重荷を降ろし、水のように「酒酒楽楽」とした人生を歩きたいと思います。

感情表現

2015-11-17 04:06:02 | 日記

私は、職業柄でしょうか..自分の感情や相手の感情を「言語化」する事は特に苦痛なく出来てしまいます。
ですが、ここ最近その「感情の言語化」がとても苦手というか、どうしたらよいか分からないという人に出会うことがあります。

特徴としては、どことなく「情緒的ではない..」「感情がない..」「イライラしたり怒の感情には敏感であるが、全般的に喜怒哀楽が感じられない..」「共感的ではない..」「他人の感情には無頓着」と感じてしまう人たちです。そして最大の特徴は

「自分の感情を表現する言葉を見つけるのが難しい」人という事。

もちろん本人は、特に違和感を感じていないのですが、「心の通ったコミュニケーション」が、どうしても形式的、事務的なものになりがちで、
対人関係が円滑に維持できない傾向があるという事が悩みのように漠然とあるようです。

私は、比較的「喜怒哀楽」がはっきりしたタイプなので、当初このような傾向の方とは
心理的、感情的な意思の疎通が難しく極めて難解でしたが、

このような傾向は「アレキシサイミア」=(失感情症)という一つの性格傾向の概念で説明する事ができます。
感情はあるけど、その自分の感情に気付くことが苦手、又は何らかの感情の変化を感じてはいるけど、それをうまく表現できない…このような傾向が「アレキシサイミア」です。「感情を認識する」ことが不得意なため、「想像力」や「共感力」「内省力」が乏しいことも特徴ですが、不安や緊張を常に感じているのに、比較的人当たりも良くニコニコしている方も多いように感じます。

そして、この性格傾向を持った方に、以下の質問するとこんな回答が返ってきます。

「何か興味関心があることは?」→「得にない..」
「ストレスを感じることは?」→「別に…とか、特に感じない..」
「身体の調子はどこも悪くないですか?」→「別に悪くない..」

といった感じです。


ですから、「ストレスをストレスと感じない」=「自分の内面的な感情の変化には鈍感あるいは無関心」という事です。
私は、単純にそのような性格傾向として向き合うだけなく、何より懸念するのは、「アレキシサイミア」は、「心身症」を発症する要因と言われているというところです。

ストレスをストレスだと認識できないため、上手なストレス発散ができず、行動することで精神作業(考える事など)を回避する傾向にあるため「心身症」以外の精神疾患にもかかりやすいというリスクがあるという事なのです。

「喜怒哀楽」は、「情動」と呼ばれ、情動は、身体の変化と結びついて、自律神経系の変化や表情・声の変化といったからだの変化と一体となっています。
この情動の変化は、自分の気持ち=「感情」の変化とも結びついて、その感情に気づき、言葉で表現をする事を、私たちは何気なく行っていますが、
心身症の患者さん方は、そのような事が上手くできない事が多いのです。だから身体に何らかの疾患として不調が出てくる訳です。

私は、このような性格傾向の方に向き合うときは「ある時期、又はある出来事がきっかけで自分自身の心を凍らせた」のでは?
何らかの抑圧されたの感情が自分の中に蓄積して、「心動かされない」人に
なってしまったのではないかと、何とも言い難い「孤独」にも似た感情を感じてしまうのです。

だからできるだけ「今どんな気持ち?」「どんな感覚?」と質問して自分の心に目を向けてもらい、できる限り言葉で表現してもらえるよう配慮しています。(困難を極めますが….)
そして少しでも感情の動きが見えた時に、その感情に寄り添うようにしています。

いずれにしても、「自分の心と向き合う」という事は、誰でも一番難しいことなのかもしれませんね。

-------------------------------------------------------------------------------------------

参考(以下文献より抜粋引用)

アレキシサイミア(失感情症:alexithymia):
この疾患は、自分の感じた感情や言葉を表現することが困難となり、溜まった情動などが身体や行動に身体症状として現われる。
シフネオス(Sifneos, P.E.,1973)によって提唱された。この疾患は心身症の一つとして説明されている。
症状:
◇感情を認識すること、感情や情動が起きるときに出てくる身体の感覚を区別、理解することが困難
◇他の人の感情について説明するのが難しい
◇他の人に自分の感情を説明するのが難しい。
 ⇒自分の気持ちが分からないので、他人の気持ちにも共感することができない。それにより、機械的な対応が多く、治療者や面接者と話すのも難しい。
◇自分の内側(心)を理解するのが難しい
◇空想、想像が苦手
◇外の事、表面上の事実しか認知できない
⇒その結果、事実関係をダラダラと述べ、その内容に感情的なものが含まれない

周りから見た時の様子:
・生気が感じられない。ボーとしている
・話し方が変わっている(事実しか話さない、感情がない)

アレキシサイミアの問題点:
◇腹が立った、胸がドキドキした、涙がでるような思いがしたなどの事が理解できない
◇アレキシサイミアのせいで、知らず知らずの内にストレスを貯めてしまい、それが身体化することがある
◇嫌な感情や情動が生起したせいで、それを口に出さずに、過食や拒食、薬物乱用、倒錯した性行動などの強迫的行動に走りストレスを発散させがち
◇認知処理を通じて情動を緩和出来ない